1. 【1】田中
美知太郎さんがプラトンの事を書いていたのを、いつか読んで大変面白いと思った事がありますが、プラトンは書物というものをはっきり
軽蔑していたそうです。【2】
彼の考えによれば、書物を何度開けてみたって、同じ言葉が書いてある、一向面白くもないではないか、人間に向って質問すれば返事をするが、書物は絵に
描いた馬の様に、いつも同じ顔をして
黙っている。人を見て法を説けという事があるが、書物は人を見るわけにはいかない。【3】だからそれをいい事にして、
馬鹿者どもは、生
齧りの知識を
振り廻して得意にもなるのである。プラトンは、そういう考えを持っていたから、書くという事を重んじなかった。書く事は文士に任せて置けばよい。
哲学者には、もっと大きな仕事がある。【4】人生の大事とは、物事を
辛抱強く吟味する人が、生活の
裡に、
忽然と悟るていのものであるから、たやすく言葉には現せぬものだ、ましてこれを書き上げて書物という様な人に誤解されやすいものにして置くという様な事は、真っ平である。【5】そういう意味の事を、
彼は、その信ずべき書簡で言っているそうです。従って
彼によれば、ソクラテスがやった様に、生きた人間が出会って
互いに全人格を
賭して問答をするという事が、
真智を得る道だったのです。【6】そういう次第であってみれば、今日残っている
彼の全集は、
彼の余技だったという事になる。
彼のアカデミアに
於ける本当の仕事は、
皆消えてなくなって
了ったという事になる。そこで、プラトン研究者の立場というものは、
甚だ妙な事になる、と田中氏は言うのです。【7】プラトンは、書物で本心を明かさなかったのだから、
彼自ら
哲学の第一義と考えていたものを、
彼がどうでもいいと思っていた
彼の著作の片言
隻句からスパイしなければならぬ事情にあると言うのです。【8】今日の
哲学者達は、
哲学の第一義を書物によって現し(ママ)、スパイの来るのを待っている。プラトンは、書物は生きた人間の
影に過ぎないと考えていたが、今日の著作者達は、
影の工夫に生活を
賭している。習慣は変って来る。【9】ただ、人生の大事には
汲み尽せないものがあるという事だけが変らないのかも知れませぬ。∵
2. 文学者は、
皆口語体でものを書く様になったので、書く事と
喋る事との区別が
曖昧になったが、
曖昧になっただけです。両者が歩み寄って来た様に思うのも外見に過ぎない。【0】あれが文学で、あれが文章なら、自分にも書けそうだという人が増えた、文学を志望する事がやさしくなった、それだけの話で、とるに足らぬ事だ。それよりもよく考えてみると、実は、文学者にとって
喋る事と書く事とが、今日の様に
離れ離れになって
了った事はないという事実に注意すべきだと思います。昔、歌われる
為、語られる
為の台本だった書物は、印刷され定価がつけられて、世間にばらまかれれば、これを書いた人間ももうどうしようもないという事になりました。今日の様な大散文時代は、印刷術の進歩と
離しては考えられない、と言う事は、ただ表面的な事ではなく、書く人も、印刷という言語伝達上の技術の変革とともに歩調を合わせて書かざるを得なくなったという意味です。昔は、名文と言えば朗々
誦すべきものだったが、印刷の進歩は、文章からリズムを
奪い、文章は
沈黙して
了ったと言えましょう。散文が詩を
逃れると、詩も
亦散文に近づいて来た。今日、電車の中で、岩波文庫版で
金槐集を読む人の、考えながら感じている詩と、愛人の声は
勿論その
筆跡まで感じて、喜び
或いは悲しむ昔の人の詩とはなんという
違いでしょう。散文は、人の感覚に直接
訴える場合に生ずる不自由を捨てて、表現上の大きな自由を得ました。この言わば肉体を
放棄した精神の自由が、
甚だ不安定なものである事は、散文が、自分を強制する事も、読者を強制する事も、自ら進んで捨てた以上仕方がない事でしょう。いい散文は、決して人の弱味に
つけ込みはしないし、人を
酔わせもしない。読者は覚めていれば覚めている程いいと言うでしょう。優れた散文に、もし感動があるとすれば、それは、認識や自覚のもたらす感動だと思います。
3. (小林
秀雄『考えるヒント』)