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音読の丘
 音読で、読む力、書く力が育つ。
 オンドリくんの 音読の丘
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※音読の丘は、家庭での音読の練習用として使ってください。
1.音読する文章が2つある場合は、最初の方の文章を音読してください。
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 その少年はまるまると太っていて、いつも腕白(わんぱく)であった。クラスの中でもとりわけ貧しい家の子供で、給食費などは期限どおりに納めたことは一度もなかった。あるとき、私は少年に、
「おまえ、なんでそないに太ってるねん?」
 と訊(き)いた。小さい頃(ころ)から「青びょうたん」とあだ名をつけられていた痩せっぽち(や    )の私は、なんとか人並に太りたいと子供心に念じつづけていた。雪深い富山から、兵庫県の尼崎(あまがさき)に引っ越し(ひ こ )てきて一カ月ばかりたった頃(ころ)、私が小学校五年生のときである。
「寝る(ね )前に、たこ焼きを食べるんや」
 少年はそう教えてくれた。毎晩、夕刊を売って歩き、その稼ぎ(かせ )でたこ焼きを買うのだと、誰(だれ)にも内緒(ないしょ)にしていた秘密まで打ち明けてくれたのだった。酒乱の父と、どんな仕事をしているのか判らないが、めったに家に帰ってこない母を待つその少年が、いたしかたなく自力で金を稼ぎ(かせ )出し、毎夜毎夜、たこ焼きばかりを食べつづけていたことなど私は知る由もなかった。
「僕(ぼく)も夕刊を売って、たこ焼きを買うんや」
 私がそう言うと、母は血相を変えて反対した。父は笑って、
「ぎょうさん儲け(もう )て、お父ちゃんにもおごってや」
 と許してくれた。
 当時、阪神(はんしん)電車の尼崎(あまがさき)駅周辺には、小さい屋台や小料理店が軒(のき)を並べ、ならず者たちが凍てつく(い   )露地(ろじ)のあちこちにたむろしていた。私は少年とつれだって、夕刊の束を小脇(こわき)に、飲み屋のノレンをくぐっていった。
 誰(だれ)も夕刊を買ってはくれなかった。しつこく売りつけようとして酔っぱらい(よ    )に突き飛ばさ(つ と  )れたり、尻(しり)を蹴ら(け )れたりもした。寒風の吹きすさぶ(ふ    )大通りから、裸(はだか)電球のともる薄暗い(うすぐら )露地(ろじ)にもぐり込み(   こ )、一軒(いっけん)一軒(いっけん)新聞を売り歩いているうちに、私はだんだん情けなくなり、家に帰りたくなってきた。だが、断られても断られても夕刊売りをやめようとしない少年に引きずられて、夜更け(よふ )まで場末の飲み屋街を歩きつづけたのだった。
「きょうは調子が悪いなァ……」
 と少年が立ち停まった。
「……僕(ぼく)、もう帰らんと怒ら(おこ )れる」
 その言葉で、少年は私から新聞の束を受け取り、
「僕(ぼく)はもうちょっとねばってみるさかい」
と言い残して、再び暗い露地(ろじ)へと消えて行った。私は体中が凍え(こご )ていた。夜道を震え(ふる )ながら帰った。家に入ろうとしたとき、誰か(だれ )の歩いて来る音が聞こえた。父であった。父は「おかえり」と言って私の耳を掌(てのひら)で包んでくれた。その夜、銭湯からの帰り道、父がさとすように呟い(つぶや )た。
「おまえのたこ焼きと、あの子のたこ焼きとは、味が違う(ちが )んやでェ」
 それからちょうど十年後に父は死んだ。父の死後、何かの折に、夕刊を売り歩いた一夜の思い出を母に語った。そしてそのとき母から、あの夜、尼崎(あまがさき)の歓楽街(かんらくがい)で新聞を売り歩く私のあとを、父が最初から最後までずっと尾(つ)けていてくれたことを聞いたのであった。
 いまでもときおり、場末の歓楽街(かんらくがい)を歩いているときなど、露地(ろじ)のくらがりからまるまると太ったあの少年が、夕刊の束をかかえて走り出てくる幻想(げんそう)にかられる。そんなとき、オーバーで身を包んだ父が、物陰(ものかげ)からじっと私を見ているような気もするのである。

(宮本輝(てる)『夕刊とたこ焼』)