長文集  2月1週  ★本質的な問題に(感)  me-02-1
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2016/12/15 04:22:13
【二番目の長文が課題の長文です。】
 【1】遊び始めたとき、雨が降ってきた。
小学校の三年生のころのことだ。一緒に遊ん
でいた数人で、すぐに校舎の庇(ひさし)の
下に入りそのまま遊びを続けた。やがて雨が
次第に激しくなり、ついに本格的な大雨にな
った。【2】仕方がないので、家に帰ること
にし、結局ずぶぬれになって帰り、母に笑わ
れた。小学生の私たちにとって、遊びは人生
の楽しさそのものだった。【3】休みの日は
自然に早く目が覚めるので、夏休みは毎日早
起きになる。勉強のある平日は遅くまで寝て
いるが、自由に過ごせる休みの日は、自分で
も驚くほど早く起きられるのだ。
 【4】遊びは、人間を生き生きとさせる。
それが遊びのプラスの面だ。楽しい人生を送
ることは、人間として欠かすことができな 
い。そして、人間は遊びを通して勉強以外の
何かを学ぶ。【5】遊びの過程にはトラブル
がつきものだ。「勝った。負けた」「やっ 
た。やらない」などの言い合いがときどき生
まれる。しかし、人間はそこで他人との関係
に必要な感覚を身につけているのだろう。
 【6】しかし、もちろん人間には勉強も必
要だ。勉強は、動物にはない人間独自の時間
の過ごし方で、遊びの対極として考えられて
いる。例えば、漢字の書き取り、計算の練習
、社会や理科のさまざまな知識の記憶。これ
らに共通しているのは、退屈で、できれば後
回しにしたいということだ。【7】しかし、
それがあとになって役に立つのも事実だ。例
えば、算数の九九という計算方法を覚えるこ
とによって、その後の数字を使う生活は飛躍
的に能率が上がる。また、もっと学年が上が
ると、学ぶこと自体が面白くなるという人も
いる。
 【8】このように考えると、遊びと勉強は
もともと区別して考えるものではないのかも
しれない。遊びも勉強も、自己の向上という
点で大きくは一致する。【9】そして、自己
の向上は、人間にとって最も大きい喜びのひ
とつだろう。だから、遊びを勉強のように成
長の糧にするとともに、逆に勉強を遊びのよ
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うに楽しむことが、これから必要になってく
るのではないだろうか。【0】∵

(言葉の森長文作成委員会 Σ)∵
 【1】本質的な問題に、どんな点から気付
くのか、そういうものが、どんな状況から出
てくるかというと、それも、その人の素質に
よるものだと思います。これはいろいろな要
因が考えられます。小さいときからの物の考
え方、家庭内での躾、いろんな要素が複雑に
入り組んでいるわけです。【2】わがまま放
題にして育ったので は、そういうことを感
じ、ある方向へもっていく機能、考え方が生
まれてこないと思います。ですから、たとえ
小さなことでも、自分がどういう立場にいる
かということを、早くから家庭の躾や、親の
愛情で、それを感じさせるということも可能
だと思います。
 【3】子供の頃のある時期から、仲間内で
も、むちゃくちゃやっていると、みんなから
嫌われることも、悟ります。
 小さな家庭生活や、子供社会の体験から、
本能的なわがままな感情と、一方では、経験
的にどうすればいいかという、理性というも
のが、小さいときから生まれてくるのです。
 【4】家庭の躾のようなものからでも、そ
の端緒が生まれてくるのではないかと思いま
す。躾の厳しい家庭では、小さい子供のころ
から、子供の就寝時間がきたから部屋に帰っ
てねなさいと、親は子供にいいます。かなり
小さい時からでも、規律を教えるために、そ
ういうことをします。【5】親は可愛いから
といって手元においてわがままにさせません
。これもわがままにならない、一つの愛だと
思います。
 子供が本能や感情で動くときに、早くから
、親がきちんと、教育面で、子供の時間とい
うものを躾として教えるわけです。【6】最
初はわめこうが叫ぼうが、許してもらえませ
ん。こうして、我慢することや、自分の立場
を自覚します。そういう日常生活を通じて、
どんなに親しくても、それぞれの立場がある
ということを、躾として、覚えていきます。
【7】日々の小さな出来事で、何でもないよ
うなことですけど、そういうことの積み重ね
により、将来の判断力の一端が育つと思うの
です。それを育てることが、家庭内の本当の
愛情といえます。この教育が大事なんです。
 【8】日本でも、昔はそうした伝統的な家
庭の教えがあったと思うのです。キチンと父
親が善悪や礼儀を教えていました。愛情を持
ちながら、厳しく躾をしたものです。盲目的
に可愛がらない、猫っ可∵愛がりをしない、
そういう分別というものを、精神的につけて
いく家風がありました。【9】両親の躾がし
っかりしているとい う、家庭内の空気を感
じさせ、これが人間形成の一端を担っていま
した。そして自分の行動をどうしていくかを
子供に感じさせ、自覚させたものです。
 よく教育問題で、これからの学校教育の進
路や個性化が文部省の教育審議会などで云々
されます。【0】まず改革は親からやらない
と効果が上がりません。「三つ子の魂百まで
も」ではないですが、本当に意識づくまでの
幼い時代に、家庭でその芽は育つものです。
親は本当の愛情とは何ぞやということを自覚
する必要があります。昔は親が子供のために
一生懸命食事を作りました。煙に涙を流しな
がら、朝ご飯を作るとか、手作りのシャツを
着せるとかで育ったのです。今日は、弁当で
も親が作るというのではなく昔と違って給食
です。今日、一般的には、家庭でお惣菜とし
て早く食べられるよう便利に出来ています。
子供でもレンジで温めれば、苦労なく作れま
す。父親は外で稼いでいますが、その仕事の
姿は見えません。母親は、子供には、塾へ勉
強に行け、次に何しろということがありま 
す。こうしたことが、一生懸命子供たちの事
を考えながら、育てていると、親は思ってい
ます。ところが、子供の人間形成の大事な点
は、人間的な愛情です。本当の愛情は何なの
かと、スキンシップで親子の会話や感性が生
まれるようにしなければなりません。そうい
うところの形式が変わっているのに、本当の
愛情に気がつかないのではないかと思います
。(中略)
 親対子の愛情は古典的、本能的なものです
から、経済的に貧しくても、温かい家族的な
愛情のある家というのは幸福です。そこから
いい人間性が育ちます。ちゃんとした人物が
出てくるのではないでしょうか。

(平山郁夫「この道一筋に」より)