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記述の森の記述検定
★10月の問題だけができるようになっています。
 読む力、書く力、考える力を育てる
 記述の森の記述検定  編集
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題名:★人間が他の動物と(感)
 【1】人間が他の動物と異なるところは、みずから築いた日常生活が、ときおり、なんともやりきれなくなり、無刺激(しげき)、無抵抗(むていこう)に耐え(た )られなくなる、という点にある。【2】それが、あるときは「不安」を呼びさまし、あるときは「反省」をもたらし、また、あるときは「おどろき」に染められる。こんなことでいいのだろうか、何の目的で自分は生きているのか、どうしてこのような毎日に安住しているのだろう、という目覚めである。
 【3】そして、そこから、その人の哲学(てつがく)が始まる。哲学(てつがく)とは、あたりまえのことが、あたりまえでなくなる瞬間(しゅんかん)に誕生するのである。
 などと言えば、「とんでもない」と反論する人がいるだろう。われわれの日常生活は、けっして安穏(あんのん)な砦(とりで)などではない。【4】生計をたてるために精いっぱい働かなければならず、職場での気苦労、家庭にあっても子供の教育、家族間の摩擦(まさつ)、健康上の不安、老後の設計、近親者の死、思いがけない事故……無刺激(しげき)どころか、こうしたストレスと戦うのが毎日の生活ではないか、と。
 【5】たしかに、それが生活というものであろう。だが、それだからこそ、人間はそのような日常性に取り込ま(と こ )れ、そこに浸り(ひた )きって、それを「あたりまえ」として受け取ってしまうのだ。「雑事にとりまぎれて、つい御無沙汰(ごぶさた)いたしております」と、よく手紙に書くように。【6】そして、「これが人生さ」と達観することになる。なぜなら、どんな苦しみも、愉(たの)しみも、おしなべて人生というパターンに取り込ん(と こ )でしまうのが、ほかならぬ日常性だからである。苦しければ苦しいなりに。愉しけれ(たの   )ば愉しい(たの  )なりに。
 【7】だが、慣れきった生活は、しだいに生きているという実感を喪失(そうしつ)させてしまう。すべてが習慣化してしまえば、人間はただきまったレールの上を滑っ(すべ )ていくだけである。【8】そこには何の抵抗(ていこう)もないが、まさにその無抵抗(むていこう)が倦怠(けんたい)をもたらし、倦怠(けんたい)はやがて名状しがたい不安へと、ぼくらを導いていく。そのすえにふと、あるときフランスの作家カミュの言葉を借りれば、日常性という「舞台(ぶたい)装置が崩壊(ほうかい)」する。彼(かれ)はこう書いている。
 【9】「とりたててこともない人生の来る日も来る日も、時間がぼくらをいつも同じようにささえている。だが、ぼくらのほうで時間をささえなければならぬときが、いつかかならずやってくる。」
 【0】人びとは、ふだん何も深く考えることもなく、時の流れるままに日常生活を繰り返し(く かえ )ている。いうなら、時間がぼくらをささえ、ぼくらはすべてを時間にゆだねている。けれど、いつか、確実に死に向かっている自分の生を考える瞬間(しゅんかん)が到来(とうらい)する。カミュは、それを「実存の目覚め」という。そして、ひとたび目覚めるや、ぼくらはこんどは自分で時間をささえねばならぬようになる、というのだ。哲学(てつがく)はここに始まる、と言ってもよい。

(森本哲郎(てつろう)『ぼくの哲学(てつがく)日記』による)

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問4:  ~字
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