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題名:数年前、私は西アフリカの(感)
感想文の課題です。課題の長文を読んで感想文を書いてください。
課題の長文
【1】数年前、私は西アフリカのナイジェリアの東北部べエヌ河の河畔を一人の土地の盲人と二人で神話・昔話を採取して歩いていた。四十すぎの私と殆ど同じ年と考えられる人であった。この盲人には実に色々な事を教わった。【2】そのうちの一つが次のようなことである。
或る時、彼の手を引いて山道を歩いている時に、彼は「目あきのおごり」というのがあるのですよ、と語り始めた。
目あきは、何でも見えるために、何でも解ると思っている。【3】ところが目あきが見ているのは眼の前に見えるものばかりでしょう。でも目あきが見ているものの中で目あきが記憶にとどめるのは、その百万分の一にすぎない筈ですよ。【4】そうでしょう、草の一本、一本、石ころのすべてを目あきは記憶しますか。しないでしょう。
私たち盲人は、一日単位では、目あきと較べるとたしかに何も見てないに等しい。【5】しかし、明日・明後日と先に行くにつれて、私たちの方がよく見えるということに目あきは余り気がついていませんね。私たちはたしかに眼は見えません。しかしその代償として、心の眼を与えられています。【6】心の眼は耳・身体・足・鼻・その他諸々の器官を「見る」ために動員するのです。それに、これらすべてを融合して、「遠く」をみるために、周りのものに対する「優しさ」が加わらなければなりません。【7】暗闇は私達盲人にとって絶望的な試練を与えますが、それは又無限の優しさを曳き出して来ることの出来る源泉です。目あきの人にはこうした暗闇を凝視することは出来ません。【8】私たちは、「心の眼」を通して暗闇の彼方から立ち現われる物を見ているのです。
この盲人は、昔話の絶妙な語り手であった。彼の語る昔話は、人々の魂をゆさぶる響きを帯びていた。【9】彼が語る時、昔話は、他の人間が語るのと同じ言葉で語られていても、それらの言葉は、周りの光景と融け合い、そうした事物の根に達し、世界を全く見なれない新しいものに変える力を持っていた。
【0】森も原野も、動物達も樹々も、すべて、彼の言葉に吸い寄せら∵れて、彼が語る間の時間に融け込むかのようであった。彼が得意とした昔話は、気ままに生きることを信条としたために王様の座からずり落ちた滑稽な者の話であった。この男は、その気ままな境遇を利用して、天にも、水中にも、地上至るところ旅をして歩くというのがこのシリーズ連作の昔話の骨子である。
彼と生活を共にしているうちに、私にも何か見えて来るような気がして来た。神話というのは、これだなという実感が湧いて来た。それは神話学概論をいく冊読んでも書かれていない事柄であった。私達の生活の中で私達が、人間中心に、損得づくで使っている言葉も一見、荒唐無稽な筋の中に投げ込まれると、効用性を失ってしまう。損得づくで使っている言葉や、話の筋は、私達を他人や、私達をとりまく他の事物と表面的には結びつけるけれども、深い層でのつながりを断ち切ってしまう。(中略)
いうまでもなく、生態系には、荒唐無稽なこと、ばかばかしいこと、無駄なことが満ち満ちている。それは神話・昔話と同じことである。しかしながら、ここ十数年の間に生態学者や、動物行動学者は、そうした一見無秩序な関係の中には、調和して生きるために、自分の持っている原則を大胆に変える生物の叡知が働いていることを見つけ出した。それは、人間が自らの文化の中に秘め匿して維持しつづけて来た、神話的「優しさ」とも言うべきものに見合う筈の生き方である。
自然との調和こそ、我々人類が生存し続けるために避けることの出来ない原則になった。
(山ロ昌男「仕掛けとしての文化」)
項目表
項目表を参考にして、作文・感想文を書いてください。
項目の苗 小1から楽しく書ける。作文、読解、国語の通信教育。Online作文教室 言葉の森
項目表 ビワ の苗 中2年 7~9月
目標:二つの異なる意見を比較して考える書き方を身につける
★重要・評価あり ◎重要・評価なし ○普通・評価なし 段落は大体の目安です。
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課題のヒント
サケが戻ってきました!
その年、札幌の豊平川に1500匹を超えるサケが戻ったことが、1981年に報告されました。札幌の人々は喜びました。彼らにとって、これは大きなニュースでした。
豊平川は、石狩川に注ぐ川です。数年前、その川はサケで非常に有名でした。多くのサケが毎秋、そこに戻ってきて卵を産みました。
その後、何かが起こりました。1952年、6匹のサケしかそこに見られませんでした。また、その後、札幌の人々はサケを全く見なくなりました。彼らは忙しすぎたので、自分たちの川に何が起こっているかということに注意を払うことができませんでした。そして、彼らは、当時の大都市の多くの川と同じように豊平川もほとんど死にかけているということに気づきませんでした。
幸運にも、札幌の人々が皆、サケがかつて教えてくれた教訓を忘れているわけではありませんでした。何人かの人々は、豊平川が、サケが戻り、卵を産むには汚染されすぎているということに気づきました。それは、彼らをとりまく環境が悪くなっているというサインでした。そこで、これらの人々は、豊平川を再びきれいにするために働き始めたのです。彼らは、定期的に川のテストを行いました。これらのテストは、豊平川が魚が住むのに十分安全かどうかを彼らに教えてくれました。彼らは、札幌の人々に、きれいな水が自分たちの生活のためにどれだけ重要であるかを伝えました。そして、少しずつ、長い期間をかけて、川の水は再びきれいになりはじめました。
1978年、秋のある日、2匹のサケが豊平川で見られました。これはわくわくさせるニュースでした。このニュースは、川をよりきれいにするために働いていた人々に希望を与えました。1か月後、「札幌サケ協会」が設立されました。そのメンバーたちは、川を十分にきれいにすれば、魚を連れ戻すことができると信じました。
大きなキャンペーンが始まりました。人々は、川にはサケを再び連れ戻すわずかなチャンスがあることを知っていました。そこで、彼らは熱心に働きました。すぐに、より多くの人々がそのプロジェクトに興味を持ち、支援することを申し出ました。最初の年に、100万匹の赤ちゃんのサケが注意深く豊平川に放されました。2年目には140万匹が、3年目にはさらに140万匹が放流されました。人々は、放流された赤ちゃんのサケが戻ってくるかどうか確信はありませんでした。しかし、幸いにも、1981年に、1500匹のサケが戻ってきたのです。
札幌の人々はともに働き、彼らの川にサケを連れ戻すことに成功しました。さらに、私たちが努力を一つにすれば一度は汚染された川に生き物を戻すことができるということを私たちに示してくれました。また、このプロジェクトにはもう一つ良いことがあります。「Come Back Salmon」プロジェクトは、今では日本の他の地域でも成果を上げています。京都の由良川、東京の荒川、長野の千曲川など多くの川で、毎年、赤ちゃんのサケが放流されています。そして、サケが戻ってきたという報告がなされています。毎秋、私たちの多くの川でサケがはねるのを見るのは素晴らしいではありませんか。
英国のテムズ川にサケが戻ってきてから既にいくらかの時が経っています。同じようなプロジェクトが世界中で成功のうちに起こっていると言われています。札幌の人々がしたように、私たちの努力を一つにすれば私たちは自然のバランスの中に戻るかもしれません。 ( n )
普通、「目あき」という言葉に対応するものは「めくら」という言葉です。しかし、日本のマスコミ界では、次のような言葉はその言葉に該当する人を傷つけるという理由から、別の表現で言い換えるように工夫しています。 めくら→目の不自由な人、びっこ→足の不自由な人。
この長文で、「目あき」に対応する言葉として「盲人」が使われているのは、以上のような事情からです。
中学2年生のみなさんが、この長文の感想文を書くときに、「目あき」に対応する言葉として、自然に「めくら」という言葉を使ってしまうことがあるかもしれません。そのこと自体は決して悪いことではありませんが、そういう言葉を差別表現だと感じる人がいるということを考えると、ここは長文にあるように「盲人」という言葉を使っていく方がいいかもしれません。もちろん、言葉の言い換えで実際の姿が変わるわけではありませんが、露骨な言い方に傷つく人がいるかもしれないという配慮として表現の仕方を考えていくということです。 内容:目明きは盲人よりも多くのものを見ていると思っているが、盲人は心の眼でより多くのものを見ることができる。私たちは、誤解を恐れるあまり、言葉を最も定義しやすい意味だけに限定してつかう。一見、荒唐無稽な神話や昔話には、大宇宙との対話を助ける心の眼のようなものがある。生態系にある無駄や無秩序の中には、調和していきるための叡智がある。
似た例:たとえば、「うらしま太郎が乙姫様からもらった玉手箱を開いておじいさんになる」という話などは、理屈っぽく考えれば、どうしてそんな箱をくれたのかということになります。同じく「犬とサルとキジが次々に桃太郎の家来になる」という話も、よく考えれば、そんな組み合わせは(サーカス団でもないかぎり)日常生活ではまず考えられません。ここに、理屈的な説明では割り切れない昔話の広さがあるとも言えるのでしょう。
意見:狭い理屈(自分の利益だけを考えるような立場)と、大きい調和(他人との調和を図ることが大きい目で自分の利益にもつながるという立場)の比較として考えるといいと思います。一見無駄に見えるものの中にある優しさというところで考えてもいいでしょう。たとえば、花の咲く役割は、「受粉させるために昆虫を引き寄せる」というのが普通の考えですが、そういう役割で限定するにはあまりにも多くの無駄があります。桜などは風媒花(風で受粉する花)なので、実は必要性だけで考えればあんなにきれいに咲く必要はありません。もしかしたら、人間にお花見をさせてくれるために咲いているのかも。名言:「雑草とは、まだ、その美点が発見されていない植物のことである」「存在するものには、よいとか悪いとか言う前にすべてそれなりの理由がある」など。 ( n )
第一段落は、長文の要約を書きます。150文字程度で考えましょう。目あきは、何でも見えるために、何でも解ると思っている。ところが目あきが見ているのは眼の前に見えるものばかりだ。私たち盲人は、目あきと較べるとたしかに何も見てないに等しい。私たちは眼は見えないその代償として、心の眼を与えられている。心の眼は耳・身体・足・鼻・その他諸々の器官を「見る」ために動員する。生態系には、荒唐無稽なこと、ばかばかしいこと、無駄なことが満ち満ちている。それは神話・昔話と同じことである。自然との調和こそ、我々人類が生存し続けるために避けることの出来ない原則になった。
第二段落では、意見の第一として意見Aを書きます。「快適に生きるためには自分の必要を考えていくことが大切だ。」という意見を出しましょう。実例となる自分の体験をあげます。たとえば、テスト勉強のためには、お稽古事も部活も何もかも(食事も?)排除して、一心に取り組みます。ゲームをするためなら万難を排してという人もいるでしょう。大きく考えれば、人間は快適な暮らしのために、かなりの自然を破壊して開発を進めてきました。
第三段落では、意見の第二として、反対の立場の意見Bを書きます。「しかし、一見して無駄なもの、無秩序なものもなくてはならないものだ。」人間は自然の中で生きています。考えてみれば自然の中には無駄なことが多いいですね。花はなぜ咲いているのか。みみずはなぜいるのか。(気味悪がられるため?)昔話の中にも、無駄に見える話が多いね。理屈で割り切れない話しが語り継がれてきた意味を考えてみよう。
第四段落では、いままでにあげた二つの意見それぞれに理解を示しながら、さらに上の発想Cをしてまとめていきます。「大事なことはAかBかではなくCである。」としていくのです。これを「総合化のまとめ」といいます。
確かに、自分に必要なものも、無駄なもの自然にあるもの、どちらも大切だ。しかしもっと大事なことは「存在するものには、よいとか悪いとか言う前にすべてそれなりの理由がある。」という言葉があるように、自己と相容れないものへの理解を深め、大きく調和して生きることである。 ( k )
世の中には、損得や利害のように黒か白かがはっきりわかるものもある。しかし、どちらとも言い切れないようなものの中に、実は人間にとって大切なものがある。
第一段落は、説明。「世の中には、いい悪いがはっきりしているものがある。例えば、益虫と害虫。しかし、どちらとも言えない虫も、実は、生態系の中で重要な役割を果たしていることがある」など。
第二段落は、意見A。「確かに、白か黒かがはっきりしていることは大事だ。日本人は返事があいまいだとよく言われるが、物事を決めるときには自分の立場をはっきりさせる必要がある。私もこの前……」など。
第三段落は、意見B。「しかし、はっきり言い切れないものの中に実は重要な面が隠されているということもある。例えば、勉強は役に立つ、遊びは役に立たないと一般に思われているが、何でもない遊びの中に、実は人間の成長にとってプラスになるものもあるはずだ。例えば……」など。
第四段落は、まとめ。「だから、目に見える世界と見えない世界のどちらがいいかということではない。いちばん大切なのは、その二つの世界をうまく生かして、自分を成長させていくことだ」など。 ( n )

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