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音読の丘
 音読で、読む力、書く力が育つ。
 オンドリくんの 音読の丘
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※音読の丘は、家庭での音読の練習用として使ってください。
1.音読する文章が2つある場合は、最初の方の文章を音読してください。
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 【1】あなたがたはとくと考えたことがあるでしょうか、今も日本がすばらしい手仕事の国であることを。西洋では機械の働きがあまりにさかんで、手仕事の方はおとろえてしまいました。しかし、それにあまりかたよりすぎてはいろいろの害が現れ(あらわ )ます。【2】だから、各国とも手の技(わざ)をもり返そうと努めています。なぜ機械仕事とともに手仕事が必要なのでしょうか。機械によらなければできない品物があるとともに、機械では生まれないものがかずかずあるわけです。【3】すべてを機械に任せ(まか )てしまうと、第一に国民的な特色あるものがとぼしくなってきます。機械は世界のものを共通にしてしまうかたむきがあります。それは、残念なことに、機械はとかく利得のために用いられるので、できる品物がそまつになりがちです。【4】それに人間が機械に使われてしまうためか、働く人からとかくよろこびをうばってしまいます。こういうことがわざわいして、機械製品(せいひん)にはよいものが少なくなってきました。これらの欠点を補う(おぎな )ためには、どうしても手仕事が守られねばなりません。【5】そのすぐれた点は多くの場合民俗(みんぞく)的な特色がこく現れ(あらわ )てくることと、品物がてがたく親切に作られることです。そこには自由と責任(せきにん)とが保た(たも )れます。そのため仕事によろこびがともなったり、また新しいものをつくる力が現れ(あらわ )たりします。【6】だから手仕事をもっとも人間的な仕事と見てよいでしょう。ここにそのもっとも大きな特性(とくせい)があると思われます。
 かりにこういう人間的な働きがなくなったら、この世に美しいものは、どんなに少なくなってくるでしょう。【7】各国で機械の発達をはかるとともに手仕事を大切にするのは当然な理由があるといわねばなりません。西洋では「手で作ったもの」というとただちに「よい品」を意味するようにさえなってきました。人間の手には信らいすべき性質(せいしつ)が宿ります。
 【8】欧米(おうべい)の事情(じじょう)にくらべますと、日本ははるかにまだ手仕事に恵まれ(めぐ  )た国なのに気づきます。各地方にはそれぞれ特色のある品物が今も手で作られつつあります。たとえば手漉き(てす )の紙や、手轆轤(ろくろ)の焼き物などが、日本ほど今もさかんに作り続けられている国は、ほかにはまれではないかと思われます。
 【9】しかし、残念なことに日本では、かえってそういう手の技(わざ)が大切なものだという反省がゆき渡っ(  わた )ていません。それどころか手仕事などは時代にとり残されたものだという考えが強まってきました。そのため多くは投げやりにしてあります。【0】このままですと手仕事はだんだんおとろえて機械生産のみさかんになるときがくるでしょう。しかし、私(わたし)どもは西洋でなした過失(かしつ)をくり返したくありません。日本の固有な美しさを守るために手仕事の歴史をさらに育てるべきだと思います。
 さて、興味深い(きょうみぶか )ことには、ほうぼうでめぐり合った手仕事による品物は、それがどんなに美しい場合でも、一つとして作った人の名をしるしたものはありません。時として何地方名産とか、何何堂製(せい)などとはり紙のついている場合もありますが、個人(こじん)の名はどこにもしるしてありません。ところが近世の「美術(びじゅつ)品」と呼ば(よ )れているものを見ますと、どこにもみな銘(めい)が書き入れてあります。または落款(らっかん)がおしてあります。銘(めい)というのは作り手の名であり、落款(らっかん)というのはその名をしるした印形(いんぎょう)です。たとえばどんなつまらない作品にも何某(なにがし)の作ということがしるしてあります。
 ここにおもしろい対比(たいひ)が見られます。一方では名などしるす気持ちがなく、一方は名を書くのを忘れ(わす )たことがありません。なぜこんな相違(そうい)が起こるのでしょうか。要するに一方は職人(しょくにん)が作るものであり、一方は美術家(びじゅつか)が生むものだからであるといわれます。前者は多くの人たちの作りうるものであり、後者はある個人(こじん)だけが作りうる作品だからです。しかしこのことは、とかく前者をいやしみ、後者をのみ尊ぶ(たっと )風習を生みました。なぜなら職人(しょくにん)の作ったものは平凡(へいぼん)であり、美術家(びじゅつか)の作るものは非凡(ひぼん)であると思われるからです。どんな品物も銘(めい)がない場合に、その市価(しか)が落ちるのはつねに見られる現象(げんしょう)です。ですがこういう見方ははたして当をえたものでしょうか。(中略)
 じつに多くの職人(しょくにん)たちはその名をとどめずにこの世を去っていきます。しかし、かれらが親切にこしらえた品物のなかに、かれらがこの世に生きていた意味が宿ります。かれらは品物で勝負しているのです。物で残ろうとするので、名で残ろうとするのではありません。