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音読検定
 楽しくできる音読で、読む力、考える力が育つ。
 音読検定

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2026/9/22

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 【1】日本のある会社が香港ほんこんで現地の人間を採用しようと求人広告を出したという。
 「日本語のできる人を求む」
 すると(またたく間に、「我こそは日本語が達者である」と胸を張ってたくさんの香港ほんこん人が押しかけお   た。【2】会社側はおおいに喜んで、さっそく面接をしてみたが、実際にはほとんどの人が、「コンニーチハ、サヨナーラ」といった挨拶あいさつ程度しか日本語を話すことができなかったそうである。
 この話を聞いたとき、私は「香港ほんこんの人はすごい」と感心したものだ。【3】何より語学ができるという認識が、日本人とずいぶんかけ離れ  はな ているではないか。もし日本人が、「あなたは英語が話せますか」と問われたら、たいがいの人は、「少しだけ」と答えるであろう。【4】この「少しだけ」が「はい、話せます」に変わるまでには長い道のりがあって、よほど流暢りゅうちょうに、アメリカ人もびっくりするほどペラリペラリとしゃべれない限り、「話せます」とはとうてい答えられない。【5】恥ずかしいは    という理由もあるだろうが、もし「話せます」と答えた場合、その責任を自分が取らされたうえ、理解できなかったらどうしようという不安が、一瞬いっしゅん、脳裏をかすめるからである。
 そこで、「まあ、そこそこ話せるな」と内心自負している人も、「少しだけ」と答えておく。【6】そのほうが無難である。これが日本流「謙譲けんじょうの美徳」 なのである。
 ところが香港ほんこんのような国際貿易都市で生きていくためには、そんなのんきなことは言っていられない。【7】語学が堪能たんのうでなければ給料のいい仕事にはありつけないし、語学のみならず、自己PRの上手にできない人間は、出世も望めないという社会の仕組みが出来上がっているのだろう。つまり、少々はったりをきかせても、「できる」と先に手を挙げたほうが勝ちなのである。
 【8】もっともこれは、今から十年ほど昔の話だから、やや時代遅れじだいおく の認識だと言われるかもしれない。今や日本の若者のなかにも、臆病おくびょうがらずに「はい、話せます」と答える人間が増えている。しかし、私を含めふく たおおかたの日本人の心のなかには、良かれ悪しかれ「謙譲けんじょう」を「美徳」とする意識が残っているような気がする。
 【9】学生時代、先輩せんぱいからこんな手紙をもらったことがある。「君はいつも、もうこれ以上は落ちる心配がないというところまで自分を卑下ひげするくせがある。そうしておけば安心なのだろう。人から過大な期待をかけられて失敗するよりも、最初は期待されないで、だんだん評価が上がっていくほうが得策だと思っているのかもしれない。【0】しかし、それは決して正当な自己評価にはつながらない。一見、謙虚けんきょに見えるけれど、それでは進歩がないからだ」
 なんでこんなに厳しい批判をされなければならないんだと憤慨ふんがいしながらも、同時に、自分でも気づいていなかった性格の新しい側面を、みごとに分析ぶんせきされ、見せつけられたのには驚いおどろ た。(中略)
 日本人は(と、こういう枠組みわくぐ を作ることがそもそもいけないのだが)、対する人間の出方次第で自分の位置や行動を決めるきらいがある。だからこそ、なるべく早く、目の前にいる人がどういう人間なのかを判断、整理、類別しなければならない。これはもう、持って生まれた性癖せいへきのようなものである。「あの人って、誰々だれだれに似てると思わない」というのも日本人の得意な台詞である。私個人も気がつくとしょっちゅう言っている。
 かくして人は、自分の立場を確保するために他人を型にはめたがり、その作られた型からはみ出て「打たれるくい」にならないよう、自分自身は「謙譲けんじょうの美徳」を利用する。
 考えてみると、つくづく日本には、個人の秘めたる才能をできるだけ伸ばさの  ないようにする基盤きばんがあることに気がついた。
 では、どうすればいいのでしょう。難しい問題です。何しろ、他人をけなす人は多くても、おだて上手が少ない国だから。
「できる、えらいぞ、ほれ、ガンバ」
 残る手立ては、自分で自分をほめちぎり、なんとか怠けなま ている細胞さいぼうをたたき起こす以外にない。

阿川あがわ佐和子さわこ『おいしいおしゃべり』から)