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音読の丘
 音読で、読む力、書く力が育つ。
 オンドリくんの 音読の丘
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 テレビやラジオにいわゆる教養番組が多くなった。また、日本や諸外国の文物風土を紹介(しょうかい)し、現状を分析(ぶんせき)批判するような現地報告の番組も多くなった。それらはそれぞれにおもしろい。おもしろい以上に、ときにわれわれに疑問をなげかけてくる。ところで残念ながら電波ジャーナリズムというものは、疑問を自分で考えてみたいから、一寸(ちょっと)待ってくれ、といっても待ってくれない。電波の機械的なテンポをもってさっさと歩み去ってしまう。われわれは考えることはやめて、眼や耳でついてゆかなければ前後の脈絡(みゃくらく)を失ってしまう。
 十五分か三十分の番組が終わると、とっさにとんでもないコマーシャルが聞こえてきたり、何の関係もない音楽になったりさては白菜、トマトの百グラム当たりの今日の値段になったり、美容体操になったりする。見るともなく、聞くともなくそれらを見、聞きしているうちに、さきに疑問に思い、考えてみたいと思ったことも、どこかに消えて、あとかたもなくなってしまう。
 このことの人間に及ぼす(およ  )影響(えいきょう)はかなり大きい。現代において、人間の生活、生涯(しょうがい)が断片化し、瞬間(しゅんかん)化し、昨日と今日、今年と来年との間の精神のつながりが稀薄(きはく)になったことが言われている。これにはいろいろな原因があろう。たとえば仕事が分業化し、専門化し、機械化して、人間の経験、過去の蓄積(ちくせき)を不用にするという傾向(けいこう)が強まってきているということもその原因のひとつであろう。さらにいえば、その人の個性を必要としないのみか、反(かえ)って個性を邪魔(じゃま)者とするような職場、仕事が多くなってきた。機械の番人、また追随(ついずい)者になることが要求せられる、ということもある。経験も個性もいらないということは、人間から誰々(だれだれ)でなければならぬということを奪い(うば )、アノニムな存在、即ち(すなわ )誰(だれ)でもかまわない誰か(だれ )ですむということである。そういうことを長年にわたってやっておれば、人間の断片化は当然に起こってくるだろう。
 精巧(せいこう)な機械や自動機械が多くなれば、人間の労働時間を少なくしても、生産を増加することができるだろう。生産の合理化は、今日ではそういう方向ですすめられている。一日の労働時間が六時間になり、週五日制になるということも起こってくるだろう。当然に閑()、休暇(きゅうか)が多くなる。さてそのできた閑()な時間をラジオやテレビを聞き、見ることにあてるとすれば、それらは既に(すで )いったような性格のものだから、前後の持続しない断片化に拍車(はくしゃ)をかけるという結果になる。
 右のことは、現代という時代の必然的な傾向(けいこう)だから、ある意味ではやむをえないことであるが、さてそれでいいのかと考えてみればそれでは困るのである。やむをえないとしても、いいとはいえないのである。ここに問題がある。
 人間が断片化し、瞬間(しゅんかん)瞬間(しゅんかん)に生存する存在に化するということは、自己自身に対して責任を負わなくなるということである。また自分自身の一生、生涯(しょうがい)というものをもたず、年毎(としごと)に深まる年輪をもたないということである。夫婦、親子、師弟、友人の間柄(あいだがら)が、そのときどきの都合による結びつきとなって、持続する愛情も尊敬もなくなるということである。これは人間にして人間らしくない生き方、非行人間だと私は思う。過去を負いながら未来を思い、現在において現在を超え(こ )たもの、即ち(すなわ )人生や自分の存在の意味を思い、その意味を認知することによろこびを感じ、また現在の自己に不満を感じるということが、人間を他の動物から区別している特質である。

(唐木(からき)順三「詩とデカダンス」)