森の長文/読解マラソン長文  ●文章類似度判定


 いもをあらうようになったサル λ
 大分県の幸島というところにいる野性のサルのむれは、人間がまいてやるサツマイモを海の波であらって、塩水の味つけをして食べることで有名です。
 最初にそれが見られたのは1953年のことでした。
 そのころ、日本ではまだあまりサルの研究をする人がいませんでした。でも、サルが好きだった京都大学の若い人たちが何人か、幸島のサルを観察したくてやってきたのでした。ところが幸島のサルは、猟で狩られたことがあったために、人間をとてもこわがっていました。そこで京都大学の人たちは、サルを安心させようと、サツマイモをまいてやりました。そのサツマイモをサルはあらって食べるようになったのです。それまで外国では、サルの研究をするとき、えさをまいてやるということはしていませんでした。
 そのほかにも、外国の人がやっていないことをこの日本の若い研究者の人たちはしました。むれのサルに、1ぴき1ぴき名前をつけて観察したのです。たとえば、こわいボスザルには「カミナリ」、わかくて頭のいいオスザルには「ヒヨシマル」といったぐあいです。
 日本での研究になれてくると、京都大学の人たちは、アフリカに行ってゴリラやチンパンジーの研究もするようになりました。
 そして、研究したことを国際会議で発表しましたが、それを聞いて世界のサル学者たちはたいへんおどろきました。日本で、こんなにりっぱなサルの研究がされていたとは思っていなかったのです。日本のサルの研究が一番進んでいる、と世界のサル学者たちは感心しました。そんな世界のサル学者たちが一番びっくりしたのが、日本人がサルたちに名前をつけていたことなのでした。
 世界の学者たちは、サルに番号しかつけていませんでした。それに、サルの顔や性格が1ぴき1ぴきちがうことにも気がついていなかったのです。
 西洋の人は、人間と動物はまったくちがうものだと、はっきりわけて考えていました。けれど、日本人は昔から、人間と動物とはあまり変わらないものだという考え方だったのです。サルもタヌキもキツネも、日本人にとっては同じ村の仲間のようなものでした。だから、今の時代になっても、若い研究者はごくしぜんに、サルになまえをつけたのでした。サルを番号でよぶことのほうが、むしろやりにくかったのです。
 今では、世界中のサルの研究者たちは、この日本の方法を使って、サルたちに名前をつけて研究するようになりました。そのほうが、サルたちの社会や生活について、よく理解できることがわかったからです。

題名を「世界をおどろかせた日本のサルの研究」に変えてください。

参考資料・梅棹忠夫著作集(中央公論社)第7巻所収・『高崎山』
幸島http://www.kushima.co.jp/sight/koujima/index2.html