未ログイン ログイン
記述の森の記述検定
★10月の問題だけができるようになっています。
 読む力、書く力、考える力を育てる
 記述の森の記述検定  編集
※最初にログインをしてください。言葉の森の団体コードは、aaa001です。
※解答欄への入力は、音声でもテキストでもどちらでもできます。

題名:★わたしは四歳のときに(感)
 【1】わたしは四歳(さい)のときに小児マヒにかかった。幸い重症(じゅうしょう)ではなかったが、それでも左足にマヒが残っているのでびっこを引いている。わたしを形成した最大の先生はこの足だと思っている。
 【2】そのため、さまざまなことを味わってきたが、わたしに限らず、身障者(しんしょうしゃ)にとっていちばんの願いはできるなら自分が不具(身体が不自由なこと)であることを、相手が心の底から忘れ(わす )てくれることである。ごくふつうの人間として扱っ(あつか )てくれることである。
 【3】いつだったか、わたしは電車のなかで青年から席を譲ら(ゆず )れたことがあった。かれは立上がるとわたしの顔を見ながら、はっきりした声で「おすわりなさい。あなた足が悪いんでしょう」といったのである。【4】かれの善意(ぜんい)、親切はわかったが、わたしはその時、いささか憂うつ(ゆう  )であった。
 反対に一つの席をねらってお互い( たが )にダッシュする時がある。これは勝っても負けてもうれしいのである。相手はわたしを一人前の相手と認め(みと )ているのだから。
 【5】群馬県の高崎(たかさき)に心身障害(しょうがい)者のための国立コロニーができるということである。コロニーとは、いわば、障害(しょうがい)のために、社会的・職業的に一人だちできない、そういう人間が日々を生きていくための村とでもいうべきものである。
 【6】今の社会の現状では、実際問題として、このようなコロニーはなくてはならないだろう。
 そのことは認め(みと )た上でのことなのだが、わたしにはひとつの気がかりがある。【7】それは、この種の構想が社会にとってあまり有用でないものをまとめて「隔離(かくり)」する、というような気持とどこかで関係がなければいいが、ということである。
 それは、おそらくひねくれた見方であろう。【8】しかし、実際の生活のなかでそのような差別意識が生きていることもまた事実である。精神に障害(しょうがい)のない肢体(したい)(手足または身体)不自由な者などの場合、そのような厄介(やっかい)者意識・差別意識と出会うことの苦悩(くのう)はひとしお大きい。
 【9】たとえば社会復帰の不可能なもの、ということであるが、これは要するにおカネを自分でかせいで自活できないもの、という意味であろう。そして確かに、現状では自分で働けないものは、家庭の世話になって生きるか、このような施設(しせつ)にはいるよりないのである。
 【0】しかし、では人間の価値(かち)というものは何であろう。今のわたしたちが生きている社会の基準では、それは、働いておかねがかせげるかどうか、役立つかどうかということにかかっているように思われる。だから、かりに、身障者(しんしょうしゃ)のある人が非常にすぐれた知力を持っていたとしても、かれが、労働能力を持っていなければやはり厄介(やっかい)者であろう。
 わたしは正直いって、そういう事実を悲しく思う。人間として立派(りっぱ)に一人前のものを持っているのに、これらの人々の場合には、それを認める(みと  )だけの余裕(よゆう)が社会の側にないのである。だから社会はかれらを施設(しせつ)へ収容(しゅうよう)しなければならない、またかれらも施設(しせつ)を避難(ひなん)港として考える、ということになるのであろう。
 労働能力や外見が事実上人間の価値(かち)をきめる――これは、この社会が物質的・精神的に貧しいことにほかならない。そして真に豊かな社会が来、あらゆる問題が解決するまで、ほんとうの解決はこないであろう。

(三木 卓(たく)の文章より)

問1:  ~字
文字数(もじすう):0字



問2:  ~字
文字数:0字



問3:  ~字
文字数:0字



問4:  ~字
文字数:0字