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音読の丘
 音読で、読む力、書く力が育つ。
 オンドリくんの 音読の丘
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※音読の丘は、家庭での音読の練習用として使ってください。
1.音読する文章が2つある場合は、最初の方の文章を音読してください。
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 アイヌの世界観において驚く(おどろ )べきことは、動物も植物も天の世界ではすべて人間の形をして、家族生活を営んでいると考えられていることである。その天の世界では、われわれと同じ人間である動物や植物がこの世界に現れるときには、ハヨクベ即ち(すなわ )仮装をつけて現れるというのである。何のために仮装をつけて現れるのか。それは人間の世界にミヤンゲ即ち(すなわ )土産を持ったマラプト即ち(すなわ )客人として訪れるためである。つまり、アイヌにとって、熊(くま)も木もすべて人間と同じものであるが、彼ら(かれ )はその身をわれわれに提供するためにこの世に仮装をつけて出現するというわけである。
 アイヌの社会で最も重要な祭りであるイヨマンテ、即ち(すなわ )熊(くま)送りの儀式(ぎしき)は、このような客人の携え(たずさ )た土産をいただき、その代わりその霊(れい)を無事天に送り届ける宗教的儀式(ぎしき)なのである。アイヌは子熊(ぐま)が捕れる(と  )と、それを大事に育て、その身が美味しくなる秋頃(ごろ)に子熊(ぐま)を殺す。この殺し方もまたすべて決められた礼に従って行わねばならぬが、この儀式(ぎしき)の中心はやはり殺した熊(くま)の霊(れい)を天に送ることにある。それがイヨマンテ、イ(それ)をオマンテ(送る)儀式(ぎしき)なのである。殺された熊(くま)の頭を祭壇(さいだん)に祀り(まつ )、そこに日本のゴヘイにあたるイノウ即ち(すなわ )ケズリカケを立て、そこに、熊(くま)に人間からのミヤンゲとしてドングリや穀物や魚や酒を供え、それを持たして、おそらく鳥のイメージであるにちがいないイノウに乗せて熊(くま)の霊(れい)を天に送るのである。こうして丁重にもてなされた熊(くま)が人間にもらった土産を天に持ち帰ると、その土産は数十倍になり、それをもって宴会(えんかい)を開くと天にいる熊(くま)たちは寄ってきて、天に帰った熊(くま)から、人間に大切にもてなされ無事天に送り返された話を聞き、それでは自分も行ってみようと思うというのである。そして翌年は多くの熊(くま)が生まれて、豊猟(りょう)であるということになる。
 熊(くま)ばかりか、すべての動物、草木すらここでは神であり、天の世界では人間の形をとって生活しているのである。それゆえすべての動植物、特に人間によって殺され食用にされるものは人間と同じく丁重に葬ら(ほうむ )れ、無事に天へ送り届けられなければならないのである。
 このような世界観をわれわれはどのように考えたらいいのであろうか。もとよりこれらの思想が全体としてそのまま真理であると私は主張しようとは思わない。もしも熊(くま)に「あなたは土産を持ってこの世界に訪れた客人なのですか」と尋ね(たず )たら、熊(くま)はきっと「ノー」と答えるにちがいない。それはあまりに人間の勝手な考え方だと熊(くま)は抗議(こうぎ)するにちがいないが、しかし私はキリスト教の考える、神は山や川やすべての動植物をこしらえた後に、最後に人間をつくり、人間に神と同じ理性を与え(あた )た、それゆえ、人間はすべての動植物を支配する権利を持つ、という思想よりはるかに勝手な考え方ではないと思う。なぜなら、人間がすべての動植物を支配し、殺害することのできる権利を神によって与え(あた )られているというのでは、人間は動植物を殺してもいささかも良心の呵責(かしゃく)を感じないであろう。この考え方は熊(くま)は本来、人間と同じものであり、したがってわれわれはこの客人の好意に従って客人を殺した場合、必ずその霊(れい)を天に送らねばならないという考え方とはかなりな差がある。前者は本質的に人間と動物の差別の上に立つ世界観であるが、後者は人間と動物とを本来同一とみる世界観なのである。
 人類は長い狩猟(しゅりょう)採集生活の末に、動物の殺害を合理化する哲学(てつがく)を考えたにちがいないのである。おそらく動物の殺害は不快感を伴っ(ともな )たにちがいない。その不快感を除去し、動物の殺害と食肉を合理化する哲学(てつがく)として、彼ら(かれ )は、動物は土産を持って人間社会に現れた客人であるという神話を考え出したのであろう。このような神話は動物の殺害や植物の採伐(さいばつ)を最小限度にとどめることになろう。彼ら(かれ )は動植物に「私が生きていくためには、あなたの身が必要なのです。どうかあなたの命を下さい」と言わないと、動植物を殺すことができないのである。アイヌ語で「ありがとう」という言葉は、「ヤイライゲ」というが、「ヤイライゲ」というのは、私を殺してくれという意味である。この狩猟(しゅりょう)採集時代の厳しい自然環境(かんきょう)のなかでの最も強い感謝の表現は、私を殺して私の肉を食ってくれという言葉なのである。 (梅原猛(たけし)『伝統と創造』による)