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音読の丘
 音読で、読む力、書く力が育つ。
 オンドリくんの 音読の丘
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※音読の丘は、家庭での音読の練習用として使ってください。
1.音読する文章が2つある場合は、最初の方の文章を音読してください。
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3.音読が終わったら音声入力を止めるのボタンを押してください。
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 【1】コオロギは「リーリー」と鳴くというけれど、「リーリー」と聞こえるのは人間の耳にそう聞こえるだけのことで、コオロギにはどう聞こえているのだろう、そんなことを小学生のころふと考えたことがあります。【2】人間の耳とコオロギの「耳」の構造(こうぞう)はまるでちがったものでしょうから、少なくともコオロギが人間が聞いているのと同じように「リーリー」という音を聞いているという保証(ほしょう)はありません。【3】そのように考えれば、同じ人間でも全く同じ耳はないのですから、私(わたし)たちは個人(こじん)個人(こじん)で、少しずつちがった音を聞いているのかもしれません。ヨーロッパの人の耳には、あの美しいコオロギの鳴き声も雑音(ざつおん)としてしか聞こえないという話もどこかで聞いたことがあります。【4】聴覚(ちょうかく)のしくみが日本人とヨーロッパ人ではちがうというのです。
 先日ラジオで、東京ではアオマツムシが木の上でうるさいほど鳴いていて、他の虫の声が聞こえないほどだ、このアオマツムシは明治時代に中国から渡っ(わた )てきた帰化昆虫(こんちゅう)で、どうも声がうるさすぎて味気ないというような話をしていました。【5】それを聞きながら、横浜(よこはま)に住んでいる私(わたし)は、どうしてその虫が横浜(よこはま)にはいないのだろうと不思議に思ったのですが、つい先ごろ、ぼんやりと庭に出て夕涼み(ゆうすず )をしている時、妙に(みょう )大きな声の虫が鳴いているのに気がつきました。【6】何もこの声は今年初めて聞くようなめずらしいものではなく、今まで毎年秋の初めに聞いてきた声で、私(わたし)は今までずっとそれをコオロギだと思ってきたのですが、ラジオの話を思い出して、ひょっとしたらこれがあのアオマツムシかもしれないぞと思ったのです。【7】そうなると、やもたてもたまらず確かめ(たし  )たくなって、懐中(かいちゅう)電灯を持って庭の木の葉の上を探し(さが )ました。そして一時間ほどの探索(たんさく)の末、私(わたし)は今まで見たこともない緑色の虫が、緑色の葉の上で大声で鳴いているのを発見したのでした。【8】それ以来、今まで少し声の大きなコオロギだなということぐらいしか考えず、むしろ秋を感じさせる虫の声として楽しく聞いていたその声が、急にうるさく感じられるようになってしまったのです。
 【9】私(わたし)たちは、実際(じっさい)の体験を通じていろいろな知識(ちしき)を身につけてゆくのだと、単純(たんじゅん)に考えています。コオロギの声を聞いて、コオロギという虫を知り、セミをつかまえて、セミという虫の形や色について知るというように。【0】けれども、実際(じっさい)には、自分自身の直接的(ちょくせつてき)な体験を通して得られる知識(ちしき)は案外少ないのです。むしろ私(わたし)たちは、他人から知識(ちしき)を与え(あた )られることによって、自分の体験を幅(はば)の広いものにしていくといった方がよいでしょう。極端(きょくたん)な言い方をすれば、私(わたし)たちは、知っているものしか見えないし、聞こえないのです。
 サッカーのルールについて何も知らずに、サッカーの試合を見ても、おそらく何もおもしろくないでしょう。そればかりか、何でボールを手に持って走らないのだろうとか、何でゴールキーパーをみんなで押さえ(お  )てしまわないのだろうかとか考えてイライラするにちがいありません。手を使ってはいけないというルールがあるのだということを知っているからこそ、足で上手にボールをあやつる選手の姿(すがた)がすばらしいものに見えるのです。それを知らなければ、足だけで懸命(けんめい)にボールをけっている姿(すがた)はこっけいなものでしかありません。
 知識(ちしき)は現実(げんじつ)の見え方や感じ方を変えてしまう力を持っています。コオロギは日本に昔からいる虫だがアオマツムシは外国から渡っ(わた )てきた虫だという知識(ちしき)が、コオロギの声はきれいだが、アオマツムシの声はうるさくて耐えがたい(た    )というふうに感じさせてしまいます。逆に(ぎゃく )床(ゆか)に落ちたステーキをそのまま皿に乗せて出されても、そのことを知らなければ、私(わたし)たちは平気でそれを食べてしまうでしょう。「知らぬが仏(ほとけ)」というわけです。
 現実(げんじつ)の見え方や、それに対する感じ方を変えてしまうものは、知識(ちしき)だけではありません。習慣(しゅうかん)もその一つです。日本人とヨーロッパ人では聴覚(ちょうかく)のしくみがちがうという話も、考えようによっては、虫の声を楽しむという日本人の習慣(しゅうかん)が、日本人の耳を少しずつ変化させてきたのだとも言えるでしょう。