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音読の丘
 音読で、読む力、書く力が育つ。
 オンドリくんの 音読の丘
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※音読の丘は、家庭での音読の練習用として使ってください。
1.音読する文章が2つある場合は、最初の方の文章を音読してください。
2.はじめに、音声入力を始めるのボタンを押してください。
3.音読が終わったら音声入力を止めるのボタンを押してください。
4.音声入力を止めたあと、結果を送信するのボタンを押してください。



【長文が二つある場合、音読の練習はどちらか一つで可。】
 【1】寺田さんは有名な物理学者であるが、その研究の特徴(とくちょう)は、日常身辺にありふれた事柄(ことがら)、具体的現実として我々の周囲に手近に見られるような事実の中に、本当に研究すべき問題を見出した点にあるという。(中略)
 【2】周知の通り、林檎(りんご)が樹から落ちるのを不思議に感じて問題としたことが、近代物理学への重大貢献(こうけん)となった。あたり前の現象として人々が不思議がらない事柄(ことがら)のうちに不思議を見出すのが、法則発見の第一歩なのである。【3】寺田さんは最も日常的な事柄(ことがら)のうちに無限に多くの不思議を見出した。我々は寺田さんの随筆(ずいひつ)を読むことにより寺田さんの目をもって身辺を見廻す(みまわ )ことができる。そのとき我々の世界は実に不思議に充ち(み )た世界になる。
 【4】夏の夕暮れ、ややほの暗くなるころに、月見草や烏瓜(からすうり)の花がはらはらと花びらを開くのは、我々の見なれていることである。しかしそれがいかに不思議な現象であるかは気づかないでいる。寺田さんはそれをはっきりと教えてくれる。【5】あるいは鳶(とんび)が空を舞い(ま )ながら餌(えさ)を探している。我々はその鳶(とんび)がどうして餌(えさ)を探し得るかを疑問としたことがない。寺田さんはそこにも問題の在り場所を教え、その解き方を暗示してくれる。【6】そういう仕方で目の錯覚(さっかく)、物忌み(ものい )、嗜虐(しぎゃく)性、喫煙(きつえん)欲というような事柄(ことがら)へも連れて行かれれば、また地図や映画や文芸などの深い意味をも教えられる。
【7】我々はそれほどの不思議、それほどの意味を持ったものに日常触れ(ふ )ていながら、それを全然感得しないでいたのである。寺田さんはこの色盲(しきもう)、この不感症(ふかんしょう)を療治(りょうじ)してくれる。【8】この療治(りょうじ)を受けたものにとっては、日常身辺の世界が全然新しい光をもって輝き(かがや )出すであろう。
 この寺田さんから次のような言葉を聞くと、まことにもっともに思われるのである。
【9】「西洋の学者の掘り(ほ )散らした跡(あと)へ遙々(はるばる)遅ればせ(おく   )に鉱石のかけらを捜し(さが )に行くのもいいが、我々の脚(あし)元に埋(う)もれてゐる宝を忘れてはならないと思ふ。」
 寺田さんはその「我々の脚(あし)元に埋(う)もれてゐる宝」を幾つ(いく )か掘り出し(ほ だ )てくれた人である。【0】

 (和辻(わつじ)哲郎(てつろう))
 【1】そうしてみると、価値の多様化と画一化とは決して矛盾(むじゅん)したことではなくて、同じ現象の両面のように思えてくる。その根本にはやはり、普遍(ふへん)的価値の崩壊(ほうかい)がある。普遍(ふへん)的価値が崩壊(ほうかい)したのは崩壊(ほうかい)しただけの歴史的理由がある。【2】ある一つの普遍(ふへん)的価値を信じた人たちが、それと矛盾(むじゅん)し、対立する価値を信じている人たちを排撃(はいげき)し、差別して残虐(ざんぎゃく)な行為(こうい)を繰り返し(く かえ )てきたということがあって、ある日ふと気づいてみると、そんなことをしてまで守らなければならないほどの絶対性はどのような「普遍(ふへん)的」価値にもないことがわかってきたのである。
 【3】そこで、普遍(ふへん)的価値というものは存在しないのだということになった。すべては相対的であって、どのような価値を信じていようが間違っ(まちが )ているとは言えず、それぞれが勝手に信じていればいいのだということになった。
 【4】そこから、価値の多様化ということが出てくるわけであるが、悲しいかな、人間は何らかの価値を信じ、それを自我の支えにしなくては生きてゆけず、しかも自分の信じる価値はできるかぎり多くの人びとに信じられているものであることを望むので、勝手にどのような価値を信じてもいいと言われても、それほど自由の幅(はば)はないのである。【5】そして、普遍(ふへん)的価値は崩壊(ほうかい)しているわけだから、何らかの価値を信じていても、それが普遍(ふへん)的だと思って信じていたときのような自信はもてず、ひょっとしてとんでもないことを信じてしまっているのではないかとの疑いを拭い(ぬぐ )切れない。【6】そこで、他の人たちが信じているように見える価値を、自分は確信をもてないままに、一応今のところ信じておくといったことになる。他の人たちが信じているように見える価値を自分も信じるという人が多くなれば、必然的に、価値は画一化されるわけである。
 【7】したがって、価値が多様化されたと言っても、個人が選択(せんたく)できる価値の幅(はば)が広く豊かになり、無限に多様な生き方の可能性が開かれているということではなくて、ある価値を信じることによって個人が得ることができるものはむしろ貧しくなっており、【8】また、価値が画一化されたと言っても、多くの人が一つの共通の価値を信じて連帯するということにはならなくて、つまり、同じ価値を信じていることが人と人とを結びつけるわけではなくて、ばらばらに同じ価値を信じているといった具合になっている。
 【9】わたしは現代を「嫉妬(しっと)とはしゃぎの時代」だと言っているが、普遍(ふへん)的価値が崩壊(ほうかい)すると、そこに自我の安定した基盤(きばん)を見出せないので、人びとははしゃいで目立つ以外に自分の存在を確認する方法がなくなり、また、同じ理由で他の人のことが絶えず気になり、嫉妬(しっと)に狂わ(くる )ざるを得ない。【0】
 この嫉妬(しっと)とはしゃぎということと、価値の多様化または画一化とはつながっている。目立つためには、他と異なっていなければならず、人びとは多様な価値をそれぞれに表現し、「個性」を打ち出して目立とうとする。しかし、他方では価値は画一化されているので、優劣(ゆうれつ)、成否を計る一本の尺度しかなく、すべての人が同じ尺度のもとで序列をつけられ、劣位(れつい)におかれた者は同じ尺度の上で上昇(じょうしょう)しないかぎり、いつまでも劣(れつ)者である。これでは、同じ尺度の上で優位にある者に嫉妬(しっと)し、彼(かれ)を引きずりおろしたくなるのは避け(さ )がたい。
 これらのことは現代の時代精神とでも言うべきことであろう。こういう傾向(けいこう)はあらゆる面に現れている。たとえば、若者が親の反対を押し切り(お き )、苦難を乗り越え(の こ )てついに結ばれるといったいわゆる大恋愛(れんあい)をしなくなった。これは、恋愛(れんあい)の永遠性、唯一(ゆいいつ)性、絶対性といったことが信じられなくなった以上、ある者が、おれは大恋愛(れんあい)をしてやろうとがんばったところで、どうにもなるものではない。職業選択(せんたく)においても、一つのことに一生を賭ける(か  )ということをしなくなった。

(岸田秀(しゅう)の文章による)