森の長文/読解マラソン長文
●文章類似度判定
紅茶の歴史 τ
私たちがよく飲むお茶には、緑茶、ウーロン茶、紅茶など、いろいろな種類があります。これらは、お茶の葉の種類の違いではなく、作り方がちがうだけです。現在、世界で生産されているお茶の八割は、紅茶です。日本や、お茶のふるさとである中国では緑茶がよく飲まれていますが、ヨーロッパやアメリカでは、お茶といえばほとんどが紅茶です。特に、イギリス人の紅茶好きは有名で、イギリスの人たちは、朝起きた時から寝るまで、一日に何杯もの紅茶を飲むそうです。では、中国で生まれた緑茶は、現在のイギリス人が飲む紅茶になるまで、どのようにして世界中に広まっていったのでしょうか。
中国では、今から二千年以上前に、すでに緑茶が飲まれていたようです。最初の頃、お茶は不老長寿の薬として飲まれていました。つまり、お茶を飲めば、年をとらないと信じられていたのです。その後、しだいに発酵させたお茶であるウーロン茶なども作られるようになりました。
今から四百年くらい前、当時とても力を持っていたオランダが、中国から緑茶を輸入するようになりました。オランダ人の王様や貴族たちは、苦いお茶に、さらに高価だった砂糖を入れて飲んでいたようです。また、茶碗から受け皿に一度注いでから、それをすすって飲んでいました。
このオランダから、イギリスにもお茶が伝わりましたが、その頃には緑茶は大変に高価で貴重なもので、イギリスの貴族たちは、カギのついた入れ物にお茶を保管し、もちろん一般の人たちの口には入りませんでした。
今から三百年くらい前になると、イギリスの国の力が増し、イギリスはオランダに代わって、直接中国からお茶を輸入するようになりました。そして、イギリスの水には緑茶よりも発酵させたお茶の方が合っていたこともあって、緑茶よりはウーロン茶などの方が好まれるようになっていきます。イギリスの王様や貴族たちが競って飲んだことから、お茶はイギリスの習慣として広まっていきました。
有名な「アフタヌーン・ティー」の習慣も、この頃に貴族の間でできたものです。当時の貴族は、朝食をたっぷり食べ、昼食は食べませんでした。しかし、お腹がすくので、間でこっそりとお菓子を食べていたのです。そこでアンナマリアという公爵夫人が、午後に紅茶とお菓子を楽しむ時間をもうけることを思いつき、まわりの人たちに勧めたのです。これが、今でもイギリスの人たちに受けつがれています。
紅茶が発明されたのは、やはり中国で、ウーロン茶をさらに改良したものとしてでした。それがイギリスを始め、ヨーロッパで広く飲まれるようになっていきました。しかし、すべてを中国から輸入するのでは、とても消費に追いつきません。そこで、なんとか自分たちでお茶の栽培ができないものか、とイギリスの人たちは考えていました。
一八二三年、植物学者のロバート・ブルース大尉が、インドでアッサム種というお茶の木を発見しました。最初は中国以外ではお茶の木は育たないと思われていたのですが、やがて苦労のかいあって、このアッサム種から紅茶が作られるようになりました。しかも、このアッサム種は、紅茶にたいへん向いていたのです。イギリスはここに大規模な茶畑と工場を造り、ここから本格的に、紅茶の生産が始まりました。こうして、紅茶は一部のお金持ちだけのものではなくなり、みんなが手軽に飲める飲み物になっていったのです。
日本には、明治時代に、イギリスから紅茶が輸入されました。しかし、日本では緑茶が好まれていましたから、紅茶は当時あまり普及せず、広く飲まれるようになったのは、昭和に入ってからです。その頃には、日本でも国産の紅茶が作られるようになっていました。
ちなみに、英語では、紅茶は「レッド・ティー」ではなく「ブラック・ティー」と言います。あるイギリス人は、「緑茶はまずくて飲めない」と言っていました。「海の藻みたいな味がする」そうです。藻を食べたことがあるのでしょうか。