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音読の丘
 音読で、読む力、書く力が育つ。
 オンドリくんの 音読の丘
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※音読の丘は、家庭での音読の練習用として使ってください。
1.音読する文章が2つある場合は、最初の方の文章を音読してください。
2.はじめに、音声入力を始めるのボタンを押してください。
3.音読が終わったら音声入力を止めるのボタンを押してください。
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 子供の頃(ころ)、習字の練習は半紙という紙の上で行った。黒い墨(すみ)で白い半紙の上に未成熟な文字を果てしなく発露(はつろ)し続ける、その反復が文字を書くトレーニングであった。取り返しのつかないつたない結末を紙の上に顕し(あらわ )続ける呵責(かしゃく)の念が上達のエネルギーとなる。練習用の半紙といえども、白い紙である。そこに自分のつたない行為(こうい)の痕跡(こんせき)を残し続けていく。紙がもったいないというよりも、白い紙に消し去れない過失を累積(るいせき)していく様を把握(はあく)し続けることが、おのずと推敲(すいこう)という美意識を加速させるのである。この、推敲(すいこう)という意識をいざなう推進力のようなものが、紙を中心としたひとつの文化を作り上げてきたのではないかと思うのである。もしも、無限の過失をなんの代償(だいしょう)もなく受け入れ続けてくれるメディアがあったとしたならば、推すか敲く(たた )かを逡巡(しゅんじゅん)する心理は生まれてこないかもしれない。
 現代はインターネットという新たな思考経路が生まれた。ネットというメディアは一見、個人のつぶやきの集積のようにも見える。しかし、ネットの本質はむしろ、不完全を前提にした個の集積の向こう側に、皆(みな)が共有できる総合知のようなものに手を伸ばす(の  )ことのように思われる。つまりネットを介し(かい )てひとりひとりが考えるという発想を超え(こ )て、世界の人々が同時に考えるというような状況(じょうきょう)が生まれつつある。かつては、百科事典のような厳密さの問われる情報の体系を編むにも、個々のパートは専門家としての個の書き手がこれを担ってきた。しかし現在では、あらゆる人々が加筆訂正(ていせい)できる百科事典のようなものがネットの中を動いている。間違い(まちが )やいたずら、思い違い(おも ちが )や表現の不的確さは、世界中の人々の眼に常にさらされている。印刷物を間違い(まちが )なく世に送り出す時の意識とは異なるプレッシャー、良識も悪意も、嘲笑(ちょうしょう)も尊敬も、揶揄(やゆ)も批評も一緒(いっしょ)にした興味と関心が生み出す知の圧力によって、情報はある意味で無限に更新(こうしん)を繰り返し(く かえ )ているのだ。無数の人々の眼にさらされ続ける情報は、変化する現実に限りなく接近し、寄り添い(よ そ )続けるだろう。断定しない言説に真偽(しんぎ)がつけられないように、その情報はあらゆる評価を回避(かいひ)しながら、文体を持たないニュートラルな言葉で知の平均値を示し続けるのである。明らかに、推敲(すいこう)がもたらす質とは異なる、新たな知の基準がここに生まれようとしている。
 しかしながら、無限の更新(こうしん)を続ける情報には「清書」や「仕上がる」というような価値観や美意識が存在しない。無限に更新(こうしん)され続ける巨大(きょだい)な情報のうねりが、知の圧力として情報にプレッシャーを与え(あた )続けている状況(じょうきょう)では、情報は常に途上(とじょう)であり終わりがない。
 一方、紙の上に乗るということは、黒いインクなり墨(すみ)なりを付着させるという、後戻り(あともど )できない状況(じょうきょう)へ乗り出し、完結した情報を成就させる仕上げへの跳躍(ちょうやく)を意味する。白い紙の上に決然と明確な表現を屹立(きつりつ)させること。不可逆性を伴う(ともな )がゆえに、達成には感動が生まれる。またそこには切り口の鮮やか(あざ  )さが発現する。その営みは、書や絵画、詩歌、音楽演奏、舞踊(ぶよう)、武道のようなものに顕著(けんちょ)に現れている。手の誤り、身体のぶれ、鍛錬(たんれん)の未熟さを超克(ちょうこく)し、失敗への危険に臆する(おく  )ことなく潔く発せられる表現の強さが、感動の根源となり、諸芸術の感覚を鍛える(きた  )暗黙(あんもく)の基礎(きそ)となってきた。音楽や舞踊(ぶよう)における「本番」という時間は、真っ白な紙と同様の意味をなす。

 (原研哉()『白』による)