未ログイン ログイン
記述の森の記述検定
★10月の問題だけができるようになっています。
 読む力、書く力、考える力を育てる
 記述の森の記述検定  編集
※最初にログインをしてください。言葉の森の団体コードは、aaa001です。
※解答欄への入力は、音声でもテキストでもどちらでもできます。

題名:★盆栽の話を(感)
 【1】盆栽(ぼんさい)の話をしよう。
 こう切り出せば好事家はともかく、おおかたの知識人は眉(まゆ)をひそめるに相違(そうい)ない。【2】自然の樹の姿をねじまげるのは心ない仕業だ、のびのびと枝葉を繁ら(しげ )せよ、という自然主義によって盆栽(ぼんさい)のサロン芸的矮小(わいしょう)性を批判し、その前近代性をあばく前に、ともかくこの高度の園芸術の素性を見定めねばならない。
 【3】武蔵野の深い森に囲まれた皇居の一隅(いちぐう)に数百鉢(はち)の盆栽(ぼんさい)を保有する御苑(ぎょえん)がある。日本史を飾る(かざ )お歴々の寄進した逸品(いっぴん)ぞろいのなかに三代将軍徳川家光の愛した五葉の松まで目にすれば、この国の園芸文化の奥深(おくふか)さにただ脱帽(だつぼう)するしかない。【4】しかも盆栽(ぼんさい)愛好の風潮は権門貴顕(きけん)に限らず広く市井(しせい)に浸透(しんとう)している。愛好層の広さと息の長さはやはりただごとではない。今日、日本のどんな片田舎へ行っても一つや二つの盆栽(ぼんさい)愛好会はあるものだ。人口が十万の都会となれば、その数は十は下らないだろう。
 【5】大衆文化としての盆栽(ぼんさい)愛好に関するこの連綿たる事実は、戦後、俳句第二芸術論が知識人を衝撃(しょうげき)したにもかかわらず俳句熱はいっこう衰える(おとろ  )どころか、ますます市井(しせい)において盛んなことを想い起こさせる。
 【6】いったい盆栽(ぼんさい)とは日本の生活史のなかでどういう位置を占める(し  )のだろうか。
 盆栽(ぼんさい)の起源についてのこまかな詮索(せんさく)はともかく、およそ平安末ないし鎌倉(かまくら)期に発した盆栽(ぼんさい)は、中世を通じて庭先の台または縁(えん)に置かれ、庭の築山を背景として楽しむならわしだった。【7】その様子を書いた『慕()帰絵詞』などを見ると、盆栽(ぼんさい)は庭の一部で、しかも濡れ縁(ぬ えん)の延長でもある。築山と盆栽(ぼんさい)の関係は、あたかも自然の山峰(さんぽう)とそれを借景した庭のような関係を成している。盆栽(ぼんさい)は築山を背景として眺める(なが  )ものだったらしい。
 【8】また一方、室町期に山峰(さんぽう)の叙景(じょけい)術として出現した立花は、次第に花への意識を集中させるため抽象(ちゅうしょう)性を高めながら、一方で花の床(とこ)映りをよくするため庭の花影(はなかげ)は逆にこれをつとめて抑制(よくせい)させる渋(しぶ)好みの庭園を発展させた。【9】生け花もまた、庭との関係が常に強く意識されていたのだった。つまり、山、借景庭、濡れ縁(ぬ えん)の盆栽(ぼんさい)、床(とこ)の生け花という、野生から掌中(しょうちゅう)にいたる序列化された自然の鎖(くさり)が、日本人の生活空間を貫い(つらぬ )ていたと思えてならない。この山水の美的序列は座敷(ざしき)と庭との不即不離(ふそくふり)な関係と並行していた。(中略)
 【0】自分の志操を山水に託し(たく )、これを胸中に収めた日本人はたしかに自然を愛したが、しかし、原始のままの自然を身近に置いたりはしなかった。自然と人間の間のとり方が問題であった。
 すなわち、太古の自然は敬して遠ざけ、しかるのち邸(てい)内に築いた庭にこれを借景としてとり入れた。庭はやがて軒下(のきした)に凝縮(ぎょうしゅく)されて坪(つぼ)庭となり、さらに盆栽(ぼんさい)となる。自然を社会化するこの流れは、土を払い(はら )落とした草木が床(とこ)の間へ上り、人々が華(はな)の幻(まぼろし)をそこに見るまでやまなかった。巧み(たく )に巧ま(たく )れてついに身辺へたぐり寄せられた山水は、作法美の域にいたってようやく人々の掌中(しょうちゅう)に収められたのだ。
 生命現象の次元では手つかずの自然は尊いが、文化現象の話になれば自然は作法化されなければならなかった。それは人間と自然との美的黙約(もくやく)である。

(「風景学・実践(じっせん)篇(へん)」(中村良夫)より)

問1:  ~字
文字数(もじすう):0字



問2:  ~字
文字数:0字



問3:  ~字
文字数:0字



問4:  ~字
文字数:0字