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題名:★テレビの前では(感)
【1】テレビの前では、私たちは自分の個人的体験をあまり考慮することなく、映像に比較的忠実に物語を見ている。【2】また、茶の間や自分の小さな部屋にいながら、世界全体と直接交流しているかのような錯覚に陥ることは当然体験される。あたかも自分がその番組に参加しているような気安さもある。
【3】この点は映画を見る時とは違うものであり、映画にあっては、やはり映画独特の世界の中に出向いているのだという「お客さん」意識があるものである。茶の間の雰囲気とテレビの映像は矛盾なくつながる。【4】食事中に殺人事件や暴力事件が報道されても、私たちは平気でいたりする。このようなテレビ文化がいろんなところに大きな影響力をおよぼすであろうことは、容易に想像できることである。
【5】たとえば選挙にあっても、あるいは商品のコマーシャルにあっても、テレビなしにはそれらの選挙活動も、商品の販売力の増大も難しいものである。【6】現代においては、あらゆる生産品ないし商品は、もはやその性能においても同じレベルであることが多い。そうなると宣伝力、とくにテレビでの宣伝力が大きくその販売力を動かす。【7】見ている人の消費熱をいかに引き出すかということがコマーシャルの最大の使命であるが、コマーシャルの送り手と視聴者は、いわば欲望を引き出そうとする者と引き出されてしまう者の関係にある。【8】つまり茶の間でテレビを通じ、視聴者と生産者が欲望を介して手をつないでいるのである。
【9】このようなテレビを中心とした映像文化に、生まれたときからなじんでいる人間と人生の途中からそれを知った人間とは、どこか違うように思われる。【0】実際、若者にとって本を中心にした楽しみは急速に減少しているようだ。出版社の人たちに聞いてみても内容が難しく、かつぺージ数の多い本は売れにくくなりつつあるという。さらに山手線を一周する間に読み切れるくらいの本でなければ売れないともいう。そうなると、彼らが手にとるのは本といっても名ばかりのものであって、映像に近い本が中心になるのは当然の経過であろう。また、なまじ小説ばかり読んでいる人のほうが精神的に不健康というデータすら見られる。
活字の本とテレビを中心とした映像文化と、どこが違うのであろうか。まず、本は自分で買うという能動性が要求される。また、それを読むにはかなりの時間がかかるし、思考プロセスが相当、介入するものである。批判的なスタンスを取ることが可能であると同時に、それを要求されるものでもある。そしてまた、個人の想像力がテレビ以上に要求されるものであることは言うまでもない。ラジオもまた、映像がないだけにテレビ以上に想像力が要求される。逆にテレビの場合はチャンネルをつけるまでは能動性はあるにしても、映っている画像、流れてくる情報に対して、私たちは完全に受動的な立場となる。とくにいやおうなく私たちの欲望を引き出そうとするコマーシャルに対して批判的なスタンスを取ることはきわめて難しいことである。ただし、テレビの場合、映像を自分なりに解釈することができるという側面も論理的には否定できない。なぜなら、テレビの情報提供者がいかにある種の情報のみを流そうとしても、映像を通じて、解説されている内容以外の客観的情報を受け手が得る可能性も充分あるからである。しかし実際には、解説が入ると批判的に見ることはかなり困難であろう。