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音読の丘
 音読で、読む力、書く力が育つ。
 オンドリくんの 音読の丘
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※音読の丘は、家庭での音読の練習用として使ってください。
1.音読する文章が2つある場合は、最初の方の文章を音読してください。
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 【1】芸術というものは、ある時理論を学べば、あとは芸術家の個性に従って創作すればよいというものでもなければ、どだいそんなことはできないものだと思う。【2】芸術家は、理論を習うよりまえに、幼い時、もっと根本的な体験をしており、そのあとで、いつか、ある芸術作品に触発(しょくはつ)されて、芸術家の魂(たましい)を目覚まされ、そこで、それを手本にとり、理論を学びながら、最初の試みにとりかかるというものだと思う。【3】そうして、彼(かれ)の成長とか円熟とかいうものは、根本的な体験につながる表現にだんだん迫っ(せま )てゆくという順序を踏む(ふ )のではないか。この最初の手本が何であるかは、その芸術家の一生を支配する。【4】日本の芸術家にとって、それがピカソかゴッホだったり、モーツァルトかヴァーグナー()だったり、チェーホフかシェイクスピアだったりしたとしても、私に何も異議を訴える(うった  )筋はない。【5】ただ、そういう時、彼(かれ)のもっと幼い根本的な体験と、西洋の大芸術との間の距離(きょり)はずいぶん広いはずだろうから、後年それを埋める(う  )のは並大抵(なみたいてい)のことではあるまいと、最近、気がついてきたのである。手本が低ければ良かったろうというのでもない。【6】しかしべートーヴェン()もシェイクスピアも、私たちのとはひどくちがった文明の体系から生まれ、それと複雑にからみあった芸術である。それは私たちにわからないといえないどころか、私たちに強烈(きょうれつ)に訴え(うった )かけ、私たちを心の底から揺すぶり(ゆ   )、魅了(みりょう)しつくす力に満ちている。【7】だが、わかるとか楽しめる、同感できるとかいうことと、創造の根源につながるということとは、微妙(びみょう)にからみあっているが、ちがう次元に属する。これを明らかにすることは、理論家にとっても研究家にとっても、そうして私たち芸術に関心のある文筆業者にとっても、いちばん大切な仕事に属するだろう。【8】バッハ、モーツァルトとヴァーグナー()をもつドイツ人音楽家、モンテヴェルディ()と民謡(みんよう)をもつイタリア人、リュリとドビュッシーをもつフランス人、チャイコフスキーと若しかしたらその前にグリンカをもったロシア人音楽家たち、これは彼ら(かれ )の幸福であり、時には不幸かも知れない。【9】こういう人々がいたということが、のちにくる数世紀のそれぞれの国の芸術を決定づけるのだから。
 どういう文化も、そういうことからは逃れ(のが )がたいのである。そうして、それは芸術家の創作ばかりでなく、街の人、市民の感受性の規制にまで及ん(およ )でゆく。【0】ヨーロッパにゆくごとに思うのだが、南欧(なんおう)の人々はよく知らないから別としても、スカンディナヴィア()、ドイツからオーストリア、スイス、オランダ、といった国々で、花瓶(かびん)に生けてある花の束をみれば、それがどれもこれも、根本的には、十六世紀ネーデルランド画派の天才ブリューゲル老のあの素晴らしい花の絵にそっくりの構成をもっている。ブリューゲルの花の絵は、後にくる絵画の流れに大きな影響(えいきょう)を及ぼし(およ  )、それに続く十七、八世紀の画家たち、たとえば、花瓶(かびん)に生けた花束の絵をやたらとたくさん描い(えが )たホイスムたちの原型となったといってもよいのだろうし、この種の絵は各都市の美術館にゆけばいっぱいある。そうして、現代のヨーロッパ人たちが、まるっきりこういう絵を見ないで育ったというのは考えられないことだ。ただ、彼ら(かれ )が今花を生けるとしても、そういう絵を思い出してするかどうかは疑わしい。ところが、そうであるにせよ、そうでないにせよ、彼ら(かれ )は花を生けるとなったら、この四百年前のブリューゲルから少なくとも二百年前まで連綿とつたわった絵画の伝統にみられる生け方をしてしまうのである。私は、こういった例を他にも数多くあげることができる。

(吉田(よしだ)秀和(ひでかず)「ソロモンの歌」より)