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音読の丘
 音読で、読む力、書く力が育つ。
 オンドリくんの 音読の丘
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※音読の丘は、家庭での音読の練習用として使ってください。
1.音読する文章が2つある場合は、最初の方の文章を音読してください。
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3.音読が終わったら音声入力を止めるのボタンを押してください。
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 【1】世界じゅう、どこに行っても日本人の旅行者たちは、身のまわりに、「日本」をもって動き回る。食べものも飲みものも言語も、ことごとく日本のもの――それにとりかこまれていないとなかなか安心できないのである。【2】旅行者たちをとりかこむ小さな「日本」、あるいは、彼ら(かれ )が持ち歩く「日本」、それを、わたしは「文化的カプセル」と名づける。日本人は、日本文化を微分(びぶん)化した小さなカプセルの中に入って、そこではじめて、安心するのである。【3】日本航空の客室は、そうしたカプセルのひとつであり、また日本人専用(せんよう)のホテルや観光バスもそれぞれに、「文化的カプセル」である。その中に入っているかぎり、目にみえない文化の皮膜(ひまく)のようなものが、日本人を外界から遮断(しゃだん)してくれるのである。【4】そして、その皮膜(ひまく)の中から日本人はほとんど足をふみ出そうとしない。もちろん、人間というものは、おしなべて保守的な存在(そんざい)であって、自分にとってなじみのある世界から離れる(はな  )ことを非常に嫌う(きら )習性がある。【5】じっさい、日本の観光客が「日本」にすっぽりとつつまれていることを批判(ひはん)するアメリカ人だって、みずからが外国旅行に出かけるときには、アメリカ文化の皮膜(ひまく)を身のまわりに張りめぐらしているではないか。【6】彼ら(かれ )は、アメリカの航空会社の飛行機にのり、世界の主要都市につくられたアメリカ資本のホテルに泊り(とま )、そして、食事といえばアメリカ風ハンバーガーだの、ステーキだのに安住する。文化的カプセルは日本だけの特産品なのではない。【7】アメリカ人だって、フランス人だって、それぞれの文化的カプセルにつつまれて生活するのが快適なのだ。そもそも「文化」というのは、そういう性質のものなのである。【8】日本人だけが「文化」の皮膜(ひまく)にかこまれていると考えるのは、まちがいだ。
 しかし、おそらくひとつ問題として残るのは、その皮膜(ひまく)の強度の問題であろう。【9】そしてわたしのみるところでは、日本人の場合、とりわけその「文化的カプセル」の外皮膜(ひまく)は、かなり強く、それを内がわから破ることを日本人はあまりしたことがないように思えるのだ。
 【0】ある年のお正月にも日本から一万人以上の観光客がハワイにやってきた。そんなにたくさんの日本人が一度に来たのは、ハワイにとってはじめてのことであったから、ハワイ州の観光局は、観光客を歓迎(かんげい)して特別のプログラムを組んだ。すなわち、ホノルルの市民に呼びかけ(よ   )て、日本の人たちを家庭に招きましょう、という「家庭訪問(ほうもん)」プログラムをつくったのである。じっさいハワイのホテルに宿泊(しゅくはく)し、観光バスに乗っているだけでは、ハワイ生活、あるいはアメリカ生活というのはわからない。相互(そうご)の理解を深めるためには家庭に招くのがいちばんよろしい。招くといってもせいぜい一時間か二時間、お茶でもさしあげましょう、といった程度の、きわめて気楽で簡単(かんたん)なご招待だ。大変結構なアイデアである。このプログラムはホノルルの新聞でもくわしく伝えられた。そして、数千人の市民たちが、ぜひ日本からのお客をもてなしたい、と申し出た。観光局はそのリストを整理して観光客を待ち受けた。そして次から次へと到着(とうちゃく)する日本人旅行者に、どうぞハワイの家庭を訪ね(たず )てください、とさそったのである。
 ところが、驚く(おどろ )べきことが起こった。この一万余の日本人が、ことごとく尻ごみ(しり  )したのである。関心を示さないのである。結局のところ、この「家庭訪問(ほうもん)」プログラムに応じてホノルルの家庭を訪ね(たず )た日本人は、たった六人であった。観光局が準備した歓迎(かんげい)計画は、完全に失敗した。
 しかし、もしこれと同じようなことを、事態を逆転して考えてみるとどういうことになるだろうか。つまり、アメリカから日本への観光客に、日本の家庭を訪ね(たず )てみませんか、とさそってみたら、どういう結果になるだろうか。わたしの観測では、多くのアメリカ人は身をのり出して、ぜひ訪問(ほうもん)してみたい、と好奇(こうき)の目を光らせるにちがいないのである。外国に出かけたのだからその土地の人と知り合いになってみるのはおもしろいことだ。いったいどんな家で、どんなふうにこの人たちは暮らし(く  )ているのだろう――そういう好奇(こうき)心が西洋人の心の中に芽生えるのである。
 
 (富士見中)