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題名:何ごとぞ花見る人の長刀(感)
感想文の課題です。課題の長文を読んで感想文を書いてください。
課題の長文
【1】何ごとぞ 花見る人の長刀
花見に平素の身分・階層をもちこむのは野暮というものだ。花見に行って武士の権威をふりまわすような輩は、「なんだサンピン、えらそうにするな」と町人どもから反発をくらうことになる。
【2】花見にケンカはつきものである。花見には、町内や職域といった小共同体の仲間が、つれだって出かけることが多い。それは新しく共同体意識をもりあげようとするか、あるいはこわれかかった共同体意識をたてなおそうとするのに利用される。【3】だが花見の場合は、あくまで小共同体意識にとどまり、大共同体意識になれない。そこで小共同体同士がいがみあいを起こしがちだ。花見どきのケンカといえば、個人同士のやりあいよりも団体客の乱闘が多いのは、そのためであろう。
【4】桜の花は、日本民族のシンボルとして、大共同体意識の中核に置かれたが、現実の花見はついにそこまで至っていない。
花見とならんで、月見と雪見――この三つが日本人の自然観賞の基本になっているが、月・雪・花、そのいずれもがうつろいやすいものという共通点がある。【5】月はいつも満月ではありえないし、雪はいつかとけて消え去る。花の生命は短い。満開だと思っていたら、一夜の雨風ですぐ散ってしまう。そうだからこそ、うつろいやすいものを惜しむ心が、時候に合わした会合の珍しさを貴ぶのだ。【6】自然の有為転変をながめては、人の生命のはかなさだけでなく、社会もつねに移り変わってゆくのだという気持ちが、日本人の心のどこかに絶えず潜んでいるのである。
【7】だいたい日本人は「見る」ということに重要な意味を与える。百聞は一見にしかずということわざの示すとおり、いくら本を読み頭で理解していても、現場を見たものには、たちうちできないのだ。【8】自分の目で見なければ、認識の根拠としてすこぶる薄弱だとする意識がある。いうなれば現場主義であり、体験主義であり、実証主義である。日本人のカメラ好きも、絵葉書では満足できぬ「自分の目で見て確かめる」実証主義のなせるわざであろう。
【9】さらにいえば、日本の社交の基本は「見る」ことで成立する。若い男女の恋人同士が愛の告白をするとき、西洋人のように、
「私はあなたを愛しています(I love you)」
などとはけっしていわない。【0】そんな言葉を口に出さなくとも、満∵月を仰ぎ見て、
「いいお月さんですね」
そして、二人でじっと空を見上げるだけで、意思は十分通じるのだ。「月が鏡であったなら」という歌の文句があるように、この場合、お月さんは二人の心のリフレクターの役割をする。つまり、日本では、言葉でなく、物理的対象物をともに見ることで、社交が成り立つのだ。そう考えてくると、月見、花見、雪見といった集団的な観賞行為は、じつは、日本文化のなかでのコミュニケーションの方法でもある、といわなければなるまい。月、雪、花は人と人をむすびつける触媒なのである。西洋のように、しゃべることが社交の基本になっているところでは、話がとぎれるとなにか気まずい思いをしなければならない。日本人なら、だまってなにかをながめることでも、会話は進行しうるのだ。
芝居を「総見」するなどというが、これも舞台で演じられている所作をみながいっしょに見ることに意味がある。見ることに力点をかけた社交の場が、芝居の総見なのである。おしゃべり一本だと、話題がとぎれたときに、白々しい感じがのこる。共通の「見る」対象物を一つおいておけば、そういう緊張感はなくなる。しゃべりたくなったらしゃべればいいし、しゃべることがなくなったら、見ているだけでいい。日本の劇場がザワザワとしているのは、西洋の観劇エチケットからすれば、たいへん不作法なことかもしれぬが、それはそれで、ちゃんと機能をもっているのである。
花見が最も庶民的なマス・レジャーであるのも故なしとしない。
(林屋辰三郎他『日本人の知恵』)
項目表
項目表を参考にして、作文・感想文を書いてください。
項目の苗 小1から楽しく書ける。作文、読解、国語の通信教育。Online作文教室 言葉の森
項目表 ミズキ の苗 中1年 7~9月
目標:意見文の基本的な構成を身につける
★重要・評価あり ◎重要・評価なし ○普通・評価なし 段落は大体の目安です。
| 第 1 段落 | 項目 | キーワード | 説明 |
|---|
構成 【 】 | ★ 構成図 | 構成図 <<構成>> | 構成図をかく |
構成  | ○ 要約(感想文) | 要約 <<構成>> | 要約を二〇〇字ぐらいでまとめる |
構成  | ○ 書き出しの工夫 | 書き出しの工夫 <<構成>> | 会話・色・音・情景で書き出す |
主題 【 】 | ★ 是非の主題 | よい 良い べき 大切 <<主題>> | 私はAがよいと思う |
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課題のヒント
医者は、命を救う方法についてますます多く知るようになっています。医者は、命を助けるための新しい機械および薬を持っています。今、医者は、死んでいるか、ほとんど死にかけている多くの人々を救うことができます。過去10年間に、多くの死んだ人たちがいました。医者は、その人たちのうちの何人かを再び生き返らせました。彼らのうちの何人かに彼らの死について尋ねることは興味深いことです。
レイモンド・ムーディは医者です。彼は、死んだか、死にかけた人々からの多くの話を聞きました。彼は、そのような人々のうち150人に死について尋ねました。彼らは非常に面白い話をしました。話がほとんどすべて同じであったので、彼は驚きました。これは、その話のうちの一つです。
一人の女性が死につつあります。彼女の身体は非常に悪いようです。医者は、「彼女は亡くなりました。」と言います。その後、彼女は、耳に非常に大きな雑音を聞き始めます。彼女は、長く暗い場所を通って非常に速く移動しているか落ちていると感じます。この後、彼女は、自分の本物の身体の外にいると思います。彼女はずっと遠くに立っており、自分自身の身体を見ています。人々は、彼女の身体の外にいる彼女を見ることができません。はるか遠くから、彼女は医者および看護婦を見ます。彼らは、彼女を救おうとしています。彼女は、自分の本物の身体へ戻ろうとします。しかし、彼女はできません。彼女は、医者と話をしようとします。しかし、彼らは彼女の言うことを聞くことができません。彼女は非常に孤独であると感じます。
その後、彼女は、彼女の前に死んだ家族および友達の顔を見ます。彼らは非常に幸福に見えます。彼らは彼女を助けるために来ます。彼らは彼女に伝えます。「心配しないでください。」彼女は気分がよくなり始めます。
その後、明るい光の中にいる人がその女性のところに来ます。光の中にいる人は彼女の人生について彼女に尋ねます。「あなたは死ぬ準備ができていますか。」「あなたの人生で何をしましたか。」彼女はこれらの質問について考えます。彼女は即座に自分の人生のすべてを思い出します。
女性はドアのところにやって来ます。彼女は、死ぬためにそれを通り抜けることもできるし、あるいは自分の身体と生命に戻ることもできます。今、彼女は、幸福に感じているので、戻りたくありません。彼女は、光の中にいる人に愛情と平和を感じています。しかし、医者は、彼女を救うために何かをします。彼女はドアを通り抜けません。突然、彼女は、自分の本物の身体の中に戻ります。彼女は目覚め、生き返ります。彼女はなぜだかわかりません。
その後、彼女は、自分の死のことを他の人々に伝えようとします。その話をするのに言葉を見つけることは困難です。他の人々は理解しません。それで、彼女はそれ以上その話をしません。彼女は、それが彼女の身にかつてふりかかった最も重要なことであると思います。それは彼女の人生を変えました。彼女は、それが夢でなかったことを知っています。その後、彼女は、多くのことを学ぼうとし、他の人々を愛そうとします。彼女は今死を恐れていません。死後も、この世とは違った風にではあるけれど、多くの事が続いて起きるのだということを彼女は知っています。
世界中で、異なる人々、異なる時代から死についての多くの話があります。ほとんどの話は同じです。恐らく、物語は真実です。あなたはどう思いますか。私たちは、死について知れば、生き方を変えるのではないでしょうか。 ( n )
お花見に行ったことのある人は多いでしょう。このお花見というのは、日本独特の風習です。著者はここに「共通の対象を見ることによって成り立つ日本文化特有のコミュニケーションの方法」を見ています。え、せっかくの花見なんだからそんなに堅いことを言うなって。
一緒に同じものを見ることでコミュニケーションが成り立つという場面を似た話として思い出してみましょう。「同じ釜の飯を食った仲」という言葉がありますが、中学生の女の子は(男の子も?)よく一緒につれだってトイレに行くことがあるでしょう。あれも日本独特のコミュニケーションなのかもしれませんね。(ほんとかいな)
欧米では、デートをするときも、面と向かって「アイラブユー」などと言うのだと思いますが(欧米の人、そう?)、日本では、そういう正面からの対話はあまりせずに、並んで月を見ながら(おいおい平安時代じゃないぞ)、もとい並んでホラー映画を見ながら、「こわいね」「うん」などという対話の仕方が多いと思います。
クラスの話し合いなどでも、面と向かって意見を述べ合って投票で決を採るというようなかたちで話が進むことは少なく、「ま、そんなところかな」「うん、そうだね」「じゃあ、みんなもよさそうだからそうしよう」というような進み方をすることが多いと思います。こういう日本的なコミュニケーションのよい面、悪い面ということで意見を考えてみましょう。
名言には、「議会の目的は、議論を殴り合いの代用品にすることである」。日本では、殴り合いをしないような友達関係を作ることで、議論も殴り合いもしなくて済むようにしているのかもしれませんね。 ( n )
●是非の主題
日本的コミュニケーションの良し悪しについて考えてみましょう。
「言葉にしなくてもわかりあえる」「あ・うんの呼吸」「心と心で通じ合う」という日本的コミュニケーションはできるようになればとても気持ちいいものだと思います。
一方で日本的コミュニケーションは単なる自己満足や大きな誤解を生むこともよくあります。好きだとはっきり言わないで態度だけで表していたらストーカーと間違えられた・・・とかありませんか。
例:「言葉に頼らない日本的コミュニケーションを大切にしたほうがいい」
「考えや気持ちをなるべくはっきり言葉にして表現したほうがいい」 ( m )
▽第一段落 要約に続いて意見 「言葉に頼らない、日本的なコミュニケーションのとりかたはよい。」
▽第二段落 理由一 「年や性別にかかわらず、同じものを見て、同じことを理解しあえるからだ。」
その実例 日本人だからわかる、といった共通のことがある。たとえばお祭りの時にはみんな同じように楽しくわくわくした気分になる。
自分たちと世代の離れた人と言葉を交わさなくても、わかりあえる。
▽第三段落 理由二 「コミュニケーションをとることで、やさしい気持ちが生まれるからだ。」
その実例 言葉に頼らないコミュニケーションのとりかたは、はっきり言わない分、相手の解釈に任せる部分がある。それは、わかってもらえるはずだという理解のもとになりたっている。
お互いに、相手を信頼して思いやって、やさしい関係ができる。
▽第四段落 反対意見に理解を示しながら、名言を入れてまとめ。
「確かに、言葉ではっきり自分の意見を言うほうが誤解が生じにくい。しかし、『トランプが生きているのは、それが実際のプレーに使われているときである。』という名言があるように、言葉に頼らない共通理解をもとにした日本的なコミュニケーションのとりかたはよいと思う。」 ( k )
国際化社会で生きていくためには、「言葉で表現する欧米的なコミュニケーションは良い」という是非の主題でも書けそうですね。第一の理由としては、「言葉で表せば、誰にでもわかりやすいからだ」。日本人の「気持ちを察する」「言葉に出さない気持ちを推し量る」ということも確かに素晴らしいことではありますが、文化の違う外国人にそれが通用するかと言えば疑問です。たくさんの人とコミュニケーションをはかっていくためには、やはり言葉ではっきりと伝えなければなりません。第二の理由は、「言葉ではっきり伝えないと誤解が生まれる場合があるからだ」。ここでは、日本語独特のあいまいさが誤解を招いた例を書くととよいでしょう。
( m )

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