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音読の丘
 音読で、読む力、書く力が育つ。
 オンドリくんの 音読の丘
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 「差別」や「平等」という言い方は、一種の序列構造を前提にしている。自然数のように、大小の順番がつけられるという性質を「順序関係」と呼ぶが、「差別」の対義語として「平等」を措定(そてい)する思想的態度は、順序関係という写像への信奉(しんぽう)によって非常に強く条件づけられている。
 「差異は上下という関係に写像される」という世界観の下では、できるだけその差異を隠蔽(いんぺい)して、均質なものとみなそうという動機づけが生まれる。そこに立ち現れるのは、世界がお互い( たが )に比較(ひかく)などできない多様なものによって構成されているという豊潤(ほうじゅん)さへの感謝ではなく、むしろすべてを中央集権的に価値づけようという「神の視点」につながる野望である。(略)
 差別語とされる言葉をことさら使う人は品性下劣(げれつ)であるが(とくに相手が嫌がる(いや  )場合には、あえてそのような言葉を使う必要はないと思う)、その一方で思想警察のごとき極端(きょくたん)な「差別語狩り(か )」には、以前から違和感(いわかん)を持っていた。その根本的な理由は、以上述べたような、差別をことさらに隠蔽(いんぺい)しようとする思想の背後にある、画一的なメンタリティにある。
 世界には魑魅魍魎(ちみもうりょう)のごとき実に多彩(たさい)なものがあふれており、その間に単純なる順序関係(上下の序列)などつけることはできず、生肉を食べようが、目が細かろうが、箸(はし)でものをつまもうが、それは「個性」であって、「みんなちがって、みんないい」と称揚(しょうよう)されるべき差異である。そのような「覚悟(かくご)」をもって世界を見渡せ(みわた )ば、美人だろうがブスだろうが、ハゲだろうがオヤジだろうが、別にいいだろう、と思えるはずだ。しかし、それは案外かなりラジカルで、それを生きることの難しいスタンスなのかもしれないとも思う。
 もともと、近代科学自体に世界観としての原罪がある。周知のとおり、ニュートンによる微積分(びせきぶん)の手法の発明、「万有引力」という構想自体が、世界の中の差異を消去し、すべてに普遍(ふへん)的に成り立つ法則を見出そうとする動機づけに基づいていた。目の前のリンゴと、天上に輝く(かがや )月の間には、ナイーブに考えれば乗り超え(こ )がたい差異がある。両者が同じ万有引力の法則に従って運動するという衝撃(しょうげき)的な着想の中にこそ、近代の科学を発展させた起爆(きばく)剤(ざい)はあった。しかし、それは同時に差異をどんどん無効化し、消去していく無限運動の始まりでもあった。
 それぞれ輝く(かがや )個性をもって屹立(きつりつ)しているかに見えた生物種の起源が「突然変異(とつぜんへんい)と自然選択(せんたく)」という一般(いっぱん)原理で説明され、子が親に似るという現象はDNAという単一の物質のバリエーションの問題に帰着し、そしていまや世界の森羅万象(しんらばんしょう)が等しくネットワーク上のデジタル情報の中に映し出される。男も女も、老いも若きもすべては差異の隠蔽(いんぺい)された平等の楽園に取り込ま(と こ )れていくという「政治的正しさ」のプログラムは、ニュートン以来の近代科学のすばらしき成果と思想的に明らかに連動しているのである。

 (茂木健一郎()「『みんないい』という覚悟(かくご)」による)