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音読の丘
 音読で、読む力、書く力が育つ。
 オンドリくんの 音読の丘
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※音読の丘は、家庭での音読の練習用として使ってください。
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【長文が二つある場合、読解問題用の長文は一番目の長文です。】
 日本の人里の、何もきわだって美しいといえない風景の中にも、最近とくに知られるようになり、若い人たちが訪れる場所ができ始めた。京都の嵯峨野(さがの)などは、そうした場所の一つに数えられるだろう。また大和の山の辺(べ)の道も、だんだん人気が出てきたようである。だが、これらの場所は、実は、完全な自然の風景ではなく、背後にひかえている歴史の重みが加わって、その価値を高めているのだ。風景を考えるとき、これは非常に重大な点である。
 その地の歴史を知ることにより、平凡(へいぼん)な風景、ありふれた小山が、見る人びとをたちまち深い感興を催す(もよお )。きっかけは、歴史だけではない。芭蕉(ばしょう)の俳句に詠ま(よ )れたいくつかの風景は、その地に行って、ゆかりの風物を見る現代人の心に深い感慨(かんがい)を呼び起こす。風景は、見る人の心によって変わる。風景の価値は、その現在の実体と、過去を思う観賞者の心の交渉(こうしょう)のうちに成立する。
 風景の要素には、歴史が大きくかかわるだけではない。自然に対する知識が、なかなか大きく作用する場合がある。名もない花が咲い(さ )ているのをただ見るだけでなく、その花の名が全部わかり、そのあるものがその土地にあることの意外性といったことがわかり、その育ちぐあいの良さ悪さまでわかったら、興ざめになるどころかかえっていっそう印象が深まるというものだろう。向こうの丘陵(きゅうりょう)の雑木林の中に、若葉をつけたコブシの木の群れを見いだし、二か月前の花のころの光景を想像に描く(えが )のは悪い趣味(しゅみ)ではない。まわりで鳴く小鳥の声を聞いて、その鳥の種類がわかるのも楽しい。ツキヒホシポイポイと形容されるサンコウチュウの鳴き声を、珍しく(めずら  )も人里近くで聞いた時のうれしさは、風景のよさと必ずしも異縁(えん)ではない。
 日本の風景で、今まで人がほとんど注意を払わ(はら )なかったものに生け垣(がき)がある。農村の住宅は生け垣(がき)で囲った家が多い。農村の生け垣(がき)用の樹種は、都会の住宅地より単調な場合が多いが、そのかわり年を経た貫禄(かんろく)のあるものが少なくない。生け垣(がき)というものは、手入れのぐあいで、実にさまざまな態様をしていて、見る人の心を刺激(しげき)するものである。
 人の住んでいる風景と関係するものには、もっと人間くさいものがたくさんある。向こうのあの松の下の家のおばあちゃんは梅干を漬ける(つ  )のが上手で、その隣(となり)の家の息子は野球選手で甲子園(こうしえん)に出場したことがあるなどと知っていたら、その興の深さはどうだろう。そんなことは、風景とは関係ないと言う人がいるかもしれないが、私は何か関係があるという意見である。
 日本の、人の住む風景には、心温まる潤い(うるお )と豊かさをそなえたものが、いたるところにある。それは、いろいろな自然・人文の知識に裏打ちされいっそうの興趣(きょうしゅ)を盛り上げる。自分もそこに住み込ん(す こ )で、朝夕その中に溶け込み(と こ )たいような風景……いや、それよりも「風土」といったほうが適切な場所が、まだまだ、日本にたくさん残っているのである。

(中尾(なかお)佐助(さすけ)「私たちの風景」)
 【1】民主主義を一度も体験したことのない社会や世代は、民主主義をとにもかくにも「素晴らしいもの」と考え、そうした立場に立ってそれを描き(えが )、讃えよ(たた  )うとします。しかし、長い間にわたって民主主義を実践(じっせん)し、体験し、その実情を目にすることが増えてくると、こうした議論はなかなか人々の賛成を得られなくなります。【2】いろいろと「訳の分からない」ことや、いい加減なことが数多くあることを否定できなくなるからです。多くの人々は、先程例にあげたような民主主義批判が、あながち見当外れとばかり言えないことを肌(はだ)で感じています。【3】問題はその先です。「それでは他にどんな方法があるのか」ということへの回答がなければ、議論は先に進まないからです。
 二十世紀は「民主主義の世紀」と呼ばれたように、人類は実にたくさんの政治上の実験を行ってきました。【4】整然とした政治の実現のための仕組みや、本当の意味での「人民のための政治」を実現するための試みも行われました。ファシズムや共産主義はその代表例だったと言えます。【5】しかし、民主主義に対するさまざまな批判は、確かに鋭く(するど )説得的に見えたにもかかわらず、それに代えて実行に移した代案をみると、その結果は決して芳しい(かんば  )ものではなく、民主主義以上に惨憺(さんたん)たるものでした。そこで再び民主主義へと舞い戻る(ま もど )ことになったのです。【6】二十世紀後半以降の歴史は精神的にはこの舞い戻り(ま もど )の歴史であり、民主主義は初恋(はつこい)の相手のように胸躍る(おど )ものではなかったにせよ、どこかにどうしても捨てがたいものがあったということでしょう。
 日本も相当長い間にわたって民主主義を実践(じっせん)してきました。【7】こうした体験を重ねてくれば、民主主義の「素晴らしさ」を説く議論があるかと思えば、他方ではそれを先のように「けなす」議論をしていい気分になっているという向きもあります。しかし、それもそろそろ卒業すべきでしょう。【8】日本の民主主義はまさに、こうした段階の真っ只(ただ)中にいるのです。つまり、そろそろその欠陥(けっかん)や「訳の分からなさ」を見据え(みす )ながら、それを具体的に改善する方法を探らなければなりません。民主主義の「素晴らしさ」を讃える(たた  )議論とそれを「冷やかす」「けなす」議論とのやりとりは、いわば空中戦というべきものです。【9】しかし、本当に必要なのは、地道に一歩一歩何をどう変えていくかという地上戦なのです。
 ここでは「あれか、これか」式の空中戦ではなく、「より良く」が合言葉になります。人生の多くの局面において大事なことは、「より良く」を心がけ、実行することです。【0】「あれか、これか」に比べると、「より良く」を探求することは派手ではなく、あまり魅力(みりょく)のないもののように見えるかもしれません。しかし、人間の社会や個人の人生において大事なことは、ちょっとの違い(ちが )が大きな違い(ちが )につながるということです。継続(けいぞく)的な努力が必要なのはそのためです。五十歩百歩だからといって馬鹿(ばか)にしてはなりません。何も、欠陥(けっかん)があるのは民主主義だけではないのです。われわれ個々人も社会などの組織も、欠陥(けっかん)のないものはありません。それを継続(けいぞく)的な努力によって「より良く」していくことが大切なのであり、民主主義も例外ではないはずです。もちろん、人生や組織を「壊す(こわ )こと」が目的でないならばですが……。

(佐々木(ささき)毅(たけし)『民主主義という不思議な仕組み』より)