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題名:文化ということを(感)
感想文の課題です。課題の長文を読んで感想文を書いてください。
課題の長文
【1】文化ということを、ここでは日常の生活にあらわれている面から考えていって、ヨーロッパと日本のそれを比べてみると、最初に思いうかぶのは、次のことである。【2】私が一年余ドイツに滞在して受けた印象からいうと、先方の長所も短所も、一般の人々における市民意識の堅固さに関係するのであった。【3】今世紀にいたって崩壊したといわれる市民生活、ないし市民意識は、むかしにくらべればすき間風だらけなのであろうが、外来者の私たちにとっては、それが今なおあらゆる人の生活の強い背骨をなしていることにおどろかされるのである。【4】職業、地位、階級等の別なしに、人間は市民としてたがいに対等の存在である。で、各人はそういうものとして自己を把握しているから、個人としてのそのありかたが独立的で、強くたのもしい。そして社会はこういう人たちの寄り合い、約束の場である。
【5】日本の生活意識においては、このことは、一部の人たちに概念的にうけとられているほかは、いまなお全く欠けているのである。それは敗戦後十年間のデモクラシーの談義だけで、樹立されうるようなやさしいものではない。【6】で、これをどういう方向へもっていくようにしたらいいかということになれば、方法や手順においては、種々の考え方があろうが、到達点としては、すべてが強い対等の人格となることが目標だと、私はいまなお考えるのである。【7】このことをないがしろにしては、社会は外観的に整備されても、内実は浮動をくりかえすだけだと思う。この目標は、人間生活がいかに集団的になっても、不動でなければなるまい。【8】このことが、こんにち、また将来の日本の文化を考えるときの筆者の第一のたてまえである。
前述のヨーロッパの長所は、同時に短所をともなっている。つよい市民意識は、非常にしばしば、せまくるしい、自己満足的な、そして利己的なにおいを発散させる。【9】ひとの生活に無用に干渉しないかわりに、自分さえよければいいという態度が、ほのみえる。社会において一個の存在として通るということだけに最終の目的があるかのように、外的な立派さのかげに、空虚がのぞいている。【0】少し飛躍的に言えば、それは愛にとぼしい生活である。近代、現代の詩人や思想家の多くは、この点につまずきを感じて、痛烈な反抗の声をあげたのである。このことは、私がとくにドイツに多く滞在∵したから、感じたのかもしれない。中央集権的国家形態を十九世紀の後年にいたるまで欠いて、その後も、地方主義、割拠主義を特徴としてきたこの国のありかたが、各人に、せまい殻のなかの安穏着実な生活を立てることを第一義とさせ、これが、ドイツは市民的なヨーロッパのなかでも、もっとも市民的な国だと、よくいわれる主な原因になったのかもしれない。だが、私の感じたところでは、程度の差こそあれ、また殻の大小の違いはあれ、今もヨーロッパはおしなべてどこも市民的なのであって、したがって、一般に、何ほどか、せまくるしくて、自己満足的で、愛にとぼしいのである。
現代の日本人が、やがて自立的な個人のありかたという彼らの文化の長所を身につけるときがあるにせよ、この短所までもいっしょに取り入れるのではつまらない。それでは創造の活力は湧きあがってこない。しかし長所と短所を分離して取り入れるということは、おそらく不可能ではないか。それについて私の予感するところはこうである。ヨーロッパ的市民性を模型として、個人の強力な自己把握をめざすなら、おそらく前述した長所・短所の分離的摂取は不可能である。しかしそれではいけない。人格の確立ということは、他人の模型を追うのでなく、現代日本人が、現在における自分自身の生活の基盤から、自力をもって追求していかねばならない。とすれば、これは、たいへんな仕事である。統制的な押売的な手段は、いかなるものでも、事柄を根本的にこわす。すべては、日本人自身の内部からの力が湧いて、なされねばならぬのである。
項目表
項目表を参考にして、作文・感想文を書いてください。
項目の苗 小1から楽しく書ける。作文、読解、国語の通信教育。Online作文教室 言葉の森
項目表 ビワ の苗 中2年 7~9月
目標:二つの異なる意見を比較して考える書き方を身につける
★重要・評価あり ◎重要・評価なし ○普通・評価なし 段落は大体の目安です。
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課題のヒント
ついに、私は日本にいました。私は飛行機から降りて、初めて成田空港ビルへ入って行きました。私は、出入国カウンターに向かって歩いているとき、それを見ました。一生のうちで初めてのことでした。二人の日本人が向き合って立ち、お辞儀して、お辞儀して、お辞儀していました。挨拶は終わりがないように見えました。しかしながら、ここに、私は非常に衝撃的なものを見つけました。彼らは多くのことを言っていましたが、私は何も理解することができませんでした! 私は初めて、その土地で使っている言葉をただの一語でさえも理解できない国にいたのでした。それらの二人の人たちは、互いに何かを言っていましたが、それは、私にはちょうど雑音のように聞こえました。しかしながら、私は、一つの音を非常に明白に捕らえることができました。それはDOMOでした。
空港の出口で、私はその同じdomoを再三聞くことができました。私は、それが何なのか解明しなければなりませんでした。私のそばを歩いているのは、日本へ来たのは二回目だというフランスのビジネスマンでした。彼は日本のことをよく知っているように見えました。「ええ。」彼は言いました。「私は、経験からそれがありがとうのようなものを意味するとわかりました。」それから、彼は説明し続けました。「あなたが誰かに何かを感謝し、同時に礼儀正しくありたいとき、ただ「domo」と言いなさい。そうすればうまくいくでしょう。そして、忘れないでください。ありがとうと言うごとに、お辞儀しなければなりません。」それを聞くとすぐに、私は、「おい、これは非常に有用な表現だぞ。覚えておかなければ。」とひとり言を言いました。
私が寮に着いた時、大学の教授は私を待っていました。私はよい印象を与えたいと思いました。そこで、私はお辞儀し、「blablabladomoblabladomodomo、domo。」というようなことを言いました。私は、domoと非常に明白に言うために最善を尽くしました。残りは、非常にやわらかく、理解することが不可能な声でした。単なる音でした。
私が最後のdomoを3回繰り返したことに注目してください。私は非常に礼儀正しく聞こえるようにしたかったのです。英語では、ありがとうを何度も繰り返せば、それは非常に奇妙に聞こえます。しかし、日本では、それは全く悪く聞こえませんでした。とにかく、私は、自分が何と言っているかわかりませんでした。教授は私を見て微笑みました。「おお! あなたは日本語をとても上手に話します。」私は非常に幸福でした。この国に来てたった数時間で、私はもう日本の礼儀のルールを習得しかけていたのです。フランスのビジネスマンは正しかったのです。おじぎとdomo、それで、誰もが幸せです。
寮の学生の一人が私のテニスラケットをこわしました。彼はあまり上手に英語を話すことができなかったので、「Domo、ラケット、全くよくない」というようなことを言いました。彼は非常にすまなく思っているように見えました。しかし、彼はdomo(ありがとう)と言っていました。私は少し腹を立てました! あなたは想像できるでしょう。私は彼にラケットを貸します、彼はそれをこわし、「ありがとう。」と言いながら戻ってきます。信じられません! いずれにしても次の日に、彼は私に新しいものを買ってくれました。
先日、私は、寮の外で、友達が私を車で拾ってくれるのを待っていました。彼は非常に遅れました。実際、30分以上も遅れました。日本人はいつも時間を守らないというわけではないでしょう? 恐らく、私の友達は異なっていました。ついに、彼は現われました。「Domo、domo、長く待ちましたか? 」彼は右手を振りながら私のところにやってきました。私は、「これらの日本人は本当に奇妙な人たちだ。」とひとり言を言いました。「彼は遅刻して、『ありがとう、ありがとう。』と言いながら来る。」私は非常に混乱していました。この国では、あなたがするすべてのことにありがとうと言わなければならないのですか?
私は4か月間この国にいましたが、私はまだ日本語を話すことができませんでした。しかし、私はできる限り礼儀正しく聞こえるようにしたいと思いました。それで、私はとても奇妙に響く英語を話し始めました。ここに例をあげます。
「ありがとう、私は遅れました。」
「ありがとう、この雨はやまないでしょう。」
「ありがとう、すみません。」
「ありがとう、私は田中さんに会ったと思ったのですが、それは別の人でした。」
「ありがとう、私たちが最後に会ってからずいぶん経ちますね。」
「ありがとう、ありがとう。」 ( n )
内容:ヨーロッパの文化は、個人の独立という市民意識を長所として持っている。しかし、それは同時に愛や助け合いの乏しさという短所も伴っている。日本は、ヨーロッパの長所を取り入れつつ、短所を取り入れない新しい文化を創っていかなければならない。
解説:欧米では、子供は自分の部屋で寝るという習慣があり、日本では、かなり大きくなるまで両親と一緒に寝るという習慣があります(家が狭いというせいもあるけど)。こういう身近な例を通して考えてみるとよいでしょう。
Aの意見は「個人の自立」、Bの意見は「相互の助け合い」ということで考えてみましょう。総合化ということでは、「ヨーロッパの伝統にもよいところがあり、日本の伝統にもよいところがあるが、大事なことは、過去の伝統を取り上げてどちらがよいかと考えることではなく、私たちが「個人の自立と相互の助け合い」を両立させる新しい伝統を作り上げていくことである」というような感じで。
名言は、「やさしさが……」「短所をなくす……」「私たちの幸福が……」など。自分でもいろいろと考えてみましょう。 ( n )
身近なことに似た例を探そう。たとえば、「日本的な習慣」として、私たちはすでに小学校のときから自然に行動に現している。
「一緒にトイレに行く」「一緒にお弁当(給食)を食べる」「みんなが賛成(反対)するから自分も」
どんな人であれ、身の覚えがあるはず。なぜこんなことをしてしまうのか?
「出る杭は打たれる」日本では個人の自立、つまり、個人の意見やそれに基づく行動を周囲が認めないということです。けれども、みなさんが高校、大学と進学すると、個人の自立の一部を実行せざるをえないときもあります。―大人として。
一人で行動する…登下校、買い物、勉強、休み時間、食事…。最初は戸惑うでしょう。いつでもいっしょにいる仲間がいないのですから。
そんなとき、何かについて意見を求められたら? 周りをうかがって、多数に従う。または、自分自身のポリシーにしたがって意見を提示する。
個人の自立ということはとてもむずかしいものです。協調性を持ちつつ、自分の考えも変えない。どうやったら、この二つの矛盾する生き方がうまく和合するでしょうか? 自分だったらと具体的に考えると良いでしょう。 ( b )

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