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音読の丘
 音読で、読む力、書く力が育つ。
 オンドリくんの 音読の丘
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※音読の丘は、家庭での音読の練習用として使ってください。
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 何について、責任が問題となるのか? まず何よりも、行為(こうい)にかんして、である。しかも、みずから何かを行うという行為(こうい)だけでなく、何事かをしないという無為(むい)も、また他人が何かをするのを助ける・やめさせる行為(こうい)をもふくめ、まずは行為(こうい)にかんしてこそ、責任が問題となる。
 もちろん、行為(こうい)・無為(むい)にかんして「他のようにはできなかった?」と問われるとき、その問は、その人の心理的・人格的な特性や、そのときの思考・感情にまで及ぶ(およ )。しかし、繰り返せ(く かえ )ば、そうした事柄(ことがら)にまで責任の問題が及ぶ(およ )のは、行為(こうい)のありようが問われるからである。そのかぎりで、まずもって行為(こうい)に焦点(しょうてん)を合わせるのは不当なことではない。
 では、誰(だれ)が責任を負うのか?「行為(こうい)した個人が」という答は、自明のようにも思える。しかし事態は、つねにそう単純であるとはかぎらない。なるほど、行為(こうい)するのは、個人である。少なくとも行為(こうい)は、意味を帯びた身体のふるまいにおいて遂行(すいこう)されるかぎり、身体なき存在は、行為(こうい)できない。しかし、だからと言って、行為(こうい)の責任を負うのは、当の個人にかぎられる、ということにはならない。
 このことが如実(にょじつ)に問題となるのは、会社や国家といった組織が「集合的な行為(こうい)」を遂行(すいこう)するばあいである。しかし、会社や国家は、個人が行為(こうい)するのと同じ仕方で、行為(こうい)するのではない。ここでは、もっぱら個人に焦点(しょうてん)を合わせて、行為(こうい)の責任を考えてみたい。
 個人が行為(こうい)するときには、何の前提もなしに、本人にもわけ(理由)も分からぬまま、体が動くのではない。その人は、その人なりに状況(じょうきょう)を認知し、自分の欲求や、まわりからの期待や、自分の願望にもとづいて決断し、意図的に体を動かして、行為(こうい)している。何気ないささいな行為(こうい)においてさえ、状況(じょうきょう)の認知・周囲の人たちの抱い(いだ )ている予期・期待、当人の中長期の計画などなど、多くのことが前提となっている。
 もし、状況(じょうきょう)認知・周囲からの期待・本人の計画といった行為(こうい)の前提のいっさいが、その個人に由来し、その人によって自由に制御(せいぎょ)できるのであれば、そのばあいには、行為(こうい)にかかわる責任は、すべてその人にある、ということになろう。しかし、実際には、そうではない。状況(じょうきょう)認知・期待・欲求などなどといった行為(こうい)の前提の多くは、まわりの人たちとの関係によって生じている。したがって、誤った情報を与え(あた )られたまま、あるいは過剰(かじょう)な期待を負わされたまま、その人が決断したときには、「本人がそう選択(せんたく)したのだから、彼(かれ)・彼女(かのじょ)に全責任がある」とは言えない。そう決めつけるのは、実態とずれており、ばあいによっては苛酷(かこく)である。
 もちろん、だからといって、「本人が編み込ま(あ こ )れていた関係が悪かった、環境(かんきょう)が悪かった」といった責任転嫁(てんか)が、つねに正当化されるわけではない。催眠(さいみん)術にかけられていたとか、舞踏(ぶとう)病で体が勝手に動いたとでもいうのでないかぎり、私たちは、自分が行為(こうい)した理由(わけ)を問われる。思わず、あるいは何気なく行為(こうい)してしまって、自分でも理由を説明できないとしても、舞踏(ぶとう)病で体が勝手に動いてしまったのでもないかぎり、私たちは、自分の行為(こうい)に責任を負っている。しかし、もし誤った情報を与え(あた )られて、あるいは過大な期待を負わされて、あるいは脅迫(きょうはく)されて、そう行為(こうい)することを選んだのであれば、誤った情報を与え(あた )た者、過大な期待を負わせたり脅迫(きょうはく)した者にも、その責任があるはずである。

(大庭健『「責任」ってなに?』による。一部改変)