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音読の丘
 音読で、読む力、書く力が育つ。
 オンドリくんの 音読の丘
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【長文が二つある場合、読解問題用の長文は一番目の長文です。】
 私たちはこれまで、木は時代遅れ(じだいおく )の原始的な素材だと思っていた。だからそれに新しい技術を加え、工業材料のレベルに近づけることが進歩だと考えた。その結果、改良木材と呼ばれるものが次々に生み出された。それらは従来の木の欠点を補い、大量の需要(じゅよう)に応じ、生活を豊かにするのに大きく役立ってきた。たしかに木材工業は発展したのである。
 だが一方、最近になって、一つの疑問が持たれはじめてきたように思う。それは木というものは自然の形のまま使ったときが一番よくて、手を加えれば加えるほど本来のよさが失われていくのではないか、という反省である。考えてみるとそれは当たり前のことだったかもしれない。木は何千万年もの長い時間をかけて、自然の摂理(せつり)に合うように、少しずつ体質を変えながらできあがってきた生き物だったはずである。木は自然の子で、そのままが最良なのである。
 だから木を構成する細胞(さいぼう)の一つ一つは、寒いところでは寒さに耐える(た  )ように、雨の多いところでは湿気(しっけ)に強いように、微妙(びみょう)な仕組みにつくられている。あの小さな細胞(さいぼう)の中には、人間の知恵(ちえ)のはるかに及ば(およ )ない神秘がひそんでいるとみるべきであろう。それを剥い(は )だり切ったり、くっつけたりするだけで、改良されると考えたこと自体、近代科学への過信だったかもしれない。
 木を取り扱っ(と あつか )てしみじみ感ずることは、木はどんな用途(ようと)にもそのまま使える優れた材料であるが、その優秀(ゆうしゅう)性を数量的に証明することは困難だということである。なぜなら、強さとか、保湿性(ほしつせい)とか、遮音(しゃおん)性とかいった、どの物理的性能をとりあげてみても、木はほかの材料に比べて、最下位ではないにしても、最上位にはならない。どれをとっても、中位の成績である。だから優秀(ゆうしゅう)性を証明しにくい、というわけである。
 だがそれは、抽出(ちゅうしゅつ)した項目(こうもく)について、一番上位のものを最優秀(さいゆうしゅう)だとみなす、項目(こうもく)別のタテ割り評価法によったからである。いま見方を変えて、ヨコ割りの総合的な評価法をとれば、木はどの項目(こうもく)でも上下に偏り(かたよ )のない優れた材料の一つということになる。木綿も絹も同様で、タテ割り評価法でみていくと最優秀(さいゆうしゅう)にはならない。しかし「ふうあい」(繊維(せんい)の手ざわりや見た感じ)まで含め(ふく )た繊維(せんい)の総合性で判断すると、これらが優れた繊維(せんい)であることは、実は専門家のだれもが肌(はだ)で知っていることである。総じて生物系の材料というものは、そういう性質をもつもののようである。
 以上に述べたことは、人間の評価のむずかしさにも通ずるものがあろう。二、三のタテ割りの試験科目の点数だけで判断することは、危険だという意味である。たしかに今の社会は、タテ割りの軸(じく)で切った上位の人たちが、指導的役割を占め(し )ている。だが実際に世の中を動かしているのは、各軸(じく)ごとの成績は中位でも、バランスのとれた名もなき人たちではないか。頭のいい人はたしかに大事だが、バランスのとれた人もまた、社会構成上欠くことのできない要素である。だが今までの評価法では、そういう人たちのよさは浮かん(う  )でこない。思うに生物はきわめて複雑な構造をもつものだから、タテ割りだけで評価することには無理があるのであろう。

(小原二郎(こはらじろう))
 【1】話を元に戻そ(もど )う。以上述べてきたように、海牛類とクジラ類では鼻の位置がかくの如く(ごと )違う(ちが )のだが、クジラのように鼻が頭のてっぺんにある哺乳類(ほにゅうるい)はほかにはいない(おそらくほかの動物群「綱(こう)」でもそうなのかもしれない)。【2】とすれば、(現生の)クジラの定義として、
(一) 哺乳類(ほにゅうるい)である。
(二) 一生を水の中で過ごす。
の二条件に加えて、
(三) 鼻の孔(あな)が頭頂「頭のてっぺん」に位置する。とすれば、クジラ以外にこれに該当(がいとう)する生き物はいないことになる。【3】さらにいえば、(三)は非常に有力なキーであるから、(二)の「一生を水の中で過ごす」という定義がなくても、無事にクジラ類にまで検索(けんさく)が行き着くのである。(中略)
 クジラの体型をクラシックにまとめると、「紡錘形(ぼうすいけい)にしてひれ状の前肢(ぜんし)を持ち、後肢(こうし)を欠くが尾(お)部末線に半月状の尾びれ(お  )が付属する。【4】また、背部後半に背びれを有するものもいる」とでもなる。クジラ類の体型は多かれ少なかれこの字句で包括(ほうかつ)できてしまうのだが、一方、「ちょっと待てよ、こりゃ、何もクジラだけの特徴(とくちょう)でもねーんじゃねえーか?」という疑問がわきおこる。いや、じつにそうなのである。【5】ここでまとめたクジラの体の基本的な特徴(とくちょう)は、まさに海の先輩(せんぱい)である魚類にもあてはまることなのである。
 著名な進化学者であるハウエルによれば、ホオジロザメ(魚類代表)、イクチオザウルス(通称(つうしょう)魚竜(りゅう)・爬虫類(はちゅうるい)代表)そしてバンドウイルカ・ナガスクジラ(クジラ類・哺乳類(ほにゅうるい)代表)はいずれも、基本体型が大変似通っている。【6】これらは、進化系統的にはまったく赤の他人のようなものだが、共通しているのは、いずれも生活圏(けん)がまったく水の中にあること、とりわけ一生を水の中で過ごすことである。つまり、このような生活環境(かんきょう)の故にこの体つきになったということである。【7】この四者の比較(ひかく)は、学術的には系統的に異なる生物が同一の環境(かんきょう)下で過ごすことによって体型が似てくる(生物学的)収斂(しゅうれん)現象の例としてしばしば取り上げられる。
 この収斂(しゅうれん)現象は、自然科学的にも人文科学的にも広範(こうはん)に真理をついているように思える。【8】環境(かんきょう)を条件に見立てれば、空を飛ぶためには鳥とコウモリさらに飛行機の収斂(しゅうれん)になり、さらに形を文化にたとえれば、上りたいという条件は、互いに(たが  )交流がなくても東西の階段の形や使い方が似てくるという例に置き換え(お か )られる。
 【9】言い換えれ(い か  )ば、収斂(しゅうれん)とは「互いに(たが  )独立して努力しても、合理性を追求してゆくと、結果が類似してくる」ということなのである。
 クジラ類が、一体いつごろ水界に入ったかは依然として(いぜん   )謎(なぞ)が多い。【0】従来、最古のクジラであるムカシクジラ類パキセタスの化石が現れるのがおよそ五〇〇〇万年前といわれていたが、近年発見されたアンプロケタスの化石は、これを上回る五二〇〇万年前の地層から見いだされている。いずれにしても、ため息の出るような悠久(ゆうきゅう)の時を経ていることには変わりがない。この間には、幾多(いくた)のクジラの種類が現れては消えていったはずであるが、クジラ類というグループとしてはひたすらたゆまぬ努力を重ねて地球上のあらゆる水界に進出する一方、地球が生んだ最も高等な哺乳類(ほにゅうるい)という生物の一族でありながら、自らの記憶(きおく)すらない遠い遠い祖先「海の大先輩(せんぱい)」である魚類を凌ぐ(しの )ほどに体を変えて水になじんだのである。私が前段でこだわった「鼻の位置」も、もちろんこの一環(いっかん)にすぎない。
 クジラ類とは、哺乳類(ほにゅうるい)でありながら、本来の生活の場から水界に生息場所を移し、そこでの生残りを果たしただけでなく、なおかつ合理性を追求している生き物であり、このような「クジラ的な生き物」はやはりクジラしかいない。

(加藤(かとう)秀弘(ひでひろ)編著『ニタリクジラの自然誌』による)