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音読の丘
 音読で、読む力、書く力が育つ。
 オンドリくんの 音読の丘
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※音読の丘は、家庭での音読の練習用として使ってください。
1.音読する文章が2つある場合は、最初の方の文章を音読してください。
2.はじめに、音声入力を始めるのボタンを押してください。
3.音読が終わったら音声入力を止めるのボタンを押してください。
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 【1】日本語は、いままで日本民族によってしか使われたことのない内輪の言語、つまり部族言語です。どこの言語も初めは部族言語なのですが、それが外国に広まりだすと、外の視点(してん)が入ってきて言語の刈り(か )こみが行われてくるわけです。【2】その刈り(か )こみがはなはだしいのが英語です。英語というのは、外の視点(してん)と内の視点(してん)が合作でつくり上げためずらしい言語なのです。その点、ロシア語などは、多分にまだ内部の視点(してん)だけの言語ですが、それは国際普及(ふきゅう)の度合いが少ないからです。【3】日本語などはその最たるもので、これまで外側の目というのはまったくなかった。
 日本人は、自分の国の言語を国語と言ったり日本語と言ったりしますが、国語、日本語の対立は実はこの問題と関係があるのです。【4】国語として日本人が自分の言語を見るときは、完全に内側の視点(してん)で見ているのです。みんな、日常の文法などは知っているという前提で、日本語の文学とか詩が論じ(ろん )られる。つまり基本的知識のある者同士の話なのです。【5】ところが、外国人は、ことばのきまりも発音の仕方も知らないで日本語を習うのですから、外の視点(してん)しか持っていないということです。
 そして、私(わたし)たちの母語である日本語は、いま徐々に(じょじょ )外の視点(してん)を加味して整理される芽生えが出てきています。【6】もし外国人が日本語を学ぶ勢いがこのまま五十年、百年とおとろえなければ、日本語も大きく変わると思うのです。それは、英語が四百年の間にまったく変わってしまったのと同じで、日本語が国際普及(ふきゅう)するに従って( したが  )、外の人の影響(えいきょう)力が国内の日本語にもおよんでくる。【7】ただ、だからといって、日本本来の内側の視点(してん)は閉鎖(へいさ)社会のなごりだからやめるというのは、大きなまちがいです。英語でさえも、いまだにイギリス人しかわからない、彼ら(かれ )だけの内側の視点(してん)の部分があるのです。その外側に、人工的に刈り(か )こまれた英語の部分が付加されてきたということなのです。
 【8】日本語はまだこの部分が少ない。その証拠(しょうこ)に、日本語の字引はすべて国語辞書です。日本語の辞書は、ほとんどすべて日本語を内側の視点(してん)からしか見ていません。ですから、日本語国際普及(ふきゅう)の一つの大きな課題は外の視点(してん)を取り入れた日本語辞典をつくることです。【9】これは、一つの大事な国家的事業であり、個人ではできないことですから、国際交流基金などが中心にやるべき仕事だと思います。
 日本語は、外国人によって学ばれ、使われた経験がないために、植木屋を十年も入れなかった庭みたいでめちゃくちゃに枝がのびているという状態です。【0】多くの西洋の言語は、ヴェルサイユ()宮殿(きゅうでん)の庭木のように、整然と刈り(か )こまれ、人工的な手入れがされているのです。かつて大学の先生をやめてフランスで日本語を教えていた学者が、ことごとにフランスには整然たる文法があるのに、日本語には文法がないと言ったのも、そのへんの問題だと思うのです。
 フランスでも、十六、十七世紀のフランス語は、植木屋の手の入らない日本語みたいな状態にありました。それを研究所をつくり、一種の理念にもとづいた人工フランス語をつくって、それを世界普及(ふきゅう)のフランス語の中心にしたわけです。だから、それはフランス人にとっても学ばなければならない「外国語」でした。高等教育を受けたフランスの知識階級が話すフランス語と庶民(しょみん)が話すフランス語がいまだにちがうのは、庶民(しょみん)はお金をかけてフランス語を勉強していないからなのです。外国人がフランス語を学ぶのが易しいのは、人工的に整理されたフランス語だからです。それを文法と、かの学者は呼ん(よ )だわけです。
 日本語にはそれがないのです。日本語は、明治からいままで百年の間におどろくほど変わりました。戦後の四十年間でもどんどん変わっているという野放図な自然言語なのです。これは、外国に日本語はこれですよと教えるときには大きな障害(しょうがい)になるわけです。ですから、日本は、これからどうやって日本語を刈り(か )こんでいったら、国際普及(ふきゅう)の日本語になるかということを考えなければならない。そして、これは国家的な事業として相当大きな研究課題としてお金をかけ、真剣(しんけん)に取り組まないと、どうにもならないと思うのです。