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記述の森の記述検定
★10月の問題だけができるようになっています。
 読む力、書く力、考える力を育てる
 記述の森の記述検定  編集
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題名:○田中美知太郎さんが
 【1】田中美知太郎(みちたろう)さんがプラトンの事を書いていたのを、いつか読んで大変面白いと思った事がありますが、プラトンは書物というものをはっきり軽蔑(けいべつ)していたそうです。【2】彼(かれ)の考えによれば、書物を何度開けてみたって、同じ言葉が書いてある、一向面白くもないではないか、人間に向って質問すれば返事をするが、書物は絵に描い(えが )た馬の様に、いつも同じ顔をして黙っ(だま )ている。人を見て法を説けという事があるが、書物は人を見るわけにはいかない。【3】だからそれをいい事にして、馬鹿(ばか)者どもは、生齧り(かじ )の知識を振り(ふ )廻し(まわ )て得意にもなるのである。プラトンは、そういう考えを持っていたから、書くという事を重んじなかった。書く事は文士に任せて置けばよい。哲学(てつがく)者には、もっと大きな仕事がある。【4】人生の大事とは、物事を辛抱強く(しんぼうづよ )吟味(ぎんみ)する人が、生活の裡(うら)に、忽然と(こつぜん )悟る(さと )ていのものであるから、たやすく言葉には現せぬものだ、ましてこれを書き上げて書物という様な人に誤解されやすいものにして置くという様な事は、真っ平である。【5】そういう意味の事を、彼(かれ)は、その信ずべき書簡で言っているそうです。従って彼(かれ)によれば、ソクラテスがやった様に、生きた人間が出会って互いに(たが  )全人格を賭し(と )て問答をするという事が、真智(しんち)を得る道だったのです。【6】そういう次第であってみれば、今日残っている彼(かれ)の全集は、彼(かれ)の余技だったという事になる。彼(かれ)のアカデミアに於け(お )る本当の仕事は、皆(みな)消えてなくなって了(しま)ったという事になる。そこで、プラトン研究者の立場というものは、甚だ(はなは )妙(みょう)な事になる、と田中氏は言うのです。【7】プラトンは、書物で本心を明かさなかったのだから、彼(かれ)自ら哲学(てつがく)の第一義と考えていたものを、彼(かれ)がどうでもいいと思っていた彼(かれ)の著作の片言隻句(せっく)からスパイしなければならぬ事情にあると言うのです。【8】今日の哲学(てつがく)者達は、哲学(てつがく)の第一義を書物によって現し(ママ)、スパイの来るのを待っている。プラトンは、書物は生きた人間の影(かげ)に過ぎないと考えていたが、今日の著作者達は、影(かげ)の工夫に生活を賭し(と )ている。習慣は変って来る。【9】ただ、人生の大事には汲み(く )尽せ(つく )ないものがあるという事だけが変らないのかも知れませぬ。
 文学者は、皆(みな)口語体でものを書く様になったので、書く事と喋る(しゃべ )事との区別が曖昧(あいまい)になったが、曖昧(あいまい)になっただけです。両者が歩み寄って来た様に思うのも外見に過ぎない。【0】あれが文学で、あれが文章なら、自分にも書けそうだという人が増えた、文学を志望する事がやさしくなった、それだけの話で、とるに足らぬ事だ。それよりもよく考えてみると、実は、文学者にとって喋る(しゃべ )事と書く事とが、今日の様に離れ離れ(はな ばな )になって了(しま)った事はないという事実に注意すべきだと思います。昔、歌われる為(ため)、語られる為(ため)の台本だった書物は、印刷され定価がつけられて、世間にばらまかれれば、これを書いた人間ももうどうしようもないという事になりました。今日の様な大散文時代は、印刷術の進歩と離し(はな )ては考えられない、と言う事は、ただ表面的な事ではなく、書く人も、印刷という言語伝達上の技術の変革とともに歩調を合わせて書かざるを得なくなったという意味です。昔は、名文と言えば朗々誦す(しょう )べきものだったが、印刷の進歩は、文章からリズムを奪い(うば )、文章は沈黙(ちんもく)して了(しま)ったと言えましょう。散文が詩を逃れる(のが  )と、詩も亦(また)散文に近づいて来た。今日、電車の中で、岩波文庫版で金槐集(きんかいしゅう)を読む人の、考えながら感じている詩と、愛人の声は勿論(もちろん)その筆跡(ひっせき)まで感じて、喜び或いは(ある  )悲しむ昔の人の詩とはなんという違い(ちが )でしょう。散文は、人の感覚に直接訴える(うった  )場合に生ずる不自由を捨てて、表現上の大きな自由を得ました。この言わば肉体を放棄(ほうき)した精神の自由が、甚だ(はなは )不安定なものである事は、散文が、自分を強制する事も、読者を強制する事も、自ら進んで捨てた以上仕方がない事でしょう。いい散文は、決して人の弱味につけ込み(  こ )はしないし、人を酔(よ)わせもしない。読者は覚めていれば覚めている程いいと言うでしょう。優れた散文に、もし感動があるとすれば、それは、認識や自覚のもたらす感動だと思います。

 (小林秀雄(ひでお)『考えるヒント』)

問1:  ~字
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問2:  ~字
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問3:  ~字
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問4:  ~字
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