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音読の丘
 音読で、読む力、書く力が育つ。
 オンドリくんの 音読の丘
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※音読の丘は、家庭での音読の練習用として使ってください。
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 【1】今日の都市生活に欠かせない行列という社会現象がある。行列という形式そのものは、カラハリ砂漠(さばく)の狩猟(しゅりょう)採集民サン人が狩り(か )などで遠出するときにも組まれ、西洋では戦争の捕虜(ほりょ)を行列させたことが古代の歴史書にもみえる。【2】しかし、モノを手に入れたりサービスを受けたりする順番を待つ行列は、近代の工業化社会に特有のものだろう。【3】小さな個人商店では並ぼうとする買物客はいないが、スーパーマーケットでは工場のアセンブリィ・ラインのように、客がレジで列をつくることが前提にされていることは行列の工業社会的性格を端的(たんてき)にしめしている。
 【4】駅の切符(きっぷ)売場やタクシー乗り場や学生食堂などでの行列は以前からあったが、近ごろではデパートのトイレの前や、昼食時の都心の食堂でも行列はあたりまえの光景になった。【5】今日の大都会がそうであるように、一般(いっぱん)にモノやサービスの需要(じゅよう)―()供給関係に一定程度以上の不均衡(ふきんこう)があるところではどこでも行列ができる可能性がある。【6】難民キャンプの行列ではモノの供給の不足が強調され、モノやサービスの供給に不足はないはずの現代日本のアイスクリーム店やコロッケ屋の前の行列では需要(じゅよう)が浮き彫り(う ぼ )にされる。
 【7】しかしながら、たとえ需要(じゅよう)―()供給に顕著(けんちょ)な不均衡(ふきんこう)があっても、身分や地位にかかわらず先着優先の原則がなければ、だれも列をつくって順番を待とうとはしないだろう。【8】行列が頻繁(ひんぱん)にみられる現代の公共的場面では、年齢(ねんれい)や社会的地位や性差や人種差などは体系的に無視されるが、そうした先着優先の平等主義がないところでは行列は生まれない。【9】行列をつくって順番を待つという習慣は、たとえば士農工商の身分制社会ではかんがえられないように、元来が西欧(せいおう)の近代社会に特有な行動様式なのである。
 さらにいえば、行列は用件をひとつずつかたづけるという近代的事務処理の発想に根ざしている。
 【0】以前ギリシアで調査中に気づいたことだが、ギリシアの役所や銀行などでは、相談事をもってくる人を、先客にかまわずつぎつぎと自室に入れ、用件を聞いて、処理しやすいものから答えていくというやり方をとることが多い。アラブ社会でも伝統的には同様な方式がとられるようだが、このような事務処理の習慣をもつ社会には行列はなかなかなじまないようだ(ギリシアなどでは、行列は後ろの者もやりとりがみえるように横並びになる傾向(けいこう)がある)。
 このようにすぐれて近代的慣行である行列には独特の論理と構造がある。
 行列はもちろんその前段階、「行列以前」からはじまる。飛行機の国内便に乗るために出発の一時間半くらいも前に空港にいって待機してみたりするとわかるが、そんな早い時間にもチェックイン・カウンターのあたりには、たいてい何人か様子をうかがうようにして立っている人がいる。だれかがカウンターの前に立つと、すぐ後ろに行列ができる。あまり人が少ないと早くから並ぶのもバカバカしくて苦痛だが、その間にもたがいの着順と位置を目で確認していて、だれかが並んだとたんに心配になって並ぶのだろう。電車を待つ駅のホームなどでもおなじようなことがおこることがある。サービスを受ける側がサービスを与える(あた  )側より先にあつまり、需給(じゅきゅう)関係がさほど切迫(せっぱく)していないときにこのような「半行列」が胚胎(はいたい)する。
 また、客がひとりのあいだは、待つ側の客と待たせる側の店員や係員との心理的関係だけが問題だが、客がふたり以上になって列ができると、そこに待つ者同士の社会的関係の問題が加わってくる。ひとりで待たされているあいだは、無力感や退屈(たいくつ)や苛立ち(いらだ )とたたかっていればよいのだが、行列ができたとたんに、割りこまれないように、礼儀(れいぎ)の範囲(はんい)内で相互(そうご)監視(かんし)しなければならない。新聞や雑誌をひろげてみても、目を周囲にくばり、とくに前方に一定以上の間隔(かんかく)をあけないよう徐々に(じょじょ )前にすすまなければならないから、落ちついて読むことはできない。待つことは副次的活動ではありえず、どうしてもその場の「主要関与(かんよ)」にならざるをえないのだ。
 (中略)
 イギリス人やアメリカ人は行列をあたりまえのように考えるようだ。しかし、ギリシアなどヨーロッパでも工業化がおくれた社会の人びとには、そんな行列もヒツジの群れのようにみえるらしい。
 民主主義には一定の均質性が必要だが、行列を見ていると、工業化社会が近代民主主義の母胎(ぼたい)であることがよくわかる。

 (野村雅一(まさいち)『身ぶりとしぐさの人類学』より)