未ログイン ログイン
音読の丘
 音読で、読む力、書く力が育つ。
 オンドリくんの 音読の丘
※最初にログインをしてください。言葉の森の団体コードは、aaa001です。
※音読の丘は、家庭での音読の練習用として使ってください。
1.音読する文章が2つある場合は、最初の方の文章を音読してください。
2.はじめに、音声入力を始めるのボタンを押してください。
3.音読が終わったら音声入力を止めるのボタンを押してください。
4.音声入力を止めたあと、結果を送信するのボタンを押してください。



【長文が二つある場合、読解問題用の長文は一番目の長文です。】
 南博人(ひろと)は従順(じゅうじゅん)な子であり、いたずらっ子でもあった。先生に反抗(はんこう)らしい態度(たいど)に出たことは一度もなかった。しかし彼(かれ)は、そのとき、先生が言った最後の言葉に疑問(ぎもん)を持った。ひとりで山へ入ったならば、自力で頂上(ちょうじょう)へ出ることは困難(こんなん)であるということに嘘(うそ)を感じた。札幌(さっぽろ)の郊外(こうがい)にある藻岩山(もいわやま)は、彼(かれ)が生まれた時から馴れ(な )た山だった。道をそれても、上へ上へと登っていけばやがては頂上(ちょうじょう)へ出られる筈(はず)である。それは小学校五年生の理屈(りくつ)であった。
「おい、南どうした」
 列が動き出しても頂上(ちょうじょう)の方も見詰め(みつ )たまま突()立っている南に不審(ふしん)をいだいて隣(となり)の少年が話しかけた。
「おれは、山の中へ入る。先生に言うなよ、言ったら、げんこつくれてやるぞ」
 南の受持ちの先生のあだなはげんこつ先生である。悪いことをすると、げんこつをくれるからである。南はげんこつ先生の真似(まね)をして、隣(となり)の少年をげんこつでおどかしてやぶの中へ飛びこんだ。やぶの中を頂上(ちょうじょう)まで登る気はなかった。道をそれたら、頂上(ちょうじょう)へ出られないという先生のことばが、ほんとうか嘘(うそ)かたしかめたかったし、同時に彼(かれ)は山の中がどんな構造(こうぞう)になっているかも知りたかった。彼(かれ)はクラスで走るのは一番速かったから、五分や十分の道草を食っていても、直ぐ追いつける自信があった。それにげんこつを見せた以上、誰(だれ)かが先生に告げ口をするということはまず考えられなかった。彼(かれ)は餓鬼大将(がきだいしょう)だった。
 彼(かれ)はやぶへ入った。木が密生(みっせい)している間をかいくぐっていくと、木の芽の強い芳香(ほうこう)が彼(かれ)の鼻をくすぐった。彼(かれ)は幾度(いくど)かくしゃみをした。くしゃみが誰か(だれ )に聞えはしないかと、耳を済ませ(す  )たが、もう少年たちの足音は聞えなかった。
 彼(かれ)はにっこり笑った。たいへん面白い考えが浮かん(う  )だからである。少年たちは六十名いた。彼等(かれら)が先生に引率(いんそつ)されて頂上(ちょうじょう)に達するまでに、先廻り(まわ )をして頂上(ちょうじょう)に行ってやろうという野望を起したのである。先廻り(まわ )をした罪(つみ)で、げんこつ先生に一つぐらいげんこつを頂だい(ちょう  )してもかまわないと思った。
 彼(かれ)は森の中を頂上(ちょうじょう)目がけて登り出したが、道のないところを登ることがいかに困難(こんなん)であるかを知ると、彼(かれ)自身のやっていることが、かなり冒険(ぼうけん)であることに気がついた。
 彼(かれ)はもと来た道へ引き返そうとして、そっちの方へ移動(いどう)したが、道らしいものはなく、いよいよ樹木(じゅもく)の深みにはまりこんでいった。彼(かれ)はひどくあわてた。彼(かれ)は幾度(いくど)か叫ぼ(さけ )うとしたが、声は咽喉(いんこう)で止った。彼(かれ)は眼(め)に泪(なみだ)をためた。先生のいうとおりだとすれば、さっき彼(かれ)がたてた理屈(りくつ)がおかしくなる。頂上(ちょうじょう)は一つだ、登っていけば必ず頂上(ちょうじょう)に行き当る筈(はず)だ。
 彼(かれ)は気を取り直した。道を探す(さが )ことはやめて、一途(いちず)に頂上(ちょうじょう)を目ざして直登(ちょくと)していった。必ず頂上(ちょうじょう)があると思いこんでいれば、道に迷っ(まよ )たことも、朋輩(ほうばい)たちと別れたことも、先生に叱ら(しか )れることも、少しも怖く(こわ )はなかった。
 高い方高い方へ登っていくと、少しずつ明るさが増し(ま )て来ることが彼(かれ)にとって希望だった。明るさが増し(ま )て来ることは、頂上(ちょうじょう)に近づいていることだとは分らなかった。やがて彼(かれ)は道とも踏み(ふ )跡(あと)ともつかないものに行き当った。そこを登っていくと、ややはっきりした山道に出会い、そこから頂上(ちょうじょう)までは楽な登りだった。
 げんこつ先生は真青な顔をして待っていた。

(新田次郎(じろう)「神々の岸壁(がんぺき)」)
 【1】樹木(じゅもく)は生命の危険(きけん)を感じると早く子孫を残さなければと多くの種子をつける。実際(じっさい)、柿(かき)の実やどんぐりが豊作(ほうさく)になるようにと子どものころ木の幹(みき)を思いっきり蹴飛ばし(けと  )た経験(けいけん)がある。
 戦後せっせと植えたスギも、林業が儲から(もう  )なくなって手入れがされなくなった。【2】とくに間伐(かんばつ)がされていないスギ林は、スギ同士の過酷(かこく)な生存(せいぞん)競争でひょろひょろな木となり、ストレスが大きくなっている。こんな環境(かんきょう)によって、スギの木も生命の危険(きけん)を感じ、種子をたくさん残そうと雄花(おばな)をたくさん付け、花粉を大量に撒き(ま )散らしているということなのではないだろうか。
 【3】九州の熊本(くまもと)から九州自動車道を南下すると、八代インターチェンジを過ぎ(す )てから道路は山間に分け入っていく。多くのトンネルと急カーブが続き、全長約六キロメートルの肥後(ひご)トンネルを抜ける(ぬ  )と、九州で有数の林業地である人吉盆地(ひとよしぼんち)に入る。【4】道路の両側は急峻(きゅうしゅん)な山地が空を狭め(せば )、森林が天に伸び(の )ている。しかし、近年、その風景に変化が現れ(あらわ )ている。何気なく通る多くの人たちは気付くことはないのかもしれないが、職業(しょくぎょう)柄(がら)、私(わたし)にはどうしても気になってしまう。【5】それは、至る(いた )ところでかなりの面積にわたり森林が伐採(ばっさい)されていることだ。戦後、せっせと先人たちが植林したスギの林がようやく伐採(ばっさい)できるまでになって、利用されるようになったという意味では好ましい現象(げんしょう)だが、問題なのは、伐採(ばっさい)された箇所(かしょ)に植林された形跡(けいせき)がないことだ。
 【6】私(わたし)たち、森林・林業にかかわるものからすれば、「伐(き)ったら植える」が常識(じょうしき)である。しかし、今やこのような常識(じょうしき)が常識(じょうしき)でなくなってきている。それどころか、これら植林放棄(ほうき)地の状況(じょうきょう)をみると、森林所有者が森林を土地ごと手放すケースが増え(ふ )ている。【7】これは、森林を買う木材生産業者が、木材価格(かかく)の下落に伴い(ともな )、採算(さいさん)性(せい)を維持(いじ)するためにより大きな面積の森林を買い入れようとする意向があり、これが森林所有者の森林を所有することへの負担(ふたん)感と相まって、土地ごとの売却(ばいきゃく)を後押し(あとお )しているようだ。
 【8】日本の文化は森と木の文化であるといわれる。
 森林に恵まれ(めぐ  )た国土で、その資源(しげん)を巧み(たく )に利用してきたというのは当たり前だが、とくに日本では、森林を形づくる樹木(じゅもく)の種類が豊富(ほうふ)であることから、樹(じゅ)種の違い(ちが )による木材の性質(せいしつ)も様々であり、その違い(ちが )を上手に使い分けてきた。【9】住まいや身の回りの道具に至る(いた )まで、こんなものにはどの木を使うという知恵(ちえ)は、すべての人がもっていた。お櫃( ひつ)にコウヤマキ、まな板にイチョウ、つまようじにはクロモジ、下駄(げた)やたんすはキリ、家の土台はクリなどだ。【0】
 また、木材を無駄(むだ)なく使うということにも意を用いてきた。まさに、日本人は木とともに生き、木によって生活を維持(いじ)し、木の上手な使い方をあみ出してきた民族である。
 しかし、ここ数十年、木の文化は急速に失われつつある。安価(あんか)で均質(きんしつ)に大量生産できる石油化学製品(せいひん)などの代替(だいたい)品が私(わたし)たちの日常(にちじょう)に氾濫(はんらん)するようになったからだ。木材にしても、外国からやってくるものが八割(わり)以上を占める(し  )ようになっている。このままでは、日本の木の文化は、文化財(ぶんかざい)や美術(びじゅつ)品などの特殊(とくしゅ)な伝統(でんとう)文化に残されるだけになるのかもしれない。
 こうなると、国内の木材はますます使われず、価格(かかく)も下落していくだろう。結果、国内の森林を守ってきた林業も立ち行かなくなる。そして、間伐(かんばつ)などの手入れもされず森林の放棄(ほうき)が拡大(かくだい)していくことになる。
 私(わたし)たちにとってなくてはならない森林が、今、危機(きき)に瀕(ひん)している。

(矢部三雄(みつお)『恵み(めぐ )の森 癒し(いや )の木』(講談社(こうだんしゃ)+α新書)より)