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音読の丘
 音読で、読む力、書く力が育つ。
 オンドリくんの 音読の丘
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※音読の丘は、家庭での音読の練習用として使ってください。
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 自分に友達のできないのは、口が重く、しゃべることが下手で、相手を引きつけたり、悦(よろこ)ばせたりできないからだと思っている人も少なくない。しかしこの種の人も、人間というものは、こちらの言うことなどをそんなに注意してきいているものではないと考えることによって、気持ちが楽にならないだろうか。何かすばらしいことを自分が言うと相手が期待していないだろうかと考えるために、ますます口が重くなる。だが、世のなかで、自分の言うことにいちばん耳を傾け(かたむ )ているのは、ほかならぬ自分自身であることを知っておくのはむだではあるまい。何かつまらないことを言って笑われはしまいか、軽蔑(けいべつ)されはしまいかと心配するのは、相手が自分の言葉に耳をすませているだろうと思っている一種の自惚(うぬぼれ)である。こちらが不安と心配で胸をドキドキさせてしゃべっているときでも、別のことを考えているばあいが多いのである。まさにアランの言う「対象のない恐怖(きょうふ)」であって、そんなことにくよくよするのは全く意味のないことである。
 「自分を虫けらだと思っている者は人に踏みにじら(ふ    )れる」という格言がフランスにあるが、他人から尊重されるには、まず自分で自分を尊重することが第一である。われながらつまらないヤツだと思っている人間に、他人が敬意を払う(はら )はずがあるまい。自分は人に好かれない人間だと思っているかぎり、自分を好いてくれる人はないだろう。人間というものは、いつも友達を欲しそうにして卑屈(ひくつ)な愛想笑いをしている人間よりも、孤高(ここう)の態度をくずさない人間に対して、むしろ友情を求めたがるものである。無益な劣等(れっとう)感を棄(す)てるに越し(こ )たことはない。
 友達ができないことを嘆く(なげ )人に次に問いたいことは、あなたは自分の周囲に何か冷たい空気を流していないだろうかということである。私がこれまでくり返し書いてきたように、友情というものは、まずこちらから何かを、しかも何らの報酬(ほうしゅう)を期待することなしに与える(あた  )ことによって成り立つ。与える(あた  )ことが、無際限に与える(あた  )こと自体が悦び(よろこ )であるのが真の友情というものである。われわれの与え(あた )うるものには限度があるからである。そこに友人の選択(せんたく)が起こるのであるが、自分の選んだ人で、その人のためには何を与え(あた )ても惜しく(お  )ないという友人をもつことは至福ではないだろうか。
 私が冷たい空気というのは、好きな人にはすべてを与える(あた  )というこの心意気の乏しい(とぼ  )ことを意味する。最初から与える(あた  )気持ちの全然ない人に友達のできるはずがないが、たとえ与える(あた  )気持ちがあっても、その代償(だいしょう)をひそかに期待するようでは真の友情は結ばれない。人間は敏感(びんかん)であるから、報酬(ほうしゅう)を期待して与え(あた )られる友情は、これを無意識のうちに見破って、警戒(けいかい)する。友達のできないことを嘆く(なげ )人は、この種の、他人をして警戒(けいかい)せしめるものが自分にないかどうかを十分に反省してみる必要があろう。それと同時に注意すべきことは、他人から報酬(ほうしゅう)を期待しない友情を与え(あた )られながら、それを素直に、心から悦ん(よろこ )で受け入れることをしないで、これには何らかの目的があるのではないかと警戒(けいかい)することであろう。この種の警戒(けいかい)心もまた冷たい空気となって諸君をつつみ、友達をよせつけない。一般(いっぱん)に、友達のないことを嘆く(なげ )人には、この冷たい警戒(けいかい)心で無意識のうちに武装している人が多いように思われる。
 私が何かを与える(あた  )というのは、もちろん物質的なものばかりを意味するのではない。生まれつきさまざまの魅力(みりょく)を具えている人は、与える(あた  )ものを多くもつ人である。問題は与える(あた  )ものの乏しい(とぼ  )人にある。自分は何を無償(むしょう)で人に与える(あた  )ことができるかを考えるとき、よき友達はおのずから作られるにちがいない。

(河盛(かわもり)好蔵(よしぞう)の文章による)