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音読の丘
 音読で、読む力、書く力が育つ。
 オンドリくんの 音読の丘
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 カラーテレビは教育上よくない、白黒テレビのほうがよいという意見があることを聞いた。白黒テレビだと子どもたちは自分である程度まで着色したイメージをえがきうるし、それはさまざまでありうる。ところがカラーテレビだと子どもの想像力がはたらく余地がない。想像力は創造性の基本だから、つまり創造性の伸長(しんちょう)をさまたげる結果になるのだという。 
 白黒テレビが、見本なしのぬり絵のように、色についての子どもの想像力をかきたてるという効果はあるかもしれない。だがその場合、色にかんする想像力を裏づける、いわばそれに対応する、経験の蓄積(ちくせき)がなければならない。そうでないなら、白黒の画面を着色の画面に転化したイメージをもつことは困難だし、かりにそうしたことがなされたとしても、そこに成り立ったイメージは、きわめて単純でまずしいものでしかないだろう。子ども向けの怪人(かいじん)・怪獣(かいじゅう)テレビを見ているとき、これはおとなでも同様だと思わざるをえないことがある。 
 ところで、われわれ人間に色彩(しきさい)の豊富さを教えるまず第一のものは、自然である。山も海も川も、一つ一つの植物も動物も、なんと複雑で微妙(びみょう)な色彩(しきさい)に富み、陰影(いんえい)によるその変化を示すものであることか。私はガラパゴスの海で、空をあおいで熱帯鳥(ねったいちょう)が羽ばたきもせずに翔(か)けっていくのを見たとき、その白と空の青とがともに単色であるように見えながら、繊細(せんさい)な色彩(しきさい)の交響(こうきょう)を心につたえてくるのにうたれた。 
 絵画は、どれほど自然に忠実であろうとしても、自然の色彩(しきさい)のことごとくをそのまま再現することはできない。そもそも、絵画はそのようなことを目標とはしないであろう。たとえば写実的な風景画であっても、それは自然からの抽象(ちゅうしょう)をもとにした創造あるいは再創造であるにちがいない。そして人間は、極度の抽象(ちゅうしょう)や単純化のなかに新たな美を発見する能力をそなえている。現代絵画にあらわれているくすんだ単色あるいはそれに近い色彩(しきさい)での画面の構成は、色盲(しきもう)的な夜行動物の世界だといえなくはない。人間にとって、それもまた一つの美である。 
 色彩(しきさい)ばかりではない。ものの形にかんしても同様である。抽象(ちゅうしょう)画における、ちょっと見れば単純な一本の曲線とか、交錯(こうさく)する数本の直線とかにも、その背後には画家に感受された豊富な外界があるはずである。外界の音響(おんきょう)、たとえば風のいぶきや鳥のさえずりと、音楽の創造とのあいだにも、同一の関係が指摘(してき)されるであろう。ある点では、音楽における抽象(ちゅうしょう)と構成ないし再構成とは、絵画の場合よりいっそう高度かもしれない。 
 さて、現代において人間の生活環境(かんきょう)から、自然は急速に追放されつつある。それにとってかわっているのは、人工の世界である。開発され都市化のいちじるしく進んだこの国土の風景を一見すれば、それは瞭然(りょうぜん)としている。巨大(きょだい)なビル、新家屋、舗道(ほどう)、高速道路、そのほか目に映るすべてのものは、色彩(しきさい)も形状も、自然と対比すれば単純化され抽象(ちゅうしょう)化されている。だからといって美しくないというのではないが、その人工の美しさを裏づける自然の本来の多彩(たさい)さが失われてしまっていくのでは、やがては人工の美のまずしさを招来することになるであろう。 
 人間がどんな環境(かんきょう)でも生きられるという、その高度の順応性は、こうした問題をむずかしくしている。密林のなかで何十年もくらすことが不可能ではないし、団地のせまいアパートにひしめきあって生活することもできる。長い年月を牢獄(ろうごく)にとじこめられても、それだけですぐ死ぬというわけではない。そして、芸術などにはまったく背を向けて一生を送ったところでどうこういうことは起こらないし、実際に多くの人がそうしている。 
 もしも人間が、よりよく生き、よりよい社会をつくるという目標をもたないならば、この世界からの自然の消滅(しょうめつ)を憂える(うれ  )理由は何もない。問題の根本は、人間の生きかたについて理想や目標をもつかどうかにある。視野を大きく、また時間のはばを広くとってみるならば、自然の喪失(そうしつ)は人間とその社会にいちじるしい影響(えいきょう)をおよぼすことになるにちがいない。われわれの周囲に自然をどう保存するか、どのように新たな自然を設計するかは、いうまでもなく、現代社会の重大な課題である。ことに成長期の子どものために豊かな自然を生活の場として与える(あた  )ことは、なによりたいせつなことである。
(八杉(やすぎ)龍一(りゅういち)「自然と言葉」)