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音読の丘
 音読で、読む力、書く力が育つ。
 オンドリくんの 音読の丘
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※音読の丘は、家庭での音読の練習用として使ってください。
1.音読する文章が2つある場合は、最初の方の文章を音読してください。
2.はじめに、音声入力を始めるのボタンを押してください。
3.音読が終わったら音声入力を止めるのボタンを押してください。
4.音声入力を止めたあと、結果を送信するのボタンを押してください。



 【1】言語以外の表現方法は、総括(そうかつ)してこれを「しぐさ」または挙動といっているが、あるいはこの語では狭き(せま )に失して、「泣く」までは含ま(ふく )ぬような感じがある。しかし、もっとよい名ができぬ以上は、用心をしてこの名で呼ぶより他はない。【2】ジェスチュア・ラングェージという語を、タイラーの原始文化論などには使っていて、これが社会生活の大きな役割をしていることは、少なくとも未開人については、くりかえし我われの実験し得たところであるが、実はありふれたこととして気に留めないばかりで、多くの文明人もまたそういう空気の中に生息しているのである。
 【3】それにもかかわらず、今日は言葉というものの力を、一般(いっぱん)に過信している。それというのは書いたものが、余り幅(はば)をきかせるからかと思う。文章はすべて言葉ばかりから成立ち、日本はまた朗読法などということをまるで考えに入れない国であるから、【4】書いたものだけによって世の中を知ろうとすると、結局音声や「しぐさ」のどれぐらい重要であったかを、心づく機会などは無いのである。言語の万能を信ずる気風が、今は少しばかり強過ぎるようである。【5】「そう言ったじゃないか」、そうは言ったが実際はそう考えていなかった場合に、こういう文句でぎゅうぎゅうと詰問(きつもん)せられる。「何がおかしい」。黙っ(だま )て笑っているより外は無い場合に、言葉で言ってみろと強要せられる。「フンとはなんだ」。【6】説明してみよという意味であるが、実はその説明ができないから、ただ「フン」というのである。これらはたいていは無用の文句で、それを発言する前から、もう相手の態度はわかっているのである。むしろ、言語には現[ママ]わせないことを承認する方式みたいなものである。【7】泣くということに対しても「泣いたってわからぬ」、または「泣かずにわけを言ってごらん」などとよく言うが、そう言ったからとて左様ならばと、早速に言葉の表現に取替え(とりか )られるものでも無い。【8】もしも言葉をもって十分に望むところを述べ、感ずるところを言い現[ママ]わし得るものならば、もちろん誰(だれ)だってその方法によりたいので、それでは精確に心の内を映し出せぬ故に、泣くという方式を採用するのである。【9】したがって、言葉をもってする表現技能の進歩と反比例に、この第二式の表現方法が退却(たいきゃく)することは、赤ん坊(あか ぼう)から子供、少年から青年へと、段々泣かなくなってゆくのがよい証拠(しょうこ)である。
 【0】ゆえに現代がもしも私の観測した通り、老若男女を通じて総体に泣声の少なくなってきた時代だとすれば、それは何らか他の種の表現手段、という中にも主として言い方の、大いに発達した結果と推定して、まずまちがいは無いのであるが、なお一方には泣くことが人間交通の必要な一つの働きであることを認めずに、ただひたすらにこれを嫌い(きら )憎み(にく )、または賎し(いや )み嘲る(あざけ )傾向(けいこう)ばかり強くなっていることを考えると、あるいは稀(まれ)には不便を忍ん(しの )で、代りの方法は一つも無くても、なお泣くまいと努力している者が無いとは言えない。したがってこれを直接に人間の悲しみの、昔よりも少なくなった徴候(ちょうこう)と見ることは、まだ少しばかり気遣わしく(きづか   )、泣きさえしなければ子供は常に幸福と、速断してしまうことも考えものなのである。

(柳田(やなぎだ)国男「不幸なる芸術」より)