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記述の森の記述検定
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 記述の森の記述検定  編集
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題名:★化粧することや(感)
 【1】化粧(けしょう)することや食べることを始めとする、電車の中での人前での行為(こうい)については、すでにいろいろ論じられている。一つは、若い人々は、他人に対して透明(とうめい)なバリヤのようなものを張り巡らし(は めぐ  )て、自分の空間を遮断(しゃだん)しているから、人中での化粧(けしょう)も食事も平気なのだという言い方。【2】つまり、彼ら(かれ )の前には他人はいるのだが、いないも同然だから見られても平気だというのだ。もう一つは、今の若い人々の間でプライベート空間についての考え方の変化が起こったという言い方。【3】つまり、自分の部屋が電車の中にそのまま移動したような感覚をもっているから、座席に坐り(すわ )ながら音楽を聞いたり、漫画(まんが)を見たり、勉強をしたり、化粧(けしょう)をしたり、食事をしたりすることに何の抵抗(ていこう)もないのだそうだ。【4】彼ら(かれ )の間では、公的空間と私的空間の区別はもはや意味をもたない。二つは溶け合い(と あ )、境界は不分明になり、自分のいるところはいつでもプライベート空間に変貌(へんぼう)する。
 【5】なるほど、目の前には、隣(となり)には、他人はいるが、しかし彼ら(かれ )は単にそこに居合わせただけであって、そのことによって自分たちの行為(こうい)が変わるわけではない。他人に迷惑(めいわく)さえかけなければ、化粧(けしょう)も食事もウォークマンもいいではないか。【6】自分の坐っ(すわ )ている場所は、自分の空間、要するに、プライベート空間なのである。バリヤでもプライベート空間でも、自分たちの周囲には透明(とうめい)な幕が張り巡らさ(は めぐ  )れていて、そこには他人は入ることはできない。【7】だから、そばに他人がいても、その他人が彼ら(かれ )の関心をひくことはない。かくして、実に奇妙(きみょう)な光景が電車の中に現れることになる。
 だが、本当にそうだろうか。わたしはむしろ逆の事態が起こっているのではないかと考えている。【8】そこにあるのは、他人への無関心ではなく、逆に他人視線への強い欲望なのではないか。要するに、他人がいるのにその他人への心が働かないというのではなく、それは今までとは違う(ちが )、自分を現す一つの方なのではないか。【9】実は、彼ら(かれ )は自分たちの行為(こうい)をもっと見てもらいたいではないか。あれらの現象は、誰か(だれ )に見られたい、人々に注目されたい、みなの中で目立ちたいという欲求が日常の場面にまで及ん(およ )で、今や人々の根源的欲求になったということを示しているのではないだろうか。【0】電車の中で突飛(とっぴ)な行動をしたり奇声(きせい)を発したりすることで、人々の関心を買うといったことならば、別にどうということはない。私が奇妙(きみょう)な恐(こわ)さを感じるのは、そこにそういう何か特別のことで見られたいというのではない欲求が働いているのではないかと思われる点なのだ。
 それは単に、見られたい、注目されたい、目立ちたいというのではなく、見られることでしか自分の存在を確認することができないというあり方、誰か(だれ )に見てもらわないと何もできないし、見てもらわないと困るといったような欲求の切実さである。しかもそれが反復的な日常の基本動作にまで及ん(およ )でいるという事態にこれまでとは違う(ちが )恐(こわ)さがある。だからこそ、今までは家の中で行われていた日常のありふれた行為(こうい)が人前に現れることになったのではないか。私はこの日常のありふれた行為(こうい)の出現に気持の悪さを感じる。朝食をとることや、化粧(けしょう)をしたりすることは、顔を洗ったり、歯をみがいたりすることと同様に、家の中での行為(こうい)だった。日常を支える基本的行為(こうい)は、誰(だれ)にとってもありふれたもので、それゆえ人目を引くものではない。しかし、だからこそ、その行為(こうい)は自分の生を作る自明な繰り返し(く かえ )として家の中の生活習慣であり続けた。そのような日常の生活習慣は、他人に関わる行為(こうい)ではなく、自分自身に関わること、自分自身の世話をすることとして、自分の生活の基本になっている。それは他人に見られるからするのではなく、自分が自分のために自らするのである。
 この基本が壊れ(こわ )つつあるのではないか。自分の世話が自分でできなくなっているのではないか。睡眠(すいみん)、排泄(はいせつ)、洗顔、歯磨き(はみが )、食事などを始め、日常生活の細部に渡っ(わた )て、自分が自分の生活を配慮(はいりょ)すること、つまり、自己への配慮(はいりょ)が崩れ(くず )、それさえも他人による支えが必要なのだとしたら、これはほとんど親という他人の配慮(はいりょ)のもとでしか生存できない子供の世界ということになるのではないか。
(庭田茂吉()「ミニマ・フィロソフィア」より)

問1:電車内で化粧(けしょう)や食事をする若者について、一般(いっぱん)的にはどのような説明がなされていますか。「他人」と「空間」という二つの観点を含め(ふくめ)て説明しなさい。  60~70字
文字数(もじすう):0字



問2:筆者は、電車内での若者の行為(こうい)を「他人への無関心」ではなく、むしろ「他人視線への強い欲望」の表れだと考えています。それはどういうことですか。  60~70字
文字数:0字



問3:筆者が、人前で行われる「日常のありふれた行為(こうい)」に特に「恐(こわ)さ」や「気持の悪さ」を感じるのはなぜですか。  60~70字
文字数:0字



問4:筆者は、自分の生活を自分のために整える「自己への配慮(はいりょ)」が重要だと考えています。現代ではSNSなどを通して他人の反応を意識する機会も増えています。他人からの評価と「自己への配慮(はいりょ)」をどのように両立させるべきか、具体例を挙げて論じなさい。  100~120字
文字数:0字