一日の長さ 読解マラソン集 小2 春 1番
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「一分は六十秒、一時間は六十分、では一日は?」と聞かれたら迷わず「二十四時間」と、わたしたちは答えます。けれども本当に一日は二十四時間なのでしょうか? 「一日二十四時間」という答えは、必ずしもどの時代でも正解とは言えないようです。
一日というのは、地球が地軸を中心にぐるっと一回転するのにかかる時間をいいます。けれども、その動きを狂わす存在があります。その一つが月です。 月にも引力があり、月の引力は、地球の海の水を引っ張ります。地球がお父さんだとすると、月という子供がお父さんの海を引っ張っているので、お父さんは回転しにくくなります。その結果、少しずつですが一日の長さが伸びていくのです。 オーストラリアにある約六億年前の堆積岩に残された地層には、潮の満ち干が縞模様として残されています。それを見ると、当時一年はだいたい四百日あり、一日は約二十二時間あったと考えられています。六億年前に比べると、今の世の中はゆっくりと自転しているのです。一日たった二時間しかちがいませんが、毎日いそがしく過ごしている人にとってこの二時間は大きな差に感じることでしょう。 地球が誕生したばかりのときは、さらに自転速度は速く、一年は二千日あったとされています。ということは一日が四時間くらいしかなかったことになり、朝起きて学校へ行ったと思ったら、給食を急いで食べてもう寝る。そんな生活をしなければならなかったのです。今の世の中でよかった、と思わずにはいられません。 さて、地球の自転の回転速度に影響を与えている月ですが、月もまた地球からの影響を受けています。地球の周りを回転しているうちに、月は一年間に約三センチメートルずつ地球から遠ざかっているのです。∵ 十億年前の月は今より少し大きく見えており、逆に十億年後には今よりも少し小さく見えるようになるといわれています。肉眼で見る限りあまり大きなちがいには感じませんが、もしかすると、かぐや姫は日がたつごとに月が地球から離れてしまっていることを知っていたのかもしれません。 「もうすぐおばあさん、おじいさんと離れなければならない。」 と、泣いているのではなく、 「早くしないと月に帰れなくなる。」 と、思っていたとも考えられます。だから月を見ては涙を流していたのかもしれません。 「これでおむかえがこなければ、わたしも運のつき(月)かしら……。」 言葉の森長文作成委員会(Ω) ![]()
マッチ箱の動物園 読解マラソン集 小2 春 2番
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ジェリー・ダレルは動物が大好きな男の子でした。ある日、家にお客様が来ました。ジェリーのお兄さんは、お客様のたばこに火をつけてあげようとして、テーブルの上にあったマッチの箱をあけました。次の瞬間、お兄さんもお客様も大声をあげて逃げ出しました。マッチ箱に入っていたのは、マッチではなくて、生きたサソリの親子だったのです。きっとジェリーのしわざだな、とお兄さんはおこりながらも、あきらめました。
大人になったとき、ジェリーはこう言いました。 「これが私の持った最初の動物園でした。サソリの親子の入ったマッチ箱が。」 さて、サソリの親子を手始めとして、ジェリーはどんどん動物を集めました。大体は二階の自分の部屋で飼っていたので、そこが次の「ジェリーの動物園」になりました。ジェリーのお父さんは早くに亡くなっていて、家族はお母さんと大きいお兄さんが二人、若いお姉さんが一人いました。みんな、「ジェリーの動物園」の動物たちがふえていくことには、文句を言いましたが、ひとたびジェリーが新しい動物を持って帰ると、みんなもかわいいと喜んで、飼うのを許してしまうのでした。 大人になるとジェリーは、動物園に送るためのめずらしい動物をアフリカまで行ってつかまえる仕事を始めました。ところが、いざ動物園に送られることになると、ジェリーはがっかりしました。せっかく仲良くなった動物たちと別れなければいけないばかりか、動物園では飼い方もわからず、ひどい生活をさせるようになったところもあったからでした。その上アフリカでは、人間によって動物たちが住むところをなくしたり、ぜいたくをするために殺されたりしてほろんでいっていることを、ジェリーは知りました。∵ そこで、ジェリーは、自分の動物園を作ることにしました。それは、絶滅しかけた動物を保護し、増やし、それから生まれ故郷に返す動物園でした。さらに、生まれ故郷の人々に、どんなに動物が大切かを教育し、動物たちが住めるように自然をよみがえらせる仕事もする動物園でした。ジェリーはその「夢の動物園」を作るお金を集めるために、今までの経験をおもしろく本に書いて売ったり、いろいろなところで話をして寄付をもらったりしました。 ついに動物園の計画は実現しました。ジャージー野生動物保護動物園です。世界中からその動物園に協力し、勉強する人たちが集まってきました。動物園の二十五周年記念のとき、ジェリーは動物園で働く人たちから、すばらしいプレゼントをもらって、大声をあげました。それは、銀のマッチ箱に入った、金でできたサソリの親子の人形でした。誰もが、ジェリーの「最初の動物園」のことを知っていたのでした。 さて、昔、食堂で逃げ出してみんなを驚かせたニシキヘビは、その後どうなったのでしょう。実は、本当に驚いたのはヘビの方で、つかまえられたヘビはおりの中で、「ヘー、ビっくりした。」と言っていたそうです。 言葉の森長文作成委員会(λ) ![]()
初めての宇宙探検 読解マラソン集 小2 春 3番
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初めて宇宙船に乗って宇宙を飛行したのは、ソ連の宇宙飛行士、ガガーリンです。ガガーリンの乗ったボストーク宇宙船は、地球をひとまわりする飛行に成功しました。宇宙から地球を見たガガーリンは、「地球は青かった」と語りました。
月に立った最初の人は、アポロ宇宙船に乗ったアメリカのアームストロングです。そのとき、テレビの前では世界中の何億人という人々が、かたずをのんで見守っていました。月面を歩いたアームストロング船長は、「この一歩はひとりの人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては大きな飛躍となるだろう」という言葉を残しています。 その後、アメリカとソ連は、競い合うように宇宙開発を進め、宇宙船やロケットは急速に進歩していきました。無重力の宇宙空間で、どのくらい生活できるかという実験が始まり、宇宙ステーションで生活できる最長記録が次々とぬりかえられていきました。宇宙空間では、地球上ではむずかしい動作が簡単にできます。重いものを持ち上げたり、宙返りをするのもたやすいことです。しかし、不便なこともたくさんあります。たとえば、ひげをそると、切ったひげがあたりにふわふわと漂いはじめるので、あわてて吸い取らなくてはなりません。 宇宙ステーションでのさまざまな実験のおかげで、無重力が人間の体にどんな影響をおよぼすかが、次第にわかってきました。 やがて、科学技術の進歩により、スペースシャトルという宇宙船が登場しました。シャトルは、何度もくり返し飛行できる宇宙船です。シャトルでいちばん大きいのは燃料タンクです。十五階建てのビルほどもある巨大な燃料タンクは、途中で切り離され、残った連絡船が軌道に乗って地球を回ります。日本人の宇宙飛行士も、スペースシャトルの乗組員として活躍しました。∵ さて、未来の宇宙開発は、どうなっていくのでしょう。 現在、各国が協力して国際宇宙ステーションの建設を進めています。地球から少しずつ部品を打ち上げて、今までにない巨大な施設を組み立てるのです。これは、地球の周りを回りながら、さまざまな研究や実験を行なう有人の施設で、ステーションの中では、宇宙飛行士が交代で仕事をしています。将来は、宇宙ステーションの内部で人が暮らせるように研究が進められています。 さらに、もっと巨大なスペースコロニーを作ることも考えられています。スペースコロニーの内部には酸素も太陽の光もあるので、地球と同じような生活ができることになるでしょう。 月や火星、木星の衛星に宇宙基地を作る計画もあります。また、火星に植物をたくさん植えて、地球のような惑星にしようという考えもあります。植物は二酸化炭素から酸素を作り出してくれるので、火星が緑の惑星になれば、人間も呼吸ができるようになります。何世紀もかかる壮大な計画ですが、太陽系に私たちが住める惑星をもう一つ作るという、ワクワクするような話です。成功すれば、いつかは火星で生まれ育った「火星人」が現れることになります。 みなさんが大人になるころには、自分でカセイだお金で火星に行けるようになるかもしれません。そのころになると、最初の宇宙飛行士ガガーリンのことは、懐かしい昔話のように語られることになるでしょう。 「そう言えば、最初に宇宙に行った、あのだれだっけ、ほらパンにつけてよく食べる人。」 「それは、マーガリン。」 言葉の森長文作成委員会(κ) ![]()
動く大陸 読解マラソン集 小2 春 4番
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地球の表面の七割は海です。陸の地形は簡単に見ることができますが、海の中の地形は見ることができません。長い間、海底の地形はなぞにつつまれていました。しかし、二十世紀になって、深い海の中を調べる技術が発達しました。たとえば、海の底に音波をぶつけて、はねかえってくる時間のちがいから、海の深さを測る方法が考え出されたのです。こうして、しだいに海底の姿がわかってきました。
海底の地形図を見ると、陸地以上に大きな山や谷がたくさんあることに驚かされます。陸上の山脈とはまったくくらべものにならないほど、長い山脈が続いていたり、深い谷が何本もきざまれている場所もあります。海底は、山あり谷ありなのです。なぜ、海の底はこのような地形になっているのでしょう。 地球の中心からは、いつも熱いマグマが上昇しています。マグマは、地殻を引き裂いて新しい海底を作ります。海の山脈、つまり海嶺は、新しい海底が生まれ出ている現場です。また海の谷、つまり海溝は、海底が地球の中心に沈みこんでいる場所です。海嶺も海溝も、たいへん地震の起きやすい場所です。 地球の表面は、十枚以上の板に分かれており、それぞれが異なった方向にゆっくりと動いています。そのスピードは、一年に数センチメートルほどです。海底も陸地も、このプレートと呼ばれる板の上に乗って少しずつ動きます。これをプレートテクトニクス理論と言います。舌をかみそうな名前なので、テクトウ(適当)に読みたくなってしまいます。 プレートが他のプレートとぶつかる場所はどうなっているのでしょう。そこでは片方のプレートが新しく生まれ出ており、もう片方のプレートがその下に沈みこんでいます。海底の山や谷は、プレートが動くときに大きな力がかかってできる傷のようなものです。∵まさに地球は生きているということがわかります。 陸地が動いているのではないかということを最初に考えたのは、二十世紀の初めのウェゲナーという人でした。彼は、世界地図を見ているとき、陸地をはさみで切り取ってジグソーパズルのように合わせてみると、ぴったり合うことに気がついたのです。アフリカ大陸の西と南米大陸の東の海岸線など、驚くほどうまく重なります。このふとした思いつきから、考え出されたのが大陸移動説です。大昔の地球にはパンゲア大陸と呼ばれる一つの巨大な大陸があり、これがいくつかに分かれて移動し、現在のようなたくさんの大陸になったという考え方でした。 しかしウェゲナーは、なぜ大陸が分かれて動いていったのかということまでは、うまく説明できませんでした。そのため、当時の学者たちは大陸移動説に疑問をいだいていました。また、自分たちの生活の基盤である大地が動くという考えは、人々の反発を買いました。ウェゲナーは化石調査などを行ない、その証拠を示そうとしましたが、グリーンランドを探検中に遭難してしまいました。 ウェゲナーの死後、いったんほろび去ったかに見えた大陸移動説は、プレートテクトニクス理論とともに復活することになります。世界地図を見てふとひらめいた考えが、数十年の時を経て真実であるとわかったのです。 ウェゲナーが今も生きていれば、きっとうれしゲナー顔をしたでしょう。自分の正しかったことが証明されて、ウェゲナーはうれしなきをしたかもしれません。「ウェーン。」 言葉の森長文作成委員会(κ) ![]()
星の一生 読解マラソン集 小2 春 5番
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夜空にはたくさんの星が輝いています。しかし、これらの美しい星は永遠に輝き続けるわけではありません。星にも一生があり、生まれたり死んだりしています。ただし、星の一生は人間の一生とはくらべものにならないほど長く、その寿命は人間の一億倍もあります。
宇宙のあちこちには、冷たいガスやチリが集まった暗黒星雲と呼ばれるものがあります。暗黒星雲は、その名のとおり光を持たない黒い雲です。実は、この暗黒星雲の中には星の元になる物質がたくさんあります。何かのきっかけで暗黒星雲が縮み始めると、ガスやチリが集まってうずを巻きはじめます。このうず巻きが星のたまごです。 重力によって更に縮んでいくと、うず巻きの中心部が濃くなり、熱くなっていきます。それは、やがて自ら光を放つようになり、赤ちゃん星が誕生します。冬の夜、肉眼でも見ることができるオリオン座の大星雲も、新しい星が生まれている場所です。星雲の中で、数え切れないほどたくさんの星の赤ちゃんが輝いています。 一人前の星として輝きだした星のその後の運命を決めるのは重さです。太陽ぐらいの重さの星は最も長生きで、百億年ぐらいはそのまま輝き続けます。その後、年をとった星は、ぐんぐんふくらんで大きくなっていき、それにともなって温度も下がるため、真っ赤な色に変わります。さそり座のアンタレスや、オリオン座のベテルギウスは、赤くふくらんだおじいさん星の代表です。これらの星は、昔の姿とはすっかり変わっているので、アンタレスも「あんた誰です?」と言われてしまうかもしれません。 巨大な赤い星は、風船のようにふくらんだりしぼんだりしながら、最後には爆発してしまいます。爆発のあとに残るのは、小さな白色矮星と呼ばれる星です。∵白色矮星は、たいへん重い星で、その星から切り取ったマッチ箱ほどのかけらでも、人間は持つことができません。ダンプカーでやっと運べるほどです。 太陽よりも更に重い星は、燃料をむだづかいするため、寿命は数千万年ほどしかありません。このような星が年を取ってふくらむと、自分の体重をささえられず、急につぶれて大きな爆発を起こします。これを超新星の大爆発と言います。爆発のあとに残るのは、白色矮星よりもっと小さな中性子星です。中性子星は、中身が圧縮されたおそろしく重い星です。中性子星から、角砂糖一個分を切り取ってみると、その重さは一億トンもあります。 更に重い星が死んだら、どうなるでしょう。巨大になった星は、更にはげしく爆発し、はげしくつぶれます。残った星は、そのものすごい引力のため、光さえも外へ出られなくなってしまいます。私たちは、この真っ暗な星を見ることはできません。ブラックホールと呼ばれるこの星は、近づくものすべてをものすごい引力で吸い込んでしまいます。それはまるで宇宙にできた巨大な落とし穴のようです。 人間が生きている間に、一つの星の一生を観察することはできません。しかし、宇宙には生まれたばかりの星から死にゆく星まで、さまざまな星が輝いているので、これらを一つ一つ観測することで、私たちは星の一生を知ることができます。 星も、人間と同じように、小学星、中学星、高校星と成長し、さまざまな形に変化していくのです。そう言えば、動物園にもいました。オット星。 言葉の森長文作成委員会(κ) ![]()
世界へはばたく「もったいない」 読解マラソン集 小2 春 6番
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ノーベル平和賞は、世界の平和のために努力した人に贈られる賞です。二〇〇四年度の受賞者は、ケニアのワンガリ・マータイさんでした。アフリカ人の女性がこの賞を受けたのは初めてのことでした。
マータイさんがノーベル平和賞に選ばれた理由は、貧しい女性たちにはたらきかけて、アフリカの砂漠に三十年の間に三千万本もの木を植えたからです。 アフリカでは、砂漠が年々広がっています。砂漠になると、農作物も育たず、飲み水もなくなります。そのために、病気が広がり、人々は更に貧しくなります。学校で勉強もできませんし、体も育ちません。 一人の人間が木を一本植えただけでは、とてもそんな大きな問題を解決できないと思うかもしれません。ところが、三千人の人が一本ずつ木を植えたら、三千本の木になります。三千万人の人が一本ずつ木を植えたら、三千万本の木が育ち、りっぱな緑の森になるのです。 たくさんの木が植えられた場所では、料理を作るために燃やす薪も、すぐに手に入ります。土地が豊かになり、小さな動物たちも集まるようになります。また、空気がきれいになり、涼しい木陰もできます。 ノーベル平和賞に選ばれたマータイさんが、どうしたら自然が守られるかという話をしに世界中を回っているとき、日本ですばらしい言葉を聞きました。それは、「もったいない」という言葉です。 マータイさんは、かぎりある地球の資源を守るために、これまで次のことを世界によびかけてきました。「むだづかいをしない」「ものは何回でも使う」「古くなったものは新しい使い道をさがす」∵ 「もったいない」という日本語は、この三つのよびかけをひとことで表していると、マータイさんは思いました。そして、日本には昔から、稲刈りをしたあとのワラをゾウリや細工物に利用したり、布の端切れで子どものためのお手玉を美しく作ったりするという文化があることを知りました。「もったいない」という気持ちとともに、ふつうなら捨ててしまうものも美しいものに作り上げていることに感心したのです。英語で似たような言葉がなかったので、マータイさんは、「モッタイナイ」という日本語をそのまま使って、世界にこの日本語を広めることにしました。 マータイさんは、日本語の「もったいない」だけでなく、自分の国のケニアの言葉も運動に入れています。それは、「ハランベー」という言葉です。意味は「みんなで協力しよう」というものです。マータイさんが心のささえにしていることわざには、こういうものもあるそうです。「空こそが限界」。空は、どこまでも広がっているということで、「やろうと思えばどこまでもやれる」という意味です。 私たちも、マータイさんにならって、みんなで協力して美しい地球を作っていきましょう。「はい。声を合わせて。」「ハランベー。」「ハランベー。」「ハラヘッタベー。」「ん?」 言葉の森長文作成委員会(λ) ![]()
CDの仕組み 読解マラソン集 小2 春 7番
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CD(コンパクトディスク)が登場するまで、音楽の録音にはレコードを使うのが一般的でした。レコードは、プラスチックの円盤に刻んだでこぼこの溝に針を当てて、音を再生する仕組みを持っていました。CDは光ディスクとも呼ばれ、光の信号を音として再生する仕組みを持っています。
CDに音を記録するには、まず、音による空気のふるえをマイクで取り込み、それを電気の信号に変えます。この電気の信号は、さまざまな大きさの波の形をしています。レコードでは、この波の大きさをそのまま、レコード盤の表面に刻んでいました。 光ディスクへの記録は、この電気の波をデジタル信号に変えて行います。デジタル信号は、0と1の二つの数字だけで成り立っています。この二つの数字の組み合わせで音の形や大きさを表し、そのデジタル信号を光ディスクに記録していくのです。 光ディスクは、見ただけでは表面はでこぼこしていません。これは、でこぼこしている記録層の上が、平らで透明なプラスチックで覆われているためです。記録層はその奥にあるアルミニウムのとても薄い層です。ここには、ピットと呼ばれる、肉眼では見分けられないほど小さなくぼみがたくさんついています。光ディスクが虹のように輝いて見えるのは、たくさんの小さなくぼみに入って反射する光が、それぞれのくぼみから出るときにいろいろな波長の色に分かれるためです。 音楽を聴くときは、このアルミニウムの層に光線を当てて、平らな部分とくぼみのある部分で反射する光の変化をデジタル信号として読み取ります。この信号を元の音楽や映像の信号に変えて、私たちが見たり聞いたりできるようにするのです。∵ 光を使って信号を読むので、光ディスクは何度繰り返して再生してもその信号が消えることはありません。また、デジタル信号を使うので、細かくてくっきりとした音楽や映像を記録することができます。 ところで、CDによくある録音時間の74分というのは、なぜこんなに半端な時間なのでしょうか。これは、日本で年末によく演奏される、ベートーベンの交響曲第九番の演奏時間から決められたのだそうです。 たまに、「カラスよけ」としてCDをぶら下げているのを見ることがありますが、あのキラキラした円盤の中に、こんなにたくさんの情報が詰まっているとは、カラスたちは夢にも思わないでしょう。カラスよけなんて、ヨケいなことするなと思っているだけかもしれません。 「ところで、CDさん。いつもきらきら光ってきれいですね。」 「そんなこと言ってもらうと、うれシィーディーす。」 言葉の森長文作成委員会(τ) ![]()
文字の歴史 読解マラソン集 小2 春 8番
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私たちは、文字を使うことで、自分の意思を相手に伝えることができます。しかし、人類は最初から文字を持っていたわけではありません。私たちの遠い祖先は文字を持たず、話し言葉や身ぶり、手ぶり、音楽や踊りまで使って、意思を伝え合っていました。
文字が生まれる最初のきっかけは、物の形を絵にかいたことでした。あるとき人間は、小さな絵をいくつもかいて、意思を伝えることを思いつきました。けれども、絵は人によって見方が異なるので、うまく伝わることもありますが、誤解されることも多かったことでしょう。また、いくら単純な絵といっても、たくさんかくのはたいへんです。より簡単にかけるように、絵の形はだんだん単純化されていきました。 最初の文字を発明したのは、いまのイラクの南部、当時はバビロニアとよばれていた地域に住んでいたシュメール人だと言われています。今から五千年も前のことです。シュメール人の文字は、絵を簡単にした記号のようなもので、その一つ一つに意味がありました。このような文字は、絵文字とよばれています。絵文字を使って文章を書くためには、膨大な数の文字が必要です。これを使うのはたいへん難しく、またわかりにくいという欠点がありました。 そこで、それぞれの文字に意味を持たせるのではなく、一つの文字に一つの音声をあてはめることを考えた人々がいました。そうすれば、それほどたくさんの文字は必要なくなり、話し言葉をそのまま写せるようになるので、簡単に使えるようになります。このような音だけを表す文字を、表音文字といいます。文字は、どんどん絵から遠ざかり、単純な記号になっていきました。 一つ一つの記号に意味を持つ表意文字は、絵文字や象形文字など、数多くありましたが、どれもずっと昔に使われなくなって∵しまいました。しかし、今でも使われている表意文字があります。それは漢字です。中国には、多くの文学作品や宗教の書物があり、漢字は、昔からそれほど変わらない形で受けつがれてきました。 日本語には、表意文字である漢字と、表音文字のひらがな、カタカナがあり、それらを混ぜて文を書き表します。これは、世界の言語の中でも特殊で、外国人から見ると、たいへん難しい言語です。 大昔、日本には文字がありませんでした。日本人が初めて使った文字は、中国から伝わった漢字です。最初は、話し言葉は日本語、書く文章は中国の漢文という状態でした。漢字ばかりの漢文は、多くの日本人にとってちんぷんかんぷん(漢文)だったことでしょう。 その後、漢字の意味を無視して、読みだけを日本語の音にあてはめた万葉仮名が作られました。これによって、話し言葉を文字で表記できるようになりました。さらに、漢字の形をくずして、一文字に一つ音をあてはめたひらがなができました。また、漢字の一部分をとったり、簡単な形にしたりすることによって、カタカナも作られました。 現在では、漢字とかなをまぜて、自由に文を書き表すことができます。ひらがなの五十音だけで、文章をつづることもできるし、どの言葉を漢字で表すかは、書く人の好みで決めることができます。これは、日本語の表記のすばらしい特徴と言えるでしょう。 ただ、面倒だからといって、すべてひらがなで書くと、思わぬ誤解を招くことがあるので注意しましょう。たとえば、次の文はどのように読めるでしょうか。「ははははははとわらった」(母はハハハと笑った・ハハハハハハと笑った)、「きのうおかあさんとぱんつくった」(パン作った・パンツ食った) 長文(κ) ![]()
緑の大地だった砂漠 読解マラソン集 小2 春 9番
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乾燥した砂漠は、生き物にとっては厳しい世界です。昼はたいへん暑いのに、夜になると急に寒くなります。更に砂漠では、ときどき空が茶色になるほどの猛烈な砂あらしが起きることもあります。
これほど厳しい環境でも、生き物は住んでいます。植物は、長い根をのばして地下水を吸い上げたり、サボテンのように茎や葉を小さく針のようにして、水分の蒸発を防ぐ工夫をしています。じっとしているだけに見えるサボテンも、ただサボッテいるわけではありません。また、乾季の間はずっと種の状態ですごし、雨が降ると大急ぎで芽を出し、花を咲かせる植物もあります。そのため、久しぶりに雨がふると、景色が一変し、荒れ果てた大地があっという間に緑に変わることがあります。そのような植物は、新しい種を残すと、「よかっタネ」とばかりあとは枯れてしまいます。 砂漠に住む動物たちも、さまざまな工夫をしています。その多くは、夜行性で、昼間の暑い時間帯は日陰で休み、すずしい夜間に活動をします。オーストラリアの砂漠に住むトカゲの仲間は、体中にあるとげを使って、わずかな雨や露を受けることができます。砂漠では、いかに水を効率よく取り入れるかということが重要なのです。 地球上でいちばん大きな砂漠は、アフリカ大陸北部に広がるサハラ砂漠です。しかし、巨大なサハラ砂漠も、かつて緑の大地だったことがあります。サハラ砂漠の中央の高地の岩壁には、何千年も前の人々がかいた絵が残っています。そこには、カバやゾウ、キリンなど、水辺や草原、あるいは森に住む動物たちと、狩りをする人の姿が描かれているのです。ところが、比較的新しい時代になると、乾燥に強いラクダの姿が描かれるようになります。この土地には、かつて豊かな水が流れていましたが、徐々に乾燥して緑の大地が失われていったことがわかります。∵ 現在でも、サハラ砂漠の周辺では異常な干ばつが起き、今まで緑だった土地が砂漠に変わっています。砂漠は徐々に広がっているのです。アフリカでは、人口の増加に伴って、農地を広げ家畜を増やしてきました。収穫をあげるために、土地を無理に使い、かえって作物のとれない不毛の土地を増やしてしまったのです。また、農地を広げた分、牧草地が減ったのに、家畜の数は増えているため、草はあっという間になくなってしまいます。だんだん乾燥していく気候の変化に加えて、人間の誤った自然利用が、砂漠化を早めているのです。 砂漠化を食い止め、今ある砂漠を緑の土地にしていく方法を研究している人もいます。運河で水を引いたり、ダムを作ったり、深い井戸を掘って、地下水を利用するなど、さまざまな方法が考えられていますが、ダムができると、栄養分をふくんだ土をせきとめてしまったり、地下水を汲みすぎると地盤沈下のおそれもあります。 砂漠を緑の大地に戻すのは、簡単なことではありません。しかし、砂漠の自然をよく知り、じっくり計画を立て、私たちは、地球上から緑が減っていくのを防がなくてはならないのです。 サハラ砂漠が緑の大地だったころの大昔の人に話を聞いてみました。 「昔の砂漠には、カバやゾウやキリンのほかに、どんな動物がいたんですか。」 「さあ、バクもいたんじゃないかなあ。」 「それでは水飲み場は混んで大変だったでしょう。」 「だから、割り込んでくる動物にはよく言ったものさ。『サア、バックバック』」 言葉の森長文作成委員会(κ) ![]()
犬の嗅覚 読解マラソン集 小2 春 10番
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犬を散歩に連れて行くと、あたりの匂いをよくかぎまわります。匂いをかぎ分ける力を嗅覚と言いますが、犬は人の百万倍もの嗅覚を持っていると言われています。また、犬は音にも敏感で、人に聞こえない音を聞く力も持っています。しかし、目はあまり良くなくて、遠くがよく見えず、色もあまり見えません。ただし、夜の暗いところでは、人よりもよく物が見えるようです。犬は、人間ほど目がよくない代わりに、匂いや音でまわりの様子を感じ取っています。
犬の鼻には、匂いを感じる細胞が、およそ二億個もあります。これに対して、私たち人間は、およそ五百万個ですから、犬には人の四十倍も多くの匂いを感じる細胞があることになります。 犬が特に得意なのは、「酸」というものの匂いです。たとえば、台所にある「お酢」の匂いもその一つです。この「酸」の匂いなら、犬は人の一億倍ものかすかな匂いまで、かぎ分けることができます。このすぐれた鼻を生かして、犬は私たちの社会で役に立つ仕事をしてくれています。犯人の匂いをたどる警察犬、地震などで行方不明になった人を探す災害救助犬、外国からの荷物を検査する麻薬探知犬などです。 人間を含めた哺乳類の汗や涙には、この「酸」の仲間がふくまれています。警察犬や災害救助犬は、この匂いをたどるように訓練されています。警察犬は、靴の底を通して地面についたかすかな匂いまでたどることができるそうです。 阪神大震災の際、スイスやフランスからやってきてくれた災害救助犬がたいへん活躍し、多くの人を助けてくれました。この時、日本ではまだ災害救助犬のことがあまり知られていなかったため、海外からのチームが空港で足止めされ、三日たってからようやく現地に着いた、ということも起こりました。この反省から、∵現在では日本でも多くの災害救助犬が育てられるようになっています。 麻薬探知犬は、空港や港など、外国から旅行者や荷物がたくさん入ってくる場所で活躍しています。麻薬の匂いを覚えていて、隠されている麻薬を探し出すのです。 最近では、癌探知犬の研究も、進められているそうです。犬が、癌にかかっている患者の吐く息をかぎ分けることができるかもしれない、というのです。 このように犬の嗅覚はとてもすぐれていますが、それだけでは私たち人間のためになる仕事をさせることはできなかったでしょう。犬がこのように役に立つ仕事をしてくれるのは、彼らがとても遊び好きで、人間が好きだったからです。犯人の匂いを追う警察犬も、隠された麻薬を探す麻薬探知犬も、犬たちはたぶんゲームでもしているつもりなのでしょう。早くお目当てのものを見つけて、ほめてもらいたいのです。それは、犬と人間との、お互いのしっかりとした信頼関係があって初めて成り立つ仕事です。こんなに科学が発達した世の中になっても、機械がこの犬たちの仕事を代わりにこなすことはできません。 そう、犬は、とても「ワンだふる」な、人間のパートナーなのです。 言葉の森長文作成委員会(τ) ![]()
紅茶の歴史 読解マラソン集 小2 春 11番
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私たちが飲むお茶には、緑茶、ウーロン茶、紅茶など、いろいろな種類があります。これらの違いは、お茶の葉の種類によってではなく、作り方の違いによって決まります。現在、世界で生産されているお茶の八割は、紅茶です。日本や中国では緑茶がよく飲まれていますが、ヨーロッパやアメリカでは、お茶といえばほとんどが紅茶です。特に、イギリス人の紅茶好きは有名で、イギリスの人たちは、朝起きたときから寝るときまで、一日に何杯もの紅茶を飲むそうです。では、お茶はどのようにして世界中に広まっていったのでしょうか。
中国では、今から二千年以上前に、すでに緑茶が飲まれていたようです。最初のころ、お茶は不老長寿の薬として飲まれていました。つまり、お茶を飲めば、年をとらないと信じられていたのです。その後、しだいに発酵させたお茶であるウーロン茶なども作られるようになりました。 今から四百年くらい前、当時力を持っていたオランダが、中国から緑茶を輸入するようになりました。オランダ人の王様や貴族たちは、高価な苦いお茶に、さらに高価だった砂糖を入れて飲んでいました。 このオランダから、イギリスにもお茶が伝わりましたが、そのころ緑茶は大変に貴重なもので、イギリスの貴族たちは、カギのついた入れ物にお茶を保管していました。 今から三百年くらい前になると、イギリスの国の力が増し、イギリスはオランダに代わって、中国から直接お茶を輸入するようになりました。イギリスの水には、発酵させたお茶の方が合っていたこともあって、緑茶よりウーロン茶などの方が好まれるようになっていきます。イギリスの王様や貴族たちが競って飲んだことから、お茶はイギリスの習慣として広まっていきました。∵ 紅茶が発明されたのは、やはり中国で、ウーロン茶をさらに改良したものでした。それがイギリスをはじめ、ヨーロッパで広く飲まれるようになっていきました。しかし、すべてを中国から輸入するのでは、とても消費に追いつきません。そこで、なんとか自分たちでお茶の栽培ができないものかとイギリスの人たちは考えました。 十九世紀の初め、イギリスの植物学者が、インドでアッサム種というお茶の木を発見しました。しかも、このアッサム種は、紅茶にたいへん向いていたのです。イギリスはここに大規模な茶畑と工場を造り、ここから本格的に紅茶の生産が始まりました。こうして、紅茶は一部のお金持ちだけのものではなくなり、みんなが手軽に飲める飲み物になっていったのです。 日本には、明治時代に、イギリスから紅茶が輸入されました。しかし、日本では緑茶が好まれていましたから、紅茶は当時あまり普及せず、広く飲まれるようになったのは、昭和に入ってからです。そのころには、日本でも国産の紅茶が作られるようになっていました。 ちなみに、英語では、紅茶は「レッド・ティー」ではなく「ブラック・ティー」と言います。あるイギリス人は、「緑茶はまずくて飲めない」と言っていました。「海の藻みたいな味がする」のだそうです。「藻なんて、モー飲みたくないよ」ということでしょうか。紅茶を飲みながら、「やっぱりお茶はこうじゃ(紅茶)なくっちゃ」と思っているのかもしれません。 言葉の森長文作成委員会(τ) ![]()
古代のマヤ文明 読解マラソン集 小2 春 12番
読解マラソン集は、みなさんの声を取り入れて編集します。ご意見ご要望は、マラソン広場まで。 http://www.mori7.com/marason/hiroba/
アメリカ大陸では、ヨーロッパの人が移住する前から、独自の文明が発達していました。マヤ文明は、今から二千年以上も前に、中央アメリカのユカタン半島を中心におこり、長い間栄えた、たいへん高度な文明です。古代マヤ人は、ジャングルの中にピラミッドを建て、マヤ文字をきざんだ石碑を建て、いくつもの王国を作りました。しかし、この文明は突然滅んでしまったのです。マヤ文明の滅亡は、人類の歴史の中でも、大きな謎の一つです。
誰も読むことができなくなっていたマヤ文字は、「ユカタン事物記」という本の発見をきっかけに、解読が進みました。この本は、マヤ人にキリスト教を広めたランダ神父が十六世紀に書いたもので、マヤ文字を写しとり、説明文が書き加えられていました。マヤ文字は、ひらがなやアルファベットとはかなり異なったものでした。人や動物の顔、記号が組み合わされたもので、どちらかと言うと漢字に近い文字だと考えられます。 「ユカタン事物記」には、マヤの複雑な暦についても、くわしい説明がありました。この本のおかげで、マヤ人がどれほど精密な暦を持っていたかが、明らかになりました。彼らは、天文学にとてもよく通じていました。金星の公転を正確に計算したり、日食を予測することもできたのです。さらに、後世の研究者たちを驚かせたことがありました。それは、マヤの数学です。彼らは、ゼロを発明していたことがわかっています。ギリシャやローマのように高度な文明をのこした民族でも、ゼロという概念は持っていなかったことを考えると、驚くべきことです。ただ、ゼロという概念がないと、テストで零点を取って叱られることがないのは、よいかもしれません。 マヤ人の生活を知る上で、重要なのは宗教です。彼らのあらゆる行動は、宗教ぬきには語ることができません。その儀式の中に∵は、今の私たちから見ると、残酷でばかげているように見えるものもあります。たとえば、いけにえの儀式です。当時のマヤ人にとって、いけにえは、神様に願いごとをするために、なくてはならないものでした。たいていの場合、いけにえにされる人も、合意の上だったようです。「ユカタン事物記」を書いたランダ神父は、この儀式をやめさせるため、裁判を行い、神の像をこわし、二度とくり返さないことを人々にちかわせたといいます。 マヤ文明は、なぜ突然ほろんだのでしょう。それには、いくつかの説があります。土地がやせて、農業が続けられなくなり、豊かな土地を見つけるために遠くへ離れる必要があったという説や、民衆が、王様や貴族などの階級に不満を持ち、暴動を起したという説もあります。また、大規模な飢饉や伝染病によって、おとろえていったという考えもありますが、いずれにしてもはっきりしたことはわかっていません。 のちに、この地域はスペイン人によって征服されましたが、スペイン人がマヤ人の領域にやってきたとき、マヤ人たちは、自分たちの過去のことについて、何も思い出すことができなかったそうです。征服されたあと、マヤ人たちは、もうピラミッドや石碑を建てることはなくなりましたが、マヤ文化は今でも生き残っています。マヤの子孫の中には、今も古代マヤ人が話していたマヤ語を話す人々がいます。また、衣装に使われる模様には、石碑に彫られた模様とよく似ているものもあります。 耳をすますと、古代マヤ人たちの声が聞こえてくるようです。 「昔はユカッタンだけど、などと言っていないで、マヤ文明を見直すのは、いマヤ。」 言葉の森長文作成委員会(κ) ![]()
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