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音読の丘
 音読で、読む力、書く力が育つ。
 オンドリくんの 音読の丘
※最初にログインをしてください。言葉の森の団体コードは、aaa001です。
※音読の丘は、家庭での音読の練習用として使ってください。
1.音読する文章が2つある場合は、最初の方の文章を音読してください。
2.はじめに、音声入力を始めるのボタンを押してください。
3.音読が終わったら音声入力を止めるのボタンを押してください。
4.音声入力を止めたあと、結果を送信するのボタンを押してください。



 【1】読書の楽しみは一人でできる楽しみです。碁(ご)を打つには相手がいる。野球を楽しむには自分の他に少なくとも十七人の賛同者が必要でしょう。そういう楽しみは、いつでもどこでも、というわけにはゆきません。【2】道具や、設備や、場合によっては途方(とほう)もなく広い場所がなければ、どうにもならない。読書の方は、設備も要らず、どこかへ出かけるにも及ば(およ )ず、相手と相談もせず、気の向くままにいつでもどこでもできます。【3】蛍(ほたる)の光窓(まど)の雪というのは、貧富の差が大きく、灯火用の油の値段(ねだん)が高すぎたむかしの話です。今は電気がいたるところにあるので、誰(だれ)でも、望めば昼となく夜となく好きな本を読むことができるでしょう。こんな便利な娯楽(ごらく)はめったにありません。
 【4】しかも、当方の体力とはほとんど関係がない。老人子供(こども)、病人でも、多くの場合には、それぞれ読んで楽しめます。疲れ(つか )ているときでも、易しい疲れ(つか )ない本を選びさえすればよい。しかもカネがかからない。【5】本が高くなったといっても、どこかの「ファミリー・レストラン」で二、三度食事をする値段(ねだん)で、大抵(たいてい)の本は買えます。それでも買えないほど高い本は、公共図書館にあり、そこから借りればタダですむでしょう。こんなに安くて便利な楽しみを知らぬ人がいるとすれば、その気の毒な人に同情しなければなりません。
 【6】「オーディオ・ヴィジュアル()」の情報が、活字情報を駆逐(くちく)する(追いはらう)時代が来た、という人がいます。「ヴィジュアル()」とは感覚的ということで、たとえば肖像(しょうぞう)写真が一人の男または女の顔を示すのは「ヴィジュアル()」な情報です。【7】しかしその他の誰(だれ)とも違う(ちが )顔の特徴(とくちょう)を言葉であらわすのは容易なことではありません。肖像(しょうぞう)写真は、活字の何十ページ、いや、おそらく何百、何千ページに相当する情報を一挙に伝えることができます。【8】しかしその男または女が、昨日はソバを食べた、明日はウドンを食べるだろう、という活字の一行に相当する情報を伝えることはできません。肖像(しょうぞう)写真は人物の顔の現在であって、過去も、未来も、表現できない。【9】「ヴィジュアル()」な情報と言葉による情報(そのひとつが活字情報)とは、互いに(たが  )他を補う(おぎな )ので、一方が他方を駆逐(くちく)するのではないし、一方が他方に代わるのでもありません。言葉は耳で聞くこともできます。耳で聞くのが「オーディオ」。【0】活字の文章は、声に出して読んでテープレコーダーに記録することができるでしょう。しかしそうすることが便利な場合と、不便な場合があります。活字の文章でなく音楽の記録ならば、あきらかにテープレコーダーが便利な道具です。六法全書をテープレコーダーに吹き込む(ふ こ )のは、あまりに不便だから誰(だれ)もしないことです。要するに活字時代の後に「オーディオ・ヴィジュアル()」の時代が来たのではなく、活字情報に「オーディオ・ヴィジュアル()」の情報が加わったというだけのことです。どちらも楽しめばよいので、どちらか一方だけを選ぶ必要はまったくありません。
 それでは読書そのものに、どういう種類の楽しみが伴う(ともな )でしょうか。それは人により、本によって違う(ちが )でしょう。もし共通の楽しみがあるとすれば、それは知的好奇(こうき)心のほとんど無制限な満足ということになるかもしれません。世の中には好奇(こうき)心を刺激(しげき)する対象が数限りなくあるでしょうから、対象を移して、好奇(こうき)心の満足を広げてゆくこともできるでしょう。読書の楽しみは無限です。時間をもてあましてすることがない、といっている人の心理ほどわかりにくいものはありません。人生は短く、面白そうな本は多し。一日に一冊(さつ)読んでも年に三百六十五冊(さつ)。そんなことを何十年もつづけることは不可能で、一生に一万冊(さつ)読むのもむずかしいでしょう。それは、たとえば東京都立中央図書館の蔵書(ぞうしょ)一五〇万冊(さつ)以上の一%にも足りないということです。面白そうな本を読みつくすことは誰(だれ)にもできないのです。すべての本は特定の言語で書かれています。日本で出版される大部分の本の場合には、日本語です。本を沢山(たくさん)読むということは、日本語を沢山(たくさん)読むということであり、日本語による表現の多様性、その美しさと魅力(みりょく)を知るということもあるでしょう。私(わたし)は本を読んで日本語の文章を楽しんで来ました。それも読書の楽しみの一つです。
 
 (加藤(かとう)周一 「読書術」による)