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音読の丘
 音読で、読む力、書く力が育つ。
 オンドリくんの 音読の丘
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 【1】アジアには国と国との協調をはかる組織が少ない。ASEANや南アジア諸国連合など存在しないことはないが、本格的な国家をこえる連合体を作ろうとする動きはみられない。EU諸国のように国境をビザなしで通り抜ける(とお ぬ  )ことができる経験をアジアの人々はもつことができない。【2】EU諸国を旅していて、空港でEUパスポートと記された入口が設けられているのをみる度に残念な気がしてならない。ASEANもいまや活発な活動に入ったが、EUのような政治共同体や通貨統合へといった動きはみられない。
 【3】それどころか現実にはますます国と国との境は高くなっているような気がする。確かに市場開放の動きとともに、中国やベトナム、ミャンマーまでが門戸開放を行ないはじめたのは好ましい徴候(ちょうこう)だとはいえ、それはあくまでも経済活動と観光のためであって、先に触れ(ふ )たような連合体へ向かう動きではない。【4】ビザなしの国境移動などは考えることもできないというのが、現状ではあるまいか。それに実際のところ、毎年アジアを旅していて感じるのは、各地での国家主義の高まりである。表面は国際協調をうたうが、内実は民族主義的な国家統制が厳しくなってきている。【5】国内的にも、地域や宗教や民族の自己主張が強くなり排他(はいた)的傾向(けいこう)を示すところが少なくない。
 私は、タイでもマレーシアでも、あるいはスリランカでもインドでも、それぞれの社会や文化のあり方に共感をもち敬意も抱く(いだ )が、ナショナリズムの強制だけにはついてゆけないものを感じざるをえない。【6】どこの国でも地域でも土地の文化のあたえるものを享受(きょうじゅ)するのにためらいはないのだが、国家主義や過度の自民族・自宗教・自地域中心主義には正直いってうんざりしてしまうし、その面では文化相対主義にとどまることができなくなる。
 【7】それで毎度東南アジアや南アジアをめぐってきて、ナショナリズムに疲れ(つか )て香港(ほんこん)に着くと、ほっとする経験を三〇年近く繰り返し(く かえ )てきた。
 香港(ほんこん)は英国の植民地であるが、少なくとも私の知るこの三〇年ほどは、まず自由港として、次に英国でも中国でもないような東西融合(ゆうごう)地点として存在してきた。 (中略)
 【8】近代のもたらしたアジアの悲劇の中心には何といっても西欧(せいおう)列強による植民地化があり、それに日本も加わったわけであるが、植民地からの独立はほとんどのアジア諸国の悲願であった。第二次大戦後多くの国は独立したが、その後の国家づくりは決して平坦(へいたん)なものではない。【9】近代国家のモデルである「国民国家」を作り出すことでは、敢えて(あ  )いわせていただくならば、ほとんどの国が失敗しているとみてよいのではないか。
 多民族、多言語、多地域の社会からなる国々では、統合された国民と国民文化と国語の形成がまず困難である。【0】中央政府の支配は国の隅々(すみずみ)までとうてい行き届かない。官僚(かんりょう)制も弱い。日本やタイなどの例外はあっても、韓国(かんこく)やベトナムは植民地後遺症(こういしょう)としての内乱の混乱から生まれた分断国家に悩み(なや )、中国は体制の基礎(きそ)づくりのために国を閉ざし、インドは統合よりも多文化共存の方向へと苦しく転換(てんかん)をよぎなくされた。こうした国家づくりの中で、政治権力が行なうのは国家主義の強調である。重苦しい抑圧(よくあつ)的雰囲気(ふんいき)が、外面の陽気さの陰(かげ)にこもっている。異国を旅する者の勝手な感想にはちがいないとしても、こうした雰囲気(ふんいき)に次第にいら立つことの多い国々の中で香港(ほんこん)は常に息抜き(いきぬ )となった。
 たしかに植民地近代の落し子ではあっても、自由港には独特の気易い雰囲気(ふんいき)がある。その文化も混合文化の性格をもつ。アジアには少なくとも三つのこうした都市国家があった。ベイルート、シンガポール、そして香港(ほんこん)である。
 ベイルートはパレスチナ問題と中東での紛争(ふんそう)に巻き込ま(ま こ )れて、崩壊(ほうかい)してしまった。私自身一度はベイルート滞在(たいざい)を密かに願っていたのに、それは叶わ(かな )ぬ夢となっている。シンガポールも独立後は発展への道を輝かしく(かがや   )歩み出したが、その分だけ国家主義の色彩(しきさい)も強まった。短期間の観光やビジネスの出入りでは世界で一番といってよい通りのよさを有してはいるが、いまやあまりにも国家規制の多いところとなった。発展とともに国家主義も強くなるのは歴史によくみられる例にちがいない。
 香港(ほんこん)は東アジアにおける英植民地という逆説を生きてきた。それがいつの間にか東と西、南と北とを仲介(ちゅうかい)する緩衝(かんしょう)地帯の役目をはたすようになった。香港(ほんこん)を舞台(ぶたい)とする小説は数あるが、ジョン・ル・カレの「スマイリー閣下」の香港(ほんこん)が冷戦下のエスピオナージ活動の緩衝(かんしょう)地帯としての香港(ほんこん)を描い(えが )て出色であった。それは英国人の眼からとらえた植民地都市ではあるが、そこに漂う(ただよ )雰囲気(ふんいき)はまさしく香港(ほんこん)である。
 香港(ほんこん)は一般(いっぱん)には通過する場所であって、そこに留まることを目的とすることは少ない。もちろん、香港(ほんこん)を故郷とする中国人も英国人もいるわけだし、本拠地(ほんきょち)を香港(ほんこん)におく内外の企業(きぎょう)も多いが、基本的な部分でそこは「本来ない場所」との認識もあるのだ。中国に属する領土にはちがいなく、英植民地の期限も一九九七年六月三〇日には切れる。一九八〇年代初め頃(ころ)に訪れると、中・英の香港(ほんこん)返還(へんかん)交渉(こうしょう)が行なわれていたときでもあり、何か将来についての思いが定まらない刹那(せつな)的な気分が漂っ(ただよ )ていた。ショッピングでもホテルでもレストランでも嫌(いや)な感じをもったことがいくつかあった。すさんだ気分があふれて、香港(ほんこん)もこれまでかと思ったこともある。
 しかし、一九八三年の秋には中国への返還(へんかん)交渉(こうしょう)が妥結(だけつ)して、それなりに未来図が描ける(えが  )ようになったこともあってか、落着きを取り戻し(と もど )ていた。勝手な話であるが、また香港(ほんこん)の緩衝(かんしょう)性を享受(きょうじゅ)できる気になったのである。

(青木保「逆光のオリエンタリズム」による)