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音読の丘
 音読で、読む力、書く力が育つ。
 オンドリくんの 音読の丘
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※音読の丘は、家庭での音読の練習用として使ってください。
1.音読する文章が2つある場合は、最初の方の文章を音読してください。
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 その翌日であった。母親は青葉の映りの濃く(こ )射す縁側(えんがわ)へ新しい茣蓙(ござ)を敷き(し )、俎板(まないた)だの包丁だの水桶(おけ)だの蠅帳(はいちょう)だの持ち出した。それもみな買い立ての真新しいものだった。
 母親は、自分と俎板(まないた)を距()てた向こう側に子供を坐ら(すわ )せた。子供の前には膳(ぜん)の上に一つの皿を置いた。
 母親は、腕(うで)捲り(めく )して、薔薇(ばら)いろの掌(てのひら)を差し出して手品師のように、手の裏表を返して子供に見せた。それからその手を言葉と共に調子づけて擦り(こす )ながら云っ(い )た。
「よくご覧、使う道具は、みんな新しいものだよ。それから拵える(こしら  )人は、おまえさんの母さんだよ。手はこんなにもよくきれいに洗ってあるよ。判ったかい。判ったら、さ、そこで――」
 母親は、鉢(はち)の中で炊き(た )さました飯に酢(す)を混ぜた。母親も子供もこんこん噎せ(む )た。それから母親はその鉢(はち)を傍ら(かたわ )に寄せて、中からいくらかの飯の分量を掴み(つか )出して、両手で小さく長方形に握っ(にぎ )た。
 蠅帳(はいちょう)の中には、すでに鮨(すし)の具が調理されてあった。母親は素早くその中からひときれを取り出してそれからちょっと押さえ(お  )て、長方形に握っ(にぎ )た飯の上へ載せ(の )た。子供の前の膳(ぜん)の上の皿へ置いた。玉子焼鮨(すし)だった。
「ほら、鮨(すし)だよ。おすしだよ。手々で、じかに掴ん(つか )で喰()べても好いのだよ」
 子供は、その通りにした。はだかの肌(はだ)をするする撫で(な )られるようなころ合いの酸味に、飯と、玉子のあまみがほろほろに交ったあじわいが丁度舌一ぱいに乗った具合――それをひとつ喰()べてしまうと体を母に拠り(よ )つけたいほど、おいしさと、親しさが、ぬくめた香(こう)湯のように子供の身うちに湧い(わ )た。
 子供はおいしいと云う(い )のが、きまり悪いので、ただ、にいっと笑って、母の顔を見上げた。
「そら、もひとつ、いいかね」
母親は、また手品師のように、手をうら返しにして見せた後、飯を握り(にぎ )、蠅帳(はいちょう)から具の一片(ひとき)れを取りだして押しつけ(お   )、子供の皿に置いた。
 子供は今度は握っ(にぎ )た飯の上に乗った白く長方形の切片を気味悪く覗い(のぞ )た。すると母親は怖く(こわ )ない程度の威丈高(いたけだか)になって、
「何でもありません。白い玉子焼きだと思って喰()べればいいんです」
といった。
 かくて、子供は、烏賊(いか)というものを生まれて初めて喰()べた。象牙(ぞうげ)のように滑らか(なめ  )さがあって、生餅(もち)より、よっぽど歯切れがよかった。子供は烏賊(いか)鮨(すし)を喰()べていたその冒険(ぼうけん)のさなか、詰め(つ )ていた息のようなものを、はっ、として顔の力みを解いた。うまかったことは、笑い顔でしか現さなかった。
 母親は、こんどは、飯の上に、白い透きとおる(す    )切片をつけて出した。子供は、それを取って口へ持って行くときに、脅かさ(おびや  )れるにおいに掠め(かす )られたが、鼻を詰まら(つ  )せて、思い切って口の中へ入れた。
 白く透き通る(す とお )切片は、咀嚼(そしゃく)のために、上品なうま味に衝き(つ )くずされ、程よい滋味(じみ)の圧感に混じって、子供の細い咽喉(いんこう)へ通って行った。
「今のは、たしかに、ほんとうの魚に違い(ちが )ない。自分は、魚が喰()べられたのだ――」
 そう気づくと、子供は、はじめて、生きているものを噛み殺し(か ころ )たような征服(せいふく)と新鮮(しんせん)を感じ、あたりを広く見廻し(みまわ )たい歓び(よろこ )を感じた。むずむずする両方の脇腹(わきばら)を、同じような歓び(よろこ )で、じっとしていられない手の指で掴み(つか )掻い(か )た。
「ひ、ひ、ひ、ひ、ひ」
 無暗に疳高(かんだか)に子供は笑った。母親は、勝利は自分のものだと見てとると、指についた飯粒(めしつぶ)を、ひとつひとつ払い(はら )落としたりしてから、わざと落ちついて蠅帳(はいちょう)のなかを子供に見せぬよう覗い(のぞ )て云っ(い )た。
「さあ、こんどは、何にしようかね……はてね……まだあるかしらん……」子供は焦立(いらだ)って絶叫(ぜっきょう)する。
「すし! すし!」
 母親は、嬉しい(うれ  )のをぐっと堪(こら)える少し呆(とぼ)けたような――それは子供が、母としては一ばん好きな表情で、生涯(しょうがい)忘れ得ない美しい顔をして、
「では、お客さまのお好みによりまして、次を差し上げまあす」
 最初のときのように、薔薇(ばら)いろの手を子供の眼の前に近づけ、母はまたも手品師のように裏と表を返して見せてから鮨(すし)を握り(にぎ )出した。同じような白い身の魚の鮨(すし)が握り(にぎ )出された。
 母親はまず最初の試みに注意深く色と生臭(なまぐさ)の無い魚肉を選んだらしい。それは鯛(たい)と比良目であった。
 子供は続けて喰()べた。母親が握っ(にぎ )て皿の上に置くのと、子供が掴み(つか )取る手と、競争するようになった。その熱中が、母と子を何も考えず、意識しない一つの気持ちの痺れ(しび )た世界に牽き(ひ )入れた。五つ六つの鮨(すし)が握ら(にぎ )れて、掴み(つか )取られて、喰()べられる――その運びに面白く調子がついて来た。素人の母親の握る(にぎ )鮨(すし)は、いちいち大きさが違っ(ちが )ていて、形も不細工だった。鮨(すし)は、皿の上に、ころりと倒れ(たお )て、載せ(の )た具を傍ら(かたわ )へ落とすものもあった。子供は、そういうものへ却って(かえ  )愛感を覚え、自分で形を調えて喰()べると余計おいしい気がした。子供は、ふと、日頃(ひごろ)、内しょで呼んでいるも一人の幻想(げんそう)のなかの母といま目の前に鮨(すし)を握っ(にぎ )ている母とが眼の感覚だけか頭の中でか、一致(いっち)しかけ一重の姿に紛れ(まぎ )ている気がした。

(岡本(おかもと)かの子「鮨(すし)」)