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音読の丘
 音読で、読む力、書く力が育つ。
 オンドリくんの 音読の丘
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 「患者(かんじゃ)が最後まで希望を持つことができるためにはどうしたらよいか」ということは、ことに重篤(じゅうとく)な疾患(しっかん)にかかわる医療(いりょう)現場において切実な問いである。病気であることが知らされる―だんだん状態が悪くなることを知り、有効な対処法はないことも知る――自分の身体がだんだん悪くなり、できることがどんどん減って行く――死を間近に感じるようになる。
 このような状況(じょうきょう)で、「希望」とはしばしば、「治るかもしれない」という望みのことだと思われている。あるいは「自分の場合は通常よりもずっと進行が遅い(おそ )かもしれない」ということもあろう。いずれにしてもまさに「希望的」観測である。だが、希望とはこうした内容の予測のことなのだろうか。
 もしそうだとすると、それこそ確率からいって、そうした患者(かんじゃ)の多数においては、はじめに立てた希望的観測が次々と覆さ(くつがえ )れるという結果にならざるを得ない。それでは「最後まで望みをもって生きる」ということにはならないだろう。そもそも、「癌(がん)」と総称(そうしょう)される疾患(しっかん)群をモデルとして、「告知」の正当性がキャンペーンされてきたのは、患者(かんじゃ)が自分の置かれた状況(じょうきょう)を適切に把握(はあく)することが今後の生き方を主体的に選択(せんたく)するために必須(ひっす)の前提であったからではなかったか。右に述べたような望みの見出し方は、非常に悪い情報であっても真実を把握(はあく)することが人間にとってよいことだという考えとは調和しない。
 では「死は終わりではない、その先がある」といった考え方を採用して、希望を時間的な未来における幸福な生に託す(たく )というのはどうだろうか。だが、医療(いりょう)自らが、そのような公共的には根拠(こんきょ)なき希望的観測に過ぎない信念を採用して、患者(かんじゃ)の希望を保とうとするわけにはいかない。
 ところで、死は私たち全ての生がそこに向かっているところである。遅かれ(おそ  )早かれ私の生もまた死によって終わりとなることは必至である。その私にとって希望とは何か――考えてみればこの問いは、重篤(じゅうとく)な疾患(しっかん)に罹っ(かか )た患者(かんじゃ)にとっての希望の可能性という問題と何らか連続的であろう。そして、多くの宗教は死後の私の存在の持続を教えとして含み(ふく )、そこに希望を見出そうとしてきた。それは人間の生来の価値観を肯定(こうてい)しつつ、提示される希望である。だが他方宗教的な思想には、死後の生に望みをおく考え方を拒否(きょひ)する流れもある。その場合は、人間はもっとラディカルに自己の望みについて突き詰める(つ つ  )のである――「死後も生き続けたいという思いがそもそも我欲なのである」とか、「自己の幸福を追求するところに問題がある」というように。それは生来の価値観を覆し(くつがえ )つつ提示される考えである。では、死が私の存在の終わりであることには何の不都合もないではないかとして、これを肯定(こうてい)した場合に、希望はどこにあるか――どのような仕方であれ、「死へと向かう目下の生それ自体に」と応えるしかないであろう。
 終わりのある道行きを歩むこと、今私は歩んでいるのだということ――そのことを積極的に引き受ける時に、終わりに向かって歩んでいるという自覚が希望の根拠(こんきょ)となる。そうであれば「希望を最後まで持つ」とは、実は「現実への肯定(こうてい)的な姿勢を最後まで保つ」ということに他ならない。つまり、自己の生の肯定(こうてい)、「これでいいのだ」という肯定(こうてい)である。「自己の生」といっても、生きてしまっている生(完了(かんりょう)形)としてみることと、生きつつある生(進行形)としてみることとの二重の視線がある。完了(かんりょう)したものという生のアスペクトにおける肯定(こうてい)は「これでよし」との満足である。他方、生きつつある生、つまり一瞬(いっしゅん)先へと一歩踏み出す(ふ だ )活動のアスペクトにおける、前方に向かっての肯定(こうてい)、前方に向かって自ら踏み出す(ふ だ )姿勢が、希望に他ならない。

 (清水哲郎()『死に直面した状況(じょうきょう)において希望はどこにあるか』より。一部省略)