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記述の森の記述検定
★10月の問題だけができるようになっています。
 読む力、書く力、考える力を育てる
 記述の森の記述検定  編集
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題名:○私は『牡丹灯籠』の
 【1】私は『牡丹(ぼたん)灯籠(どうろう)』の速記本を近所の人から借りて読んだ。その当時、わたしは十三、四歳(さい)であったが、一編の眼目とする牡丹(ぼたん)灯籠(どうろう)の怪談(かいだん)の件を読んでも、さのみに怖い(こわ )とも感じなかった。どうしてこの話がそんなに有名であるのかと、いささか不思議にも思う位であった。【2】それから半年ほどの後、円朝が近所(麹町(こうじまち)区山元町)の万長亭(てい)という寄席へ出て、彼(か)の『牡丹(ぼたん)灯籠(どうろう)』を口演するというので、私はその怪談(かいだん)の夜を選んで聴き(き )に行った。作り事のようであるが、あたかもその夜は初秋の雨が昼間から降りつづいて、怪談(かいだん)を聴く(き )には全くお誂え(あつら )向きの宵(よい)であった。
【3】「お前、怪談(かいだん)を聴き(き )に行くのかえ」と、母は嚇す(おどか )ようにいった。
「なに、牡丹(ぼたん)灯籠(どうろう)なんか怖く(こわ )ありませんよ。」
 速記の活版本でたかをくくっていた私は、平気で威張っ(いば )て出て行った。ところが、いけない。【4】円朝がいよいよ高座にあらわれて、燭台(しょくだい)の前でその怪談(かいだん)を話し始めると、私はだんだんに一種の妖気(ようき)を感じて来た。満場の聴衆(ちょうしゅう)はみな息を嚥(の)んで聴き(き )すましている。伴蔵()とその女房(にょうぼう)の対話が進行するにしたがって、私の頸()のあたりは何だか冷たくなって来た。【5】周囲に大勢の聴衆(ちょうしゅう)がぎっしりと詰めかけ(つ   )ているにもかかわらず、私はこの話の舞台(ぶたい)となっている根津(ねづ)のあたりの暗い小さい古家のなかに座って、自分ひとりで怪談(かいだん)を聴か(き )されているように思われて、ときどきに左右を見返った。今日と違っ(ちが )て、その頃(ころ)の寄席はランプの灯が暗い。【6】高座の蝋燭(ろうそく)の火も薄暗い(うすぐら )。外には雨の音が聞こえる。それらのことも怪談(かいだん)気分を作るべく恰好(かっこう)の条件になっていたには相違(そうい)ないが、いずれにしても私がこの怪談(かいだん)におびやかされたのは事実で、席の刎()ねたのは十時頃(ころ)、雨はまだ降りしきっている。私は暗い夜道を逃げる(に  )ように帰った。
 【7】この時に、私は円朝の話術の妙(みょう)ということをつくづく覚った。速記本で読まされては、それほどに凄く(すご )も怖(おそ)ろしくも感じられない怪談(かいだん)が、高座に持ち出されて円朝の口に上ると、人を悸()えさせるような凄味(すごみ)を帯びて来るのは、実に偉い(えら )ものだと感服した。【8】時は欧化(おうか)主義の全盛時代で、いわゆる文明開化の風が盛んに吹き(ふ )捲く(ま )っている。学校に通う生徒などは、もちろん怪談(かいだん)のたぐいを信じないように教育されている。【9】その時代にこの怪談(かいだん)を売り物にして、東京中の人気を殆ど(ほとん )独占(どくせん)していたのは、怖い(こわ )物見たさ聴き(き )たさが人間の本能であるとはいえ、確かに円朝の技倆()に因るものであると、今でも私は信じている。【0】(中略)
 前にもいう通り、話術の妙(みょう)をここに説くことは出来ないが、たとえばかの孝助が主人の妾(めかけ)お国の密夫源次郎(げんじろう)を突こ(つ )うとして、誤って主人飯島平左衛門を傷つけ、それから屋敷(やしき)をぬけ出して、将来の舅(しゅうと)たるべき相川新五兵衛の屋敷(やしき)へ駈け(か )付けて訴える(うった  )件など、その前半は今晩の山であるから面白いに相違(そうい)ないが、後半の相川屋敷(やしき)は単に筋を売るに過ぎないであまり面白くもない所である。速記本などで読めば、軽々に看過ごされてしまう所である。ところが、それを高座で聴か(き )されると、息もつけぬほどに面白い。孝助が誤って主人を突い(つ )たという話を聴き(き )、相手の新五兵衛が歯ぎしりして「なぜ源次郎(げんじろう)……と声をかけて突か(つ )ないのだ」と叱る(しか )。文字に書けばただ一句であるが、その一句のうちに、一方には一大事出来(しゅったい)に驚き(おどろ )、一方には孝助の不注意を責め、また一方には孝助を愛しているという、三様の意味がはっきりと現れて、新五兵衛という老武士の風貌(ふうぼう)を躍如(やくじょ)たらしめる所など、その息の巧み(たく )さ、今も私の耳に残っている。団十郎(じゅうろう)もうまい、菊五郎(きくごろう)もうまい。しかも俳優はその人らしい扮装(ふんそう)をして、その場らしい舞台(ぶたい)に立って演じるのであるが、円朝は単に扇(おうぎ)一本をもって、その情景をこれほどに活動させるのであるから、実に話術の妙(みょう)を尽くし(つ  )たものといってよい。名人はおそるべきである。

(岡本(おかもと)綺堂(きどう)『岡本(おかもと)綺堂(きどう)随筆(ずいひつ)集』による)

問1:  ~字
文字数(もじすう):0字



問2:  ~字
文字数:0字



問3:  ~字
文字数:0字



問4:  ~字
文字数:0字