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音読の丘
 音読で、読む力、書く力が育つ。
 オンドリくんの 音読の丘
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 生産性向上を目指してきた近代社会は、機械化と時間管理の徹底(てってい)化によって単位時間当たりの生産性を高め、一日、一週間、一月、一年といった各周期の労働時間の短縮を行なってきた。一九八八年、労働基準法の改正により、日本でもようやく週四〇時間を目指して労働時間の短縮を図る動きが国の側から開始された。いまだに実質的に週四〇時間労働が実現しないとはいえ、自由時間の増大に対応するための社会システムのあり方が模索(もさく)されている。そこで目標とされるのは年間で一八〇〇労働時間の社会であり、睡眠(すいみん)時間や通勤時間を除いても年間の自由時間は約四〇〇〇時間となる。さらに、圧倒的(あっとうてき)に多い自由時間は、人生全体のなかで大きな比重を占め(し )、人びとは自由時間の過ごし方を中心に人生の設計を図らなければならない。
 しかしながら、近代社会の理念の下では、けっしてこの自由時間は個人の自由に完全に委ねられるわけではない。それは、自由裁量の時間でありながら、労働や他の義務的活動によって生じた疲労(ひろう)を回復し、気晴らしになり、しかも自己の発展と文化の発展につながるような活動で埋める(う  )ことを求められる。享楽(きょうらく)主義や自己破壊(はかい)につながるような時間の過ごし方は、近代の理念に反するのである。その意味で、レジャーは、新しい時代の社会規範(きはん)にしたがって水路づけられることになる。
 他方で、自由時間の過ごし方は、時間をあくまで定量的に把握(はあく)する近代の時間観念に依拠(いきょ)している。労働時間が資源として扱わ(あつか )れ経済的価値を帯びるにつれ、それを切り詰める(き つ  )ことによって獲得(かくとく)された自由時間にもその経済的価値意識が反映されてくることは、必然の成り行きでもある。すなわち、自由時間を有効に無駄(むだ)なく過ごそうという意識が、自由時間内の活動自体に浸透(しんとう)するのであり、近代の時間意識は、自由時間においても変わらない。複数の人びとが共同で行なうレジャー活動は、多くのスポーツや趣味(しゅみ)のクラブや個人の日常の各周期のスケジュールのなかで、厳格に共時化され、順序づけられ、進度調整が図られる。
 しかし、時間を合理的に使おうとする割には、自由裁量性に目を奪わ(うば )れたり期待をかけすぎて、われわれはすべての活動が時間を消費することを忘れがちである。たとえば、テレビの番組をビデオに収録して自分の好きなときに見るという発想は、時間消費の自由裁量性を高める工夫であるように見える。しかしこれは、今は読めないがいつか読むつもりでたくさんの本を買い込む(か こ )悪癖(あくへき)を想起させる。現実には、それは限られた自由時間にきわめて時間消費量の多い活動を詰め込み(つ こ )、結局睡眠(すいみん)時間を切り詰める(き つ  )結果になりがちである。この傾向(けいこう)は、消費社会の論理によってさらに加速される。

 (長田1攻一()「現代社会の時間」『岩波講座現代社会学 時間と空間の社会学』岩波書店、一九九六年による。)