未ログイン ログイン
音読検定
 楽しくできる音読で、読む力、考える力が育つ。
 音読検定

★このページは、現在工事中です。しばらくお待ちください。
2026/9/22

1.はじめに、音声入力を始めるのボタンを押してください。
2.音読が終わったら音声入力を止めるのボタンを押してください。
3.音声入力を止めたあと、結果を送信するのボタンを押してください。




 【1】新聞というものをまるで読まないと言い切っている人がいる。そうかと思うと、朝手洗いで新刊書の広告を読むのが最大の楽しみだという人もいる。私はどちらの方に近いのだろうかと考えてみた。たしかに、私は、新聞が一生懸命いっしょうけんめいに論じようとしている主張の、あまり良い読み手ではないような気がする。【2】たいていの場合、新聞が無名性の名において大衆を善導しようとして声高に説いている論述と、一人一人の新聞人が生きている現実のズレを、そのまま出してくれるような紙面にあまりお目にかからないからであろうか。
 【3】どちらかといえば、私は、行間と余白の読み手であるのかも知れない。そういう意味で私は、新聞を、月一度とか二度でなく毎日立つ縁日えんにちのようなものであると見ているふしがある。論説記事は神社の神主かんぬしさんの祝詞のりとのようなものであり、【4】謹聴きんちょうしなければならないときは黙っだま ておとなしく聴くき が、終わったらホッとする類のものであり、経済記事はおみくじのようなもの、政治・社会面に至っては、小屋掛けこやが 芝居しばいのようなもので、読み手たる私はぶらぶら散歩して夜店をひやかす客のような存在である。
 【5】ということになると一番楽しく、ぴったりしているのはやはり広告らんという名の夜店通りかも知れない。【6】広告も小さい下の書籍しょせきらんのように仲よく並んでいるのは、チャーミングな店舗てんぽであるが、全面広告のようなものはどちらかと言えば、香具師やしの口上じみているから、レイアウトを楽しむけれど、「まゆつばもの」と聞きながす傾向けいこうがある。
 【7】それでは、あなたが時々執筆しっぴつする文化らん・学芸らんたぐいは何であるかと問われると、言うまでもなくそれは縁日えんにちに立つ見世物、そのある程度集約されたものとしてのサーカスのようなものであると答えることができるだろう。【8】時にはさむらいくずれの居合抜きいあいぬ のような突っぱっつ   た言説あり、時にはガマのあぶら売りの口上よろしく本当かうそかわからない言説の押し売りお う があり、舶来はくらいの、人目をおどかせる新奇しんき術よろしくうたい上げられる新思想ショーがある。【9】そうかと思えば、アクロバット仕立ての音楽会評が載るの 。これらはすべて、巧みたく に演じられる時は、内容の当否は別として目を楽しませてもらえるが、下手な芸、または興行師の下手な意図が、前面に出たりすると目もあてられなくなる。
 【0】縁日えんにちであるから、やはりそこには、日常生活の時間の流れと異なった、さまざまな偶然ぐうぜん介入かいにゅうがあった方がよい。思いがけない人に会うとか、国鉄(JR)払い下げはら さ かさを百円か二百円で買うとか、思ってみなかった種類の商品に出会う面白さはできるだけあった方がよい。
 その点、安物だが、新しさだけは強調してある夜店の売り場は子供にとって魅惑みわくの空間そのものである。さし当たって、新聞の中にそうした偶然ぐうぜん潜んひそ でいる空間を探すとすれば、それはやはり、あちこちに散らばっている情報である。情報もできるだけ、個人がひそかに培養ばいようしている「私」文化といった、あまり人と分かち持ちたくないものに直接プラスになるものの方が、意外性の面ではより高いように思われる。
 演劇、音楽、催しもよお 、人についてなど、こうした、自分が知っているから隠れかく た意味が明らかになるといった事実は、なるべく宝さがしのように、それらしくないところに置いてあった方がよい。多くの人が、新聞の読書らんというものをたいしてありがたがらず、本の広告の方にひそかな楽しみを託そたく うとするのは、そのような情報の極秘化の欲求の表れかも知れない。