未ログイン ログイン
音読の丘
 音読で、読む力、書く力が育つ。
 オンドリくんの 音読の丘
※最初にログインをしてください。言葉の森の団体コードは、aaa001です。
※音読の丘は、家庭での音読の練習用として使ってください。
1.音読する文章が2つある場合は、最初の方の文章を音読してください。
2.はじめに、音声入力を始めるのボタンを押してください。
3.音読が終わったら音声入力を止めるのボタンを押してください。
4.音声入力を止めたあと、結果を送信するのボタンを押してください。



 【1】べつにすてきなものじゃないし、大したものでもない。何でもないものにすぎないが、どんなときにもなくてはかなわぬものとして子どものころからつねに身のまわりに、かならず手のとどくところにあって、とても親しい。【2】ひとが人生で、そんなにも長く身近に付きあう家具はほかにないといっていいかもしれない。そうではあっても、だれにもとくに大切にされているというのでもない。
 くずかごはくずかごだ。いつもそこにあってそこに見えているのに、だれも見ていない。【3】だれしもの人生のどんな一部を切りとっても日々の光景のどこかしらに、いつでもきまってくずかごが、きっと一つは置かれているはずなのに日々に欠かせぬ家具として重んじられているとはいえない。くずかごのないくらしはかんがえられないが、しかし、くずかごはやっぱりいつでもただのくずかごにしかすぎない。
 【4】あってもなくてもどうでもいいものではないのだ。くずかごは、わたしたちとつねに、日々をともにしている。だが、どうしてだろうか。どうして、くずかごはまるで日のあたらない場所に置かれたまま、いつもあたかも「ないもの」のごとくにしかおもわれないのだろうか。【5】どんなにすばらしい部屋であっても、くずかごはみすぼらしくてかまわない。そうであってすこしも奇妙(きみょう)におもわれることがないということこそ、むしろ、奇妙(きみょう)なことではないだろうか。くずかごは、どうあれ、もっとも親しい毎日のくらしの仲間なのだ。
 【6】わたしたちはどうかすると、くらしというのは、手に入れるものでつくられるのだとかんがえる。何かを手に入れることがくらしの物差しをつくるので、手に入れたものをどれだけいれられるか、その容積(ようせき)のおおきさがゆたかさの目安なのだ、と。【7】そう期待して、いつのまにか身のまわりを手に入れたものでいっぱいにしてしまう。くずかごが片すみ(かた  )に追いやられてわすれられるのも、むべなるかな(もっともなことの意)だ。そしてある日突然(とつぜん)とんでもないことに気づいて、びっくりする。【8】そうやって手に入れたものが、日々に欠かせぬ必要なものどころか、そのおおくはどういうわけかすでに、ただのすてるにすてられないものばかりになってしまっている。
 【9】そのときになってはじめて日々のくらしの姿勢(しせい)をつくるのは、何を手に入れるかではなくて、ほんとうは何を手に入れないかなのだということに、わたしたちは気づくのかもしれない。くらしにめりはりをつけるのは、何が必要かではない。【0】何が不必要なのかという発見なのだ。あらためて身のまわりを見わたしてみて、何をすてるか、すてられるか、すてなければならないかに思いいたって、あまりもの不必要なものにとりかこまれた日常(にちじょう)の景色に、ほとんど呆然と(ぼうぜん )してしまう。そして、ようやく部屋の片すみ(かた  )に置きわすれられたままのみすぼらしいくずかごに目をとめて、どれほどこの日々に欠かせぬ仲間のことをないがしろにしてきたことか、いまさらのように思い知るのだ。
 日々のくらし方、ひとの住まい方ということをいうとき、まずかんがえるのは、くずかごのことだ。くずかごはおおきなくずかごがいい。くずかごのおおきさはそのひとのこころのおおきさに正比例(せいひれい)すると、勝手にそう決めている。部屋におおきなくずかごを一つ、こころのひろい友人として置くだけで、何かが変わってくる。くらしの姿勢(しせい)が、きっとしゃんとしてくる。

(長田弘(ひろし)の文より)