【1】カーニヴァルの期間中、街の中心へ と出向くための手段もまた祝祭的で意識的な ものとなる。すなわち人々は、バスや市街電 車のなかで歌を歌い、踊り、サンバのリズム に身体を動かしながら目的地に向かう。【2 】こうしたことが起こるのはカーニヴァルの ために急に交通手段が改善されたからではも ちろんなく、乗り物の内部空間までがカーニ ヴァルの空間へと変質したことによるものな のである。だから、バスや電車はもはや決め られた時間に仕事場に着かねばならない労働 者によって占められてはいない。【3】そこ に乗っている人々が目的地に着かないかぎり 、いかなる物事も始まらないのである。人々 でぎゅうぎゅう詰めになった公共の交通機関 による通勤という、都市の日常生活における 地獄のような苦痛の時間が、カーニヴァルの あいだきわめて創造的な瞬間に変化する。【 4】この瞬間人々は笑いや冗談や身体の接触 を通じて、強烈な生感覚を味わうのである。 カーニヴァルにおいては、場所の移動とい う行為自体が、高度に遊戯化され、儀礼化さ れた別種のリアリティとして民衆によって生 き直されていることを、こうした指摘は示し ている。【5】不毛 で、苦痛だけが充満す る日常的通勤行為が、いかに祝祭的な場に変 容しているかを、右の描写は見事に伝える。 (中略)∵ ダ・マッタも指摘するように、ブラジルで は、カーニヴァルのあいだにいかなることが 起きようと、それは「本気」(serio) ではなく、一種の「遊び」「冗談」であると いう一般的な信仰のようなものがある。【6 】しかしこの場合、それは冗談だから許され る、とか、真面目でないから責任がない、と いった、自己弁明的な理屈を保証するための 留保ではない。むしろ逆に、ここで主張され ているのは、真面目でないものこそが永続的 な価値をもつ、という強固な民衆的信仰につ いてである。【7】ブラジルにおいて、規則 と常識と事大主義によって支配された堅気な 真面目さ=堅苦しさ(ポルトガル語のser ioに対応する一語を見つけることは難し |
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い)を代表するのは、政府機関、政党、学校 、裁判所といった公共的な組織から、【8】 会社、銀行、さらには教会や社交クラブとい った組織にいたるあらゆる中産階級的な法人 組織であり、それらは一種の永続性のイデオ ロギーを所有しているものの、現実には社会 のなかでつねに改変や整理の対象とされ、驚 くほど頻繁に現われては消えるという動きを 繰り返してきた。【9】役所や企業の標榜す る永遠性へのオプセッションは、かなわぬ理 念にすぎないことを民衆はすでに悟ってしま っている。これと対照的なのが、貧しく、地 味であっても決して廃れることも宗旨替えす ることもなく、昔ながらの熱気とともに存続 してきたカーニヴァルの地域集団なのであ る。【0】永遠性のイデオロギーを戴くかに みえる制度的な法人組織が、じつははかない 命しか持たず、逆説的にも、まったく自発的 に生まれ組織を欠いたカーニヴァル集団と祝 祭の方が、結局は日々生きる民衆の永続性へ の希求をまっすぐに受けとめることができる …。このパラドックスのなかの真実に目覚め ることによって、ブラジルには、真面目でな いもの、中産階級に属さないものはすべて生 き残る、という強固な信仰が生まれることに なったのである。 |