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記述の森の記述検定
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 読む力、書く力、考える力を育てる
 記述の森の記述検定  編集
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題名:○思想を持てば
 【1】思想を持てば、思考の力はその分おとろえる。ものを考え続けるためには、すでに考えられてしまったことを、そのつど打ち捨てていかなくてはならない。でも、ひとりでそれをやるのはとてもむずかしい。【2】だから、自分にかわってそれをやってくれるひとだけが、つまり有効な批判をしてくれる人だけが、哲学(てつがく)上の友人(=協力者)なのだ。だから、真の友人を求めるかぎり、批判者を批判しつづけなければならない。
 では、批判が有効であることの基準は何か。【3】それは有効な批判が出てきた時点ではじめてわかることだ。有効な批判の成立そのものが批判の有効さの基準をはじめて作りだす。これは哲学(てつがく)的議論のひとつの特徴(とくちょう)であり、弁証法という奇妙(きみょう)な訳語で知られるディアレクティークという語のもっとも深い意味だ。【4】それはいわば、闘争(とうそう)の勝敗を決める基準そのものが、その闘争(とうそう)の中で生み出されるような特殊(とくしゅ)な闘争(とうそう)なのだ。それでもそれが闘争(とうそう)でないのは、その未知の基準を生み出すために、お互い( たが )が協力しあうからである。
 【5】たいていのひとは、議論するということを相手の考えを論破して自分の考えを弁護することだと思っている。政治的議論のようなものなら、もちろんそうだろう。たとえば原発とか消費税といった問題についてなら、どのような思考過程をへてであれ、いま自分と同じ結論に達しているひとこそが自分の友人であろう。【6】そして、自分と同じ主張を別の論拠(ろんきょ)から擁護(ようご)してくれるひとは、最もたのもしい協力者だろう。だが、哲学(てつがく)においては、論拠(ろんきょ)がちがう同じ主張なんてものはそもそも存在しない。たまたま字面のうえで同じ結論を主張するひとがいても、彼(かれ)は友でも敵でもない【7】(もちろん原発や消費税についても哲学(てつがく)的に考察することはできるが、それは結論を得るということに本質的な興味をもたない場合にかぎられる)。
 哲学(てつがく)の議論は、思想を持つ者どうしの通常の討論とは逆に、自分では気づかない自説の難点や弱点を相手に指摘(してき)してもらうことだけをめざしておこなわれる。【8】ぼくの経験した範囲(はんい)では、大森荘蔵()さんと議論したとき、彼(かれ)が完璧(かんぺき)に哲学(てつがく)的であると感じた。大森さんは現在の自説が有効に論駁(ろんばく)されることにしか興味を持っておられないようであった。こういう純粋(じゅんすい)に哲学(てつがく)的な態度は、議論における公正な態度と誤解されがちだが、そうではない。【9】実は、単に利己的なだけなのだ。哲学(てつがく)とはまったく利己的なものなのだが、幸いにしてその利は、だれも他に欲しがるひとがいない自分だけの利であるため、あたかも公正な態度のように見えるのである。
 【0】だから、哲学(てつがく)の場合、友人と論敵はぴったり一致(いっち)する。同じ問いを共有し、協力してそれを徹底的(てっていてき)に解明し尽くし(つ  )たいと思う友人としか、そもそも敵対することができないからだ。それ以外の場面では、哲学(てつがく)はひとと論じあうべき理由はないし、そもそもほんとうは公表すべき理由さえないのだと思う。哲学(てつがく)というものは本来、黙っ(だま )て墓場へ携え(たずさ )ていき、持ち主の死とともに消滅(しょうめつ)してよいものなのではないだろうか。思想は公表されなければ意味がないが、哲学(てつがく)はちがう。賛同者がふえることは、思想にとっては最も望ましいことであろうが、哲学(てつがく)にとっては本質的な意味はないだろう。

(『「子ども」のための哲学(てつがく)』永井(ながい) 均)

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