未ログイン ログイン
音読の丘
 音読で、読む力、書く力が育つ。
 オンドリくんの 音読の丘
※最初にログインをしてください。言葉の森の団体コードは、aaa001です。
※音読の丘は、家庭での音読の練習用として使ってください。
1.音読する文章が2つある場合は、最初の方の文章を音読してください。
2.はじめに、音声入力を始めるのボタンを押してください。
3.音読が終わったら音声入力を止めるのボタンを押してください。
4.音声入力を止めたあと、結果を送信するのボタンを押してください。



 【1】これまでの人の観察や考えを利用するという必要から、読書はまず必要である。現在(げんざい)の学問にとっても必要である。いな、学問がだんだん進歩して、人間のありさまについても、自然のありさまについても、観察や思想が積み重なれば重なるほど、たくさんの本を読むことが必要になってくる。【2】昆虫(こんちゅう)の生活を知るには、昆虫(こんちゅう)そのものを見ることがまずたいせつである。しかし、ファーブルの昆虫(こんちゅう)記を読むことによって昆虫(こんちゅう)の生活はよりよくわかる。またわれわれは、すぐれた絵画や音楽や文学に接し(せっ )たとききっと深い感動を受ける。【3】しかし、これまでの人が、それらの絵や音楽や文学について書いた批評(ひひょう)や解説(かいせつ)を読めば、われわれの感動はより深まる。
 本を読むことには、もっと別の利益(りえき)がある。それは、いくらわれわれが苦労しても、自分自身では経験(けいけん)することのできない経験(けいけん)、それを教えられることである。
 【4】たとえば、ロビンソン・クルーソーのように、ただひとり離れ(はな )小島にただよい着いて、不便なひとりぼっちの生活を送るということは、おたがいの一生のうちに、まずありそうにもないことである。【5】しかし、ロビンソン・クルーソー漂流(ひょうりゅう)記という書物を読めば、人間はそうした場合、どういう気持ちになり、どういう行動をするかということがわかる。【6】また、孫悟空(そんごくう)のように、雲に乗って空を飛びまわったり、耳の毛を何本かぬいて、ふっとふけば、それがみな自分と同じさるの形になって、そのへんを走りまわるというようなことは、空想の世界だけにあって現実(げんじつ)の世界にはないことがらである。【7】しかし、西遊記という書物を読めば、そうした場合に、人間はどんな気持ちになるだろうと、想像(そうぞう)することができる。
 小説ばかりではない。歴史の本も同じように役にたつ。われわれは、ジョージ・ワシントンのような地位に立つことは、まずあるまい。【8】また、ナポレオンのような地位に立つことは、いっそうあるまい。しかし、ワシントンの伝記を読めば、誠実(せいじつ)に世の中のためにつくそうとした人の喜びと苦しみがわかるし、ナポレオンの伝記を読めば、うぬぼれの過ぎ(す )た人間の得意さと悩み(なや )がよくわかる。
 【9】なるほど、われわれはロビンソン・クルーソーそのままの境涯(きょうがい)になることはまずあるまい。つまり、離れ(はな )小島でひとりぼっちの生活を送ることは、まずあるまい。しかし、そうしたときの人間の気持ちを知っておくことは必要である。【0】クルーソーは、不便きわまる境涯(きょうがい)の中で、その不便にうち勝つために奮闘(ふんとう)した。考えてみれば、われわれの住んでいる地球もたくさんの不便をもっている。これも大きな宇宙(うちゅう)の中の一つの離れ(はな )小島であるかもしれない。クルーソーの離れ島(はな じま)は人間が少なすぎて困り(こま )、われわれの地球は人間が多すぎて困っ(こま )ている。困っ(こま )ている点では、われわれもクルーソーと同じなのである。困っ(こま )たあげく、ときどきは、あの雲に乗って飛びまわれたらと、ふと考えることがないでもない。その点では、われわれも孫悟空(そんごくう)と同じである。しかし、それはむなしい空想だとさとると、やはりワシントンのように、じみちに誠実(せいじつ)に生きようと思うし、ときにはまた、ふと、ナポレオンのように、からいばりをしたくなったりもする。つまり、ワシントンはわれわれの中にいるのであり、ナポレオンもわれわれの中にいるのである。ひとのことを読んでいるのではない。われわれのことを読んでいるのである。
 書物を読むことにはこのような利益(りえき)がある。ところでわたしが、これから書物を読もうという若い(わか )人たちに勧め(すす )たいことが一つある。それはこういうことである。気に入った書物にでくわしたときには、一度読んだだけでよしにせずに、二度三度とくり返して読んでほしい。二度三度とくり返して読みたくなる書物、それはきっとそれだけのよさをもった書物である。
 孔子(こうし)は、書物を読むことの利益(りえき)を、初めて説き示し(しめ )た東洋人であるといってよい。ところで、孔子(こうし)は易(えき)を読んで、韋()編(へん)三絶(ぜっ)したということが、その伝記に見えている。韋()編(へん)というのは、皮のひもという意味であって、当時の書物は、竹の札を一枚(まい)ずつ横に並べ(なら )、札と札とを皮のひもでくくりあわせてあったが、そのひもが三度も絶ち(た )切れるほど、易(えき)の書物を、孔子(こうし)はくり返しくり返し読んだというのである。
 われわれも、何かそれぞれに好きな書物を、とじ糸が三度も切れるほど愛読したいものである。どの書物がそれであるかは、人々によってちがうであろう。しかし、何かそうした愛読書を、一生のうちにはみつけたいものである。