未ログイン ログイン
音読の丘
 音読で、読む力、書く力が育つ。
 オンドリくんの 音読の丘
※最初にログインをしてください。言葉の森の団体コードは、aaa001です。
※音読の丘は、家庭での音読の練習用として使ってください。
1.音読する文章が2つある場合は、最初の方の文章を音読してください。
2.はじめに、音声入力を始めるのボタンを押してください。
3.音読が終わったら音声入力を止めるのボタンを押してください。
4.音声入力を止めたあと、結果を送信するのボタンを押してください。



 【1】昔話の研究をすることは、そこに隠さ(かく )れた民衆の知恵(ちえ)のようなものを感じとることになり、現代に生きるわれわれに対しても思いがけぬ示唆(しさ)を与え(あた )てくれる。
 【2】昔話と老人ということになると、まずわが国の昔話にはよく老人が登場することに気づかれるであろう。実はこのことは日本の昔話のひとつの特徴(とくちょう)であり、内外の昔話研究者の指摘(してき)しているところである。【3】このことをどう解釈(かいしゃく)するかはここでは触れ(ふ )ないでおくが、昔話に登場する老人がどのような知恵(ちえ)を与え(あた )てくれるか調べてみることにしよう。「うばすて山」という昔話では、六十歳(さい)になって山にすてるべき老人を息子がかくまっている。【4】殿様(とのさま)があるとき「灰で縄(なわ)をなって来い」と百姓(ひゃくしょう)たちに言いつける。だれもできずに困っているときに、老人が息子に、縄(なわ)を固くなって、それをだいじに焼いて灰にしてもってゆけと教えてやる。このようなことから老人の知恵(ちえ)が殿様(とのさま)に認められ、うばすての習慣がとりやめになる。【5】この昔話で極めて象徴(しょうちょう)的なことは、皆(みな)が灰で縄(なわ)をなうのに苦労しているとき、老人はそれを逆にとらえて、縄(なわ)をなってから灰にしたことである。
 老人の知恵(ちえ)は思考の逆転の必要性を示している。【6】このような思い切った発想こそ、われわれが老人のことを考えるときに必要なことではなかろうか。老人は何もできない、能率的でないから駄目(だめ)だと皆(みな)は言う。これを逆転して、老人は何もしないし非能率的だから価値があると考えてみてはどうだろう。【7】実際、われわれはあくせく働き、能率や進歩を追求してきて、本当に幸福になったであろうか。物質的豊かさと精神の貧しさに病んでいないだろうか。【8】何をしたのか、どれくらい利益を得たのか、そんなことにわれわれがあまりにもこだわりがちとなるとき、ただそこに存在するだけという老人の姿は、価値とは何かについて重要なことを教えてくれるのではなかろうか。
 【9】「貧乏神(びんぼうがみ)」という昔話にでてくる老人は、もっと思い切った知恵(ちえ)を授けてくれる。詳細(しょうさい)を語ると面白いが省略してエッセンスのみを言うと、若夫婦の家に住みついた貧乏神(びんぼうがみ)の老人が金もうけの方法を教えてくれるのだ。【0】それは、殿様(とのさま)の行列が通りかかるのでその駕籠(かご)のなかを目がけてなぐりこめ、というのである。結局、若者は老人の言いつけに従って金を獲得(かくとく)するのだが、ここで「殿様(とのさま)をなぐる」などというまったく途方(とほう)もないことがでてくるところが興味深いのである。
 封建(ほうけん)時代には殿様(とのさま)は絶対的な存在である。それに対してあえてなぐりかかるものこそが、黄金を獲得(かくとく)できるのだ、と老人の知恵(ちえ)は告げている。ユングは無意識が意識の一面性を補償(ほしょう)する傾向(けいこう)があることを、つとに指摘(してき)している。昔話もそれと同様に公的で常識的な考えを裏から補償(ほしょう)する傾向(けいこう)をもっていると思われる。従って、それは思いがけない解決の道を示唆(しさ)するのである。殿様(とのさま)が絶対的であった時代に、このような話をもっていた日本の民衆というものは、なかなかの活力を底に秘めていたのではなかろうか。
 ところで、昔話には類話というものがあり、「貧乏神(びんぼうがみ)」にもいろいろな類話が存在している。それをみるとまた興味深い。殿様(とのさま)をなぐるのに気がひけて家来をなぐったので、大金持ちになれず小金持ちになったというのがある。あるいは、貧乏神(びんぼうがみ)の老人に福の神が通るからつかまえろと教えられるが、たくましい馬がやってきて怖く(こわ )てつかまえられない。二度も失敗して最後に弱そうなのがきたのでとびつくと、それは貧乏神(びんぼうがみ)で元どおりになったなどという愉快(ゆかい)なのがある。これは、「ものごとをやるときは思い切りが必要だ」ということを示しているものとも言えるが、せっかくとびついたら元の貧乏神(びんぼうがみ)というところに巧ま(たく )ぬユーモアがあり、どうせ貧乏(びんぼう)でもいいさという諦観(ていかん)のようなものさえ感じさせる。類話のなかにはどうせ同じこととひらき直って金持ちになる話も存在している。
 これらの類話の多様性は人生の問題の解決法の多様性を示している。これでなければ、という固いことではなく、人によっていろいろの生き方があり、それはそれなりに面白いものだ、と昔話の知恵(ちえ)はわれわれに語りかけてくるのである。このように昔話を読むことは、現代のわれわれの生き方と直接につながってくるのである。