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音読の丘
 音読で、読む力、書く力が育つ。
 オンドリくんの 音読の丘
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※音読の丘は、家庭での音読の練習用として使ってください。
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 求めよ、さらば開かれん

 ネコやイヌがドアの前でしきりに鳴くとき、ぼくらは彼ら(かれ )が「開けてくれ」といっているのだと理解する。ところがものをむずかしく考える人がたくさんいて、そのような理解は正しくないと教えてくれるのである。
 たとえば、言語学者のレーヴェス()という人は、「イヌは開けてくれといって吠える(ほ  )のではなく、閉じこめ(と   )られているから吠える(ほ  )のである」といった。どうやら彼(かれ)は、ある表現によって未来のことを支配しようとするのは、人間においてこそ可能なのであって、イヌやネコのような動物にはそんなことはできない、彼ら(かれ )にできるのは現状の報告だけである、と考えていたらしい。
 これは、一時かなりの説得力をもったいいかたであって、ぼくもそうかなと思ったことがある。
 けれど、動物行動学者のローレンツはこういうことをいっている――のどのかわいたイヌが水道の蛇口(じゃぐち)に前足をかけて、ワンワン鳴いているとき、それは人間の言語にかなり近いことをやっているのだ、と。つまりこのイヌは、疑い(うたが )もなく、「早く蛇口(じゃぐち)をひねって、水を飲ませてくれ」といっているのだ。
 ドアの前でネコが鳴くのも、それとまったく同じである。とくに、彼ら(かれ )がトイレにいきたいとか、子どもが先に外へ出てしまってすごく心配であるとかいう切羽つまった情況(じょうきょう)で、ぼくらの顔をじっと見ながら、ニャア……と鳴くとき、それはレーヴェス()よりローレンツのいったことにはるかに近いだろう。

 パンダの発明

 ただ鳴いて「開けてくれ」とたのむだけでない。オスネコのパンダはもっとおもしろいことを発明した。
 つまり彼(かれ)は、人間のやっていることをつぶさに観察して、ドアを開けるとき人間たちは必ずノブにさわっている、ということを発見したのである。ここから彼(かれ)はこういう解釈(かいしゃく)をした――したがって、ドアを開けたいときは、ドアのノブにさわればよい。
 そこで彼(かれ)は、部屋から外へ出たいとき、後足で立ちあがり、体と前足を思いきり伸ばし(の  )て、前足の先でノブにさわることを始めた。
 おもしろいことに、そのときはほとんどの場合、無言である。ひょこひょこっとドアの前へ走っていって、ひょいと立ちあがり、ノブに前足をふれるのだ。
 それを見てぼくらはすぐドアを開けてやるから、パンダは自分の発明にすっかり自信をもってしまった。一日何回でも、開けてほしいときは必ずこれをやる。(中略)
 ところが、これがほんとうにノブというものの働きを理解した上での行動であるかどうか、いささかわからなくなるような場合もある。
 パンダが外へ出かけていって、庭から帰ってきたことがあった。食堂にぼくらがいるのを見て、パンダは入れてくれという表情をした。そして、ガラス戸に手をかけて立ちあがったのである。
 三枚(まい)引きのガラス戸には、もちろんノブはない。かぎはあるが、外側からは何も見えない。その何もないところへパンダは前足をかけたのである。もちろん、ガラスの部分でなく、かぎのあるべき木枠(わく)のところにである。ただ、その高さはドアのノブと同じだった。けれどこれも、ちょうど全身を伸ばし(の  )てとどく高さだから、たまたま一致(いっち)しただけである。そのときパンダは地面から体を伸ばし(の  )たのだから、内側にかぎや引き手のあるところよりは、ずっと低い位置に足をかけたことになる。
 だとすると、パンダにとっては、ノブがあってもなくても、体を思いきり伸ばし(の  )て前足でさわれば、それが開けてもらえるという認識(にんしき)しかなかったのかもしれない。ノブが云々(うんぬん)という理解はなかったのではないか?
 人間以外の動物を人間的に理解すること、つまり擬人(ぎじん)主義をきらう人は、このような解釈(かいしゃく)をよしとする。
 けれど、人間だって、たとえば横断歩道を渡る(わた )ときには手を上げて、などと教わると、鉄道の踏切(ふみきり)を渡る(わた )ときも手を上げてゆく人がいるのだから、似たようなものではないだろうか。

(日高敏隆(としたか)「ネコたちをめぐる世界」)