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記述の森の記述検定
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 記述の森の記述検定  編集
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題名:★文明人は時計によって(感)
 【1】文明人は時計によって時間を測る。それによって、一日は二十四時間に正確に区切られ、共通の時間が設定される。これは多くの人間が社会をつくっていくためには、非常に大切なことである。【2】これによって、われわれは友人と待ち合わせもできるし、学校も会社も、同一時刻に一斉(いっせい)に始めることもできる。時計の発明によって、人類はどれほど時間が節約できるようになったかわからない、本当に便利なことだ。
 【3】ところで幼児たちは、大人のもつ時計によって区切られた時間とは異なる時間を生きているようだ。「きのう」とか「あした」とかの意味も、はっきりとしていない子もある。【4】「また、あしたにしようね」などと言っている子も、それは厳密にあしたということをさすのではなく、「近い将来」を意味していることも多い。
 【5】あるいは、何かに熱中していたが、何かで中断しなければならなくなったとき、「また、あしたにしよう」と言うのは、このことを言うことによって、中断することを自らに納得させようとする意味あいで言っている子もある。【6】この場合の「あした」は、二十四時間の経過後に存在する時期などではなく、断念しなければならないという気持ちと、何か希望を残しておきたいような気持ちの交錯(こうさく)した現在の状況(じょうきょう)をのべている表現なのである。
 【7】道くさをしたために叱ら(しか )れる幼児たちが、悪かったという気持ちをあらわしながら、何とも納得のいきかねる表情をしていることがよくある。彼ら(かれ )も叱ら(しか )れながら、「おくれてしまった」「おそくなって悪かった」ということはよくわかっているのである。【8】しかし、なぜおそくなったのだろう。「ぼくは何もしてなかったのに」、「ちょっとだけ、おたまじゃくしを見てただけなのに」と思っているのである。たしかに子どもたちは「ちょっとだけ」何かをしていたのである。【9】しかし、残念なことに、それは大人のもっている時計では、「一時間」も道くさを食っていたことになるのだ。
 おたまじゃくしを見ていた子どもが、一時間を「ちょっとの間」と思ったように、われわれ大人でも、同じ一時間を、長く感じたり短く感じたりする。【0】時計の上では一時間であっても、経験するものにとっては、その一時間の厚みが異なるように感じられるのである。もちろん、時間そのものには厚みなどあるはずがないから、あくまで、それを経験するものの主観として、厚みが生じてくるのだ。
 何かひとつのことに熱中していると、時間が早くたっていくことは誰(だれ)もが知っていることである。といっても、何かひとつのことをしていると、必ず充実(じゅうじつ)した時間を過ごしたことになるとは限らない。たとえば、テレビのドラマなどを見るともなく見ていると、ついひきこまれて終わりまで見てしまう。終わってみるといつの間にか一時間たってしまっている。しかし、このあとでは充実(じゅうじつ)感よりも空虚(くうきょ)な感じを味わうことだってある。時間は早くたったと感じられるが、その厚みの方はうすく感じられるのである。
 あるいは、ひとつのことをしていても時間が長く感じられるときもある。その一番典型的な場合は、「待っている」時間である。誰(だれ)かが来るのを待っているとき、われわれはなかなか他のことができない。そわそわしながら待つ。しかもその間は随分(ずいぶん)と長く感じられるのである。「待つ」ということだけをしているのだが、時間を長く感じてしまう。
 これらのことを考えると、自分のしていることに、その主体性がどのように関係しているかにしたがって、時間の厚みが異なってくるらしいと思われる。「待つ」ことは、受動的なことである。その人がいつ来るかは、その人の行動にまかされているわけで、待っている方としては、ただそれにしたがって待つより仕方がないのである。これはテレビの場合でも同様である。テレビを見終わって充実(じゅうじつ)感のない場合は、私たちがテレビを見たのではなく、テレビが私たちをひきこんでしまったのである。私たちは受動的に見ていたのだ。(中略)
 テレビは見たいが勉強はどうするのか、父親は野球が見たいが子供は漫画(まんが)が見たい。これをどう解決するか。食事中にテレビを見ないのはわが家のおきてである。ところが、食事時間にどうしても見たい番組ができた。これをどうするか。
 これらの葛藤(かっとう)と対決していくことによってこそ主体性が得られる。対決を通じて獲得(かくとく)した時間、それは主体性の関与(かんよ)するものとして、「厚み」をもった時間の体験となるのである。

(河合隼雄(はやお)「子どもの『時問』体験」より)

問1:幼児が「また、あしたにしよう」と言うとき、その「あした」は、大人が使う「あした」とどのように違う(ちがう)場合がありますか。  60~70字
文字数(もじすう):0字



問2:おたまじゃくしを見ていた子どもが、一時間も道くさをしたのに「ちょっとだけ」と感じていたのはなぜですか。  60~70字
文字数:0字



問3:筆者は、テレビを何となく見て過ごした一時間は、早く過ぎても「厚み」がうすく感じられることがあると述べています。それはなぜですか。  60~70字
文字数:0字



問4:筆者は、自分の主体性が関わることで「厚み」をもった時間になると考えています。あなたが、自分で考えて選び、充実(じゅうじつ)した時間を過ごした経験を一つ挙げ、主体性と時間の感じ方について考えたことを書きなさい。  100~120字
文字数:0字