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音読の丘
 音読で、読む力、書く力が育つ。
 オンドリくんの 音読の丘
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※音読の丘は、家庭での音読の練習用として使ってください。
1.音読する文章が2つある場合は、最初の方の文章を音読してください。
2.はじめに、音声入力を始めるのボタンを押してください。
3.音読が終わったら音声入力を止めるのボタンを押してください。
4.音声入力を止めたあと、結果を送信するのボタンを押してください。



 【1】端的(たんてき)にいって、私(わたし)たちは、お話を文学――文学のうちでも、文字によらず、声によって伝達される文学――と考えています。口承文学ということばもありますが、そういうかたいことばをさけるとすれば、文学作品を、語り手が、おもに声によって表現し、それを聞き手ともども楽しむことだといってもよいでしょう。【2】ですから、たとえば交差点の正しい渡り(わた )方を教えるためのお話、あるいは、幼稚園(ようちえん)などでよくやるような、集団生活のルールを教えたり、衛生上のしつけをするために聞かせるお話など、何かを教える方便としてのお話は、ここでは一応のぞいて考えます。母親や教師が、自分の見聞きしたこと感じ考えたことを話すのも同じです。【3】これらの話は、子どもにたいへん喜ばれますし、子どもとの気持ちの交流という点からいうと非常に貴重(きちょう)ですが、内容や表現が吟味(ぎんみ)され、個人的なつながりをもっている人だけでなく、もっと一般(いっぱん)に通用する文学的な価値(かち)をもつ場合を除い(のぞ )て、ここでいうお話には含め(ふく )ません。
 【4】したがって、ここで扱う(あつか )お話は、話そのものに文学的な価値(かち)があることを前提とします。この文学的価値(かち)ということは、たいへんむつかしい問題で、論じ(ろん )だせばきりがありませんが、ここでは、ひとまず、文学的に価値(かち)のある作品とは、「私(わたし)たちの心を楽しませ、人間についての私(わたし)たちの理解を助けてくれるもの」と、表現しておきましょう。【5】そして、この「心を楽しませる」ことの中には、内容だけでなく、その表現の形式からくる美しさが、私(わたし)たちの心を楽しませることが含ま(ふく )れていることを、とくに指摘(してき)しておきたいと思います。
 【6】さて、ではそういう作品をどこに求めるかということになりますと、具体的には昔話と創作(そうさく)(主として子ども向きの短編)ということになります。そして、語るという点からいえば、このうち、とくに昔話が重要になってきます。【7】昔話は、なんといっても本来語りつたえられてきたものなので、語って聞かせる話のそなえていなければならない基本的な条件を満たしているからです。【8】また、昔話は、一般(いっぱん)大衆(たいしゅう)の文学でしたから、とり扱う(あつか )テーマは、普遍(ふへん)的、根源(こんげん)的ですし、その表現形式は、簡潔(かんけつ)でそぼくな心の持ち主にもよくわかるようになっています。つまり、今日の子どもの興味や心理や理解能力によく合うのです。【9】昔話が、今日では、もっぱら子どものための文学になっているのはこのためでしょう。
 昔話の中には、単に語ることから生じた表現の形式や民衆(みんしゅう)の文学であることからくる内容の普遍(ふへん)性ということだけでなく、何かもっと大きな力がかくされているような気がしてなりません。【0】昔話は、文学のもとの形といってよいものですから、そこには、人間が物語を生み出し、それを支えてきた心の動きや力のもとが内蔵(ないぞう)されています。昔話のもつこのふしぎな力の本質を解き明かすことは、私(わたし)にはとうていできませんが、子どもの時代に、少しも昔話にふれることなく育ったら、文学を味わい楽しむために必要な、何か非常に大切な要素が欠けおちてしまうのではないか、とだけはいうことができます。
 語り手としても、もし、よい語り手になりたいと願うなら、たえず昔話にふれている必要があると私(わたし)は思います。それは、単に、そこから話の材料が得られるからというだけでなく、昔話に親しむことによって、「物語」やそれを「語る」ことの意味が少しずつわかってくるように思えるからです。お話に興味をもつ者にとっては、昔話は、たえずそこに自分をうるおしにかえっていかなければならない泉(いずみ)のようなものだと思います。