長文集  3月1週  ★しつけは心の面で(感)  nnze-03-1
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2016/12/15 04:29:26
【二番目の長文が課題の長文です。】
 【1】情報処理能力。
 これはまず、コンピューターのことを考え
てください。コンピューターはいま、日進月
歩しています。たとえばA、B、C、Dとい
うふうにたくさんの情報があったとします。
 【2】古いコンピューターは、Bの情報は
処理できるけれども、AやCやDの情報は処
理できないとします。時間もかかる。でも新
しいコンピューターで情報処理能力が高まれ
ば、メモリーも大きいし、クリックすること
もできる。AもBもCもDも、処理してしま
います。
 【3】病気というのも、結局、一つの情報
にしか過ぎません。そうすると、古くて情報
処理能力の低いコンピューターは、病気があ
ってもその病気を情報処理することができな
いので、病気を解決することができません。
 【4】ところが、新しいコンピューター、
情報処理能力の高いコンピューターは、Aも
BもCもDも、山積みする問題を一瞬のうち
に情報処理してしまいます。病気という情報
が処理されて、病気がなくなってくるわけで
す。
 【5】この情報処理能力が高い低いという
のは、その人の病気に対する態度だけを見る
のではなくて、その人がほかの人に対してど
ういう態度をとっているのか――ということ
が非常に大事になってきます。
 【6】つまり、自分のことだけを大事にす
るとか、好き嫌いが非常にはっきりしている
とか、この人だったら好きだけど、この人だ
ったら嫌い……。これも結局、情報処理能力
が非常に限られているということになります

 【7】この情報処理能力がうまくいかない
一つの原因は、生まれたときの「三つ子の魂
」という、小さいときの育て方によって変わ
ってきます。小さいころに、お父さんとお母
さんの一〇〇%の愛情と、自分が愛されてい
るという気持ちを持って育っていない人は、
このコンピューターの情報処理能力が低いま
ま、大人になってくるわけです。
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 【8】お父さんが非常に怖い人で、いつも
その顔色をうかがいながら大きくなってきた
というケースでは、その人の心は、そこで傷
ついたまま、大きくなってこないのです。体
は大きくなってくるけれども、心が大きくな
ってきません。∵
 【9】情報処理能力が大きくなってこない
ので、こういう人たちが病気になったときに
、それを自然に情報処理する能力がなくなっ
てきます。病気という情報体を処理できなく
なってくるのです。【0】これは病気だけで
はなくて、たとえばその人の家庭が非常に不
幸ばかりであるとか、あるいは事故を起こし
やすいとか、あるいは何をやってもうまくい
かないとか、そういうものにも通じてくるわ
けです。
 病気とは、簡単にいえば、その人の情報処
理能力の低さがそこで浮き彫りにされてくる
――ということです。だから、その情報処理
能力を高めてあげるという治療をすると、病
気だけではなくて、ほかのことも処理できる
ようになってきます。
 心の歪みを治すということは、これによっ
て引き起こされる肉体的病気を治すことにな
りますが、あまりにも肉体的症状にこだわる
方にはこうお話しします。
「私は、肉体的な病気というものにはあまり
興味がありません。私が興味があるのは、そ
の病気を通して、あなた自身の生活や人生を
もっと楽しくする、幸せにすることです。そ
れが私の治療なので、ここが痛い、あっちが
悪い、という話は興味がないのです。だつて
あなたは、あなた自身の肉体的病気だけを治
したとしても、それだけで本当に幸せになれ
ますか?」と。
 私は、病気を通して、その人の人生がより
豊かになるという形の治療を心がけています
。病気を通して、患者さんとそのほかの人々
の人生を豊かにするというチャンスを差し上
げる、そういう治療を目指しているのです。
 肉体的な病気治しは本当に通過点にすぎな
いのです。

 【1】しつけは心の面で実に複雑な仕事を
する。外から見てしつけで一番目立つのは母
親やそれに代わるはたらきをする重要な人物
が子どもの行動を制限してひとつの枠や型に
はめ込むということである。子どもの思いと
いうより、親の思いに従わせることである。
 【2】赤ん坊時代のように、子どもは自分
の好きに行動したり、欲求を充たしたりする
ことができなくなる。おっぱいが欲しくても
与えられなくなる。オシッコやウンチを垂れ
流しにすると、叱られたり、きまった時間や
きまった場所にするように促される。【3】
また、食事もきまった時間や場所でしなけれ
ばならない。よごれたら嫌でも手や顔を洗っ
たり、服やシャツなどを着替えて身ぎれいに
せねばならない。
 これまで好きなようにやれていたのに、こ
の変化は大変なことである。【4】これまで
やったこともないことを強制される。逆らう
と時には罰を受け痛い目にあう。逆らっても
よいことはない。従うほかない。
 このような外からの心理的な圧力を受けい
れることは大変なことである。【5】このた
めには、親は自分のためにやってくれている
という信頼や信用を心のどこかでもっている
ことが必要である。言い換えると、母親の世
界を信頼するからこそ、はじめてしつけとい
う苦痛な制限を受けいれることが可能となる
のである。これによって苦痛で不快な制限を
受けいれるのである。
 【6】しかし、母親を含めて自分の周囲、
つまり世界が自分に罰を与え行動を制限する
力をもつものだという不信感もどこかに残 
る。これがアンビヴァレンスである。また、
苦痛の向こう側には親や同胞や自分を受容す
る世界が開かれていること、自分がより一層
自由に表現ができる世界があることも体験す
る。
 【7】このようにして、しつけは外からの
制限を内在化して、その内的な規範や枠によ
って今度は自分を統制し、社会的に受けいれ
られるようになる人とのかかわりのプロセス
のことである。このことが自律性の形成とい
う重要なプロセスであり、これはとても複雑
な心のプロセスということができる。
 【8】このプロセスを苦痛や不安が妨害す
る。苦痛、不安、不快に∵対抗してプロセス
を進めるのが親への信頼である。信頼がない
と外の力に一時的に屈服させられて命令に従
うが、その命令は内在化されない。【9】外
的命令が内在化されないままの場合、外的な
力が遠ざかると再び自分の内的な衝動に従っ
た行動が出てしまうことになる。
 内在化が少ないことは、自分の行動を自己
統制する力が生まれないことを意味している
。【0】だから外的に適応した行動が必要な
ときには、その場に外的な力を代表する人が
いなければならないことになる。普通はこの
役割を母親に任せ、自分の身代わりの代理自
我として行動している。そして、受け身的に
与えられるものを受け取るという心の体制を
つくりあげてしまう。
 内的な規範をつくりあげて、構造ができる
ためには、内発的な規制を思案しなければな
らない。しかしわが国の場合、外的なもので
行動を規制したり、また支援したりすること
が多い。例として、日ごろ私たちの目にとま
るのは、次のようなことではないだろうか。
 私は勤務地への通勤にJRを利用している
。車両は四人掛(が)けでたまに親子が同席
して座ることがある。行儀が悪く、席の上で
騒いだり、靴のままで席を汚したりすること
がある。しかし、母親は平気で子どものため
に他人が迷惑をしていることなど、関心がな
いかのように振る舞う。こんなときに、思い
きって注意をすると、子どもはおとなしくな
るが、母親は怒ったような顔をする。悪かっ
たと謝る人は多くない。しばらくして、また
子どもがごそごそすると、今度は次のように
言う。「ほら、隣の恐いおじさんがいるか 
ら、静かにしなさい」「隣のおじさんがまた
、怒るよ」子どもは私の方をじろりと見て静
かになる。子どもが他人に迷惑をかけている
のは、子どもや親の問題ではなく、隣のうる
さいジジイのせいなのである。行動の規制は
内的というより、私という外側の人間のせい
なのである。私がいなければ、同じ行動も平
気で許されるらしい。
 私たちはこのような外的な規制をいつもや
っていないだろうか。「近所の人が見ている
よ」「先生からしかられるよ」「友達が笑う
よ」といった外的な規制は、内発的に善悪の
基準をつくりあげるは∵たらきかけではない
。「周囲が見ているか」「権威の目」といっ
たことによって、自分の行動を規制し、価値
判断をしようとする姿勢である。
 これらの姿勢は自分が価値判断をするので
はなく、周囲に判断を任せ、それに従う姿勢
を要請していることになる。そのためには、
いつも周囲の反応はどうか、周囲の判断はど
うかに敏感でなければならない。
 ある行動をして悪かったのは、他人が注意
をしたからであり、他人が悪いと判断したか
らである。だから、同じ行動でも、他人が悪
いと判断しなかったり、判断を逃れたりする
と、それは許される行動となってしまう。場
面によって、同じことが駄目になったり、よ
いということになったりする。
 先ほどの列車のなかでの子どもの行動も、
私が駄目と言ったから駄目なのであり、前の
日には同じ行動も許されていたのである。ま
た、私がいなければ許されるのである。 (
中略)
 これが人格の受け身性ということであり、
自律性の形成不全である。受け身性は与えら
れた遂行すべき課題に対して無力となること
が多い。母親のような代理自我が存在する場
合は適応的な行動をすることができるが、代
理自我的な人物がいないと、無力な自分が人
前にさらされてしまうことになる。隠すべき
自分を隠す術もなく、自分がむき出しのまま
人にさらされる可能性が高くなる。
 
(鑪八郎「恥と意地――日本人の行動原理」
による)